長い帰路

 今までで一番長く感じた帰り道だったかも知れない。


 何かに気づいた桜はふらふらした足取りのまま、そっと近くにある壊れた灯籠とうろうへと寄り掛かった。

 

 息を荒げたさくらが顔を上げると、その視線の先には古びた木造屋が建っていた。桜と絆が住む借家だ。

 静寂と闇に包まれた桜の家も異妙な雰囲気をかもし出しているが、先ほど見た光景とは異なり大きく壊されている様子は全く無かった。いつも見慣れた自分の家そのままで、やっと現実世界に戻ったような気分になり、桜は前屈みになりながら大きく息を吐いてしまった。



 ──ようやく、辿り着いた。



 顔を歪ませながらその場でしおれた花のように項垂うなだれる。

 1秒1秒がとても長かった。ここへ来る間にも何度も絆のことが頭によぎり、堪らず走ってきたのだ。

 

 いつの間にか額に大量の汗が浮かんでおり、それを北城村ほくじょうむらの冷たい風がそっと撫でる。いつもなら凍える程に冷たい風が妙に心地良く、心中整理するためにもできればもう少し風に靡かれていたいと思ったがそうもいかないだろう。


 依然として息は荒れたままであったが、桜はゆっくりと蹌踉よろめきながら玄関へと近づいてゆく。すると窓越しにほんのりと小さな光が灯っているのが伺えるではないか。


 窓越しだがあれは恐らく奥にあるリビングの電灯だ。玄関が暗いままであったため来た瞬間、電気が付いているとは気づかなかったが……間違いない。



 きずなだ。


 

 絆が先に家に帰っていたのだ。普段いつもなら珍しい話でもなんでもないが、今日ほど安心した日は他に無いだろう。

 桜の身体がどっとおもたくなり、思わず安堵あんどのため息をいてしまった。身体の中にある空気を全部吐き切る量の大きなため息であった。それにより身体中の力が抜け、眩暈めまいにも似たような感覚を覚えてしまう。


 脚も重しがのしかかったかのように動きが鈍くなる。それでも、桜は脚を引きずりながら玄関を開け「絆!」と声を上げた。


 

 玄関を踏み込んでも、返ってくるのは反響された自分の声のみであった。奥の部屋で小さな明かりはついているものの、廊下まで光は届いておらず足元が見えない。


 ──返事がない……?


 桜はいぶかしげな顔を浮かべ一歩一歩ゆっくりと警戒しながら歩みを進めるた。


「絆!! いるのか!?」


 今度は部屋までしっかり届くぐらいの音量は出したつもりだ。ただ、喉もれており思ったように声量こえが出ないが、それでもこの家にいるのなら気付くはずだ。


 暫しの沈黙…… そして沈黙に混えて小さな物音が微かに聞こえてくる。

 そして、キッチン部屋の方から涅色くりいろの髪が恐る恐ると姿を現し、彼女の特徴的な生命力溢れる眼差しによってしっかりと捉えられた。


「──お姉ちゃん……?」


「絆!?」


 桜の姿を見るや否や、部屋から顔を出す絆は「はっ」と目を見開き、慌てながら駆け寄って来る。その表情は本当に姉かどうか不安だったのか、真っ青な顔色であった。

 

「お、お姉ちゃん!? 無事だった!?」

「ああ、なんとか……」


 そっと絆を抱き止める。だが絆の声は震えており、格好も着替える余裕が無かったのか制服姿のままであった。それに「無事だった」と確認されているあたり絆も知っているのだろう。明らかに桜のことを心配して待っていたかのようにも伺えた。


「よ、よかった……」


 目の前にいる人間が桜であると確信した途端、するりと腕から落ちそうな程に力が抜けてゆく絆。それを支えるように桜は咄嗟に背中へと手をまわした。

 桜も抱きしめながら本物の絆を、暖かい絆の感触をそっと噛み締めてゆく。

 そして初めて取りかれたかのように重かった桜の肩が軽くなっていった。


「絆も襲われたのか? 『奴ら』に」

「襲われた……? あ、あたしは知らないよそんなの……」


 そっと桜から離れ、絆は一呼吸置き目を伏せながら「ただ……」と続けた。


「帰り道、変に破壊こわれた家や、何者かにられたような死体がいくつかあって──」


 溜まりに溜まった感情を吐き出すかのように言葉を走らせる絆。だが、途中追いつかなくなったのかつっかえてしまい、勢いよく咳き込んでしまった。桜は優しく絆の瞳を見つめながら手を握り、問い直す。


「死体が?」

「う、うん……だから何かがおかしいと思って怖くなってすぐ帰ってきたの」


 詰まらせながらもなんとか言葉をつむぎ、桜へと訴える。

 聞けば絆はそれ以上詮索せず、場を察してそのまま直帰して来たようだ。ただ、家にいる間は不安で着替えることも、逃げることも出来ず、ずっと一人で桜を待ち続けていたと言うのだ。

 

 心配おもうところは姉妹同じであったということだ。


「そうか……」


 手を握り、静かに絆の言葉へ耳を傾ける。

 非日常的な光景を何度も目にしてしまい、絆はかなり気が動転しているようにも伺えた。死体とかもあれば無理もない。桜自身も、絆と殆ど似たような感情を抱いていたが表には見せず、絆の言葉を黙って受け止めていた。


 ひとしきり話し終えると絆は胸に手を当てながら息を整える仕草を見せ、桜へ「お姉ちゃんは?」と問いかけた。


「お姉ちゃんは、何かあったの!? さっき『襲われた』って言っていたけれど」

「あ、あぁ……」


 目を逸らす。どこから話せばいいのか、どうやって話せば絆を不安にさせないかが先行してしまい、誤魔化ごまかすような曖昧な返事を飛ばしてしまった。

 自分の身に降りかかった出来事を全て話せば、それこそ絆が怖がってしまうかもしれない。その場凌ぎでも一旦曖昧にしておこうかと心配気な絆の視線を浴び続ける桜は思考する。


 だが、絆も今の姉の姿を見て何も感じない程察しは悪くなかった。


 どろまみれになってしまったコート、小さな葉や草が付着しているスカート、そこから伸びる擦り傷だらけの脚、汗を浮かべる顔、そして全力で走ってきたかのように熱い身体……


 妹を心配させないようにと見せるためか、荒れている呼吸を我慢してゆっくりと肩を揺らしている桜のパフォーマンス行為ですら絆にはお見通しであった。


 むしろこんな状態で帰ってきたのにも関わらず、一緒に暮らしている妹を誤魔化せるのかと感じ、絆ははぐらかす姉に向かい問い詰める。


「お姉ちゃん! 一体何が起きているの!? この北城村に一体何が……!?」

「それは……」


 全てを見透かしたような絆の眼差し。今の絆の前では嘘はつけないと悟り、桜は一呼吸置いた。絆は本当に自分を理解わかっている人間だ。だからこそ騙せないし、隠すことも出来ないのだ。そんなこと、はなから分かっていた話であったと諦め、絆の肩へと手を添えた。


「一旦部屋に戻ろう、そこで話す」


 暗い玄関では長話するには不適だと察し、桜は静かな口調で絆をリビングまで促す。絆も黙って頷き桜の後に続いていった。

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