第38話 ボディーガードは神さま

 翠羽の車が入ったのは大きな大学病院だった。


 箒を持ち込むことはできないので、ハバキは車でお留守番だ。それでもハバキはすでに満足気で、文句は言わなかった。


「なんでわたしがパーカーなのさ」


 ハシルヒメが身に着けている黒のパーカーをつまんだ。


「仕方ないでしょ。サイズが大きくても一番まともなのが、それだったんだから」


 珠は前にも着た白いシャツ姿だ。病院で巫女装束はさすがにマズいということで、珠が持ってきていた服に二人とも着替えたのだ。


 今は翠羽に連れられて受付を抜け、患者用のエレベーターの裏にある小さなエレベーターに乗っている。


 エレベーターの扉が閉じると、翠羽が珠たちの方を向いた。


「さっきも少し説明したけれど、今日は刺美がこの病院で執刀しているの。それでたまたまなのだけれど、清掃スタッフがまとめて休んでしまったらしいのよ」


 珠はうなずいた。


「うん。それで刺美さんが翠羽さんを病院に紹介して、清掃の穴埋めをすることになったんだよね」


 珠の横でハシルヒメが手を上げた。


「ねぇ翠羽。わたしも掃除しないとだめ?」


 翠羽が答える前に、珠がハシルヒメの頭をつついた。


「やらないなら、何しにきたの?」


「わたしは翠羽と話しに来ただけなの!」


 ハシルヒメは珠の手を持ち上げて、頬を膨らませる。


 その様子を見て、翠羽は微笑んだ。


「この先ではお話ししている時間はないけれど、車で待っている?」


 ハシルヒメはブンブンと首を振って、翠羽を指さした。


「んなわけないじゃん! 珠ちんと二人きりにしたら何するかわかったもんじゃない!」


「いや、何もされてないから。水門さんに写真撮られただけだから」


 珠は顔の前の虫でも払うかのようにして否定した。


「その水門って人も翠羽の手先だから! その写真は翠羽も楽しんでいるに決まってる!」


 翠羽は頬に手を当て、悩むように首を傾げた。


「お客さんの個人情報でもあるから、自分の以外見せてもらったことないわね。珠さんのなら頼んだら見せてもらえるかしら? 今度試してみるわね」


「試すなぁ!」


 ハシルヒメの声が響くと、翠羽が人差し指を唇に当てて静かにするよう促した。するとほぼ同時にエレベーターの扉が開く。


「この先は患者さんもいるから、静かにね」


 エレベーターを降りた先には『この先関係者以外立ち入り禁止』と書かれた自動ドアが閉まっていた。その横には遊園地のチケット売り場のような小窓が一つだけある。


 翠羽がそこで言葉を少し交わすとカードを受け取った。それをカードリーダーにかざすと自動ドアが開く。


「さぁ、行きましょうか」


 翠羽の声には心なしか緊張感があった。ハシルヒメもそれを感じたのか、おとなしく後ろをついていっている。


 その先でもカードリーダーのついた扉があり、中に入るとロッカーの並んだ広い部屋があった。ロッカーとロッカーの間には長椅子が置かれており、座ってスマホをいじっている人や、顔に何か塗っている人などがちらほら見える。


 皆女性なので、きっとここは女性更衣室なのだろう。キャラクターのドットが入った、半袖の服と長ズボンを身に着けている人ばかりだ。


「外部の業者は、上の階で着替えるみたいよ」


 翠羽が入ってすぐ横の扉を開けた。そこは広くはないが天井がやたら高い吹き抜けの部屋で、螺旋階段がすっぽり入っていた。翠羽がその階段を上り始めたので、その後ろをついていく。


 他に人の姿は見えなかったからか、横を歩くハシルヒメが話しかけてきた。


「ねぇ、さっきの人たちが着ていたドットの服。かわいかったね」


「確かに。なんかパジャマみたいだったけど、患者さんたちなのかな?」


 ハシルヒメの声も、それに答える珠の声も、部屋の中によく響いた。


 翠羽は足を止めずに、ちらりと後ろを見た。


「前に珠さんには話したけれど、手術室内では一目でその人の役割がわかるように、着る服が決められているの。この病院では看護師さんがあの服を着るそうよ」


 翠羽の声は抑え気味で、必要以上に響かなかった。珠が「あんなかわいい制服もあるんだ」と小さな声で返すと、翠羽は笑顔だけ見せて前を向く。


 階段を上った先にはまたドアがあって、その先は先ほどと同じような更衣室になっていた。下の階と明確に違うのは、こちらには人の姿がないということだ。


 翠羽が足元に目を向けた。


「やっぱり外部の人の方が綺麗に使うわね」


 珠も真似して床を見てみたが、下の階の床の状態を覚えていないので何もわからない。


 そしてハシルヒメだけは床ではなく、天井の隅やロッカーの上などに目を向けている。


「ハシルヒメ? どうしたの?」


「カメラとかで盗撮していないか確認してんの。翠羽の仕掛けた罠かもしれないからね」


 ハシルヒメは近くに翠羽がいるにも関わらず、声を抑えたりしなかった。珠はハシルヒメに顔を寄せ、ささやくくらいまで声を抑えた。


「失礼なこと言わないの。それにカメラとか盗聴器は見えるところに置かないから。ここだったら椅子の下に貼り付けたり、ロッカーの空気穴とかダクトの中に仕掛けたりとか」


「おお、珠ちん詳しいね。まさか……! すでに翠羽に盗撮されたことが――」


 珠に合わせたのか、最初は小さな声だったが、すぐに大きくなり始めたので珠は手でハシルヒメの口をふさいだ。


 そして翠羽が離れているのを確認してから、耳元でささやいた。


「そんなわけないでしょ。前の仕事で使ったり使われたりしてたから知ってるだけ」


 ハシルヒメはそれを聞いてもおとなしくしていたので、珠は手を離した。心なしか、ハシルヒメの顔が赤くなっている。


「ごめん。苦しかった?」


「いや……むしろ逆かも」


 ハシルヒメの意味不明な発言に眉をひそめていると、翠羽が戻って来た。手にはビニールに包まれた白い服を持っている。


「ここでは外部の業者はこのツナギを着るみたいね。珠さんは前に、刺美の病院で着ているわね」


 翠羽の手渡してきた服を手に取る。するとハシルヒメが珠と翠羽の間で仁王立ちして両手を広げた。


 翠羽はちょうどいいとばかりに、ツナギを渡した。


「これはハシルヒメさんのぶんよ」


 ツナギを受け取っても、ハシルヒメはその場からどかなかった。


「なにをやってるの?」


 珠はツナギの袋を開けながら訊ねた。ハシルヒメは翠羽の方を向いたまま、動かない。


「珠ちん! わたしが目隠しになるから、その隙に着替えて!」


「え? 必要ないけど」


「そんなこと言って――」


 振り向いたハシルヒメと目が合ったとき、珠は服の上からツナギを着ている最中だった。


 ハシルヒメはしばらく固まったあと、叫んだ。


「早く言ってよ!」


 ハシルヒメは手際よくツナギを身に着けた。

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