第25話 どこかで見たシンボル

「むやみやたらに部屋を汚すのは二流のやることさ」


 そう言っている刺美は、部屋に入ろうとしたところを翠羽に止められて、扉の外に立たされている。


 翠羽がベッドの近くに立った。


「手術をするときは術野以外は防水のシートで患者さんの体は隠しているし、出血が多い手術の場合は床とベッドを防水シーツで保護するの。だから予定通り手術が進んだ場合はあまり汚れないのよ」


「でも代わりにシートとかが汚れてるんじゃないの? それは洗濯に出されてるの?」


「防水シーツは使い捨てだから……」


 翠羽はベッドから離れ、近くの白い段ボールに近づいた。お腹当たりまで高さのある、抱えるほどの大きな箱だ。オレンジ線の円が三つ重なったようなマークが描かれている。


 珠もその箱に近寄り、屈んだ。


「このマーク。どこかで見たことある気がする」


「それはバイオハザードマークね。病院内ではよく見かけるし、ホラーゲームで見たことあるという人が多いわね。この箱に感染性の廃棄物が入っていますという印よ」


「廃棄物……? ということは、この箱はゴミ箱?」


「そうよ。中を見てみて」


 促されて上から覗き込むと、箱の内側を覆うように白いビニール袋がかけられていて、その中に青いシートが丸めて入っているのが見えた。珠たちが着ているのと同じガウンも丸めて捨てられている。


「手術で使って廃棄するものは、こうやってこの箱に捨てられているわ。それともう一つ」


 翠羽は近くのプラスチックの箱へと一歩近寄った。それは膝ほどの高さで、部屋に置くゴミ箱だとしても違和感がない。それにもバイオハザードマークが書かれていたが、色は黄色だった。


「これもゴミ箱なの?」


「ええ。でもバイオハザードマークが黄色でしょう? これは入っている医療廃棄物が鋭利な物だということを示しているの。さっきのオレンジのバイオハザードマークは鋭利でない固形物を示しているわ」


 珠が覗き込んでみると、中には注射器や、刃の先のようなものがまばらに入っていた。おもちゃのピストルのような物まである。


 翠羽は箱の上から、それらのゴミを指さした。


「感染の危険があるから、無暗に医療廃棄物には触れてはならないのだけれど、この黄色のバイオハザードマークの箱は特に危険なの。絶対に手を入れてはダメよ」


「こんなところに手を入れる人なんていないでしょ」


「それが意外と、手を入れて針刺し事故を起こす人がいるのよ。慣れると怖くなくなってくるみたいなの。この前なんて刺美が間違って中に落としたボールペンを素手で拾ったのよ?」


 翠羽が目を向けると、刺美はすぐに目をそらした。


「なるほど。気をつける」


 珠は以前の仕事の経験から、何が塗ってあるかわからない刃物や針は本当に怖いと思っている。慣れてもそんなことするとは思えなかったのだが、それは言わないことにした。


「それじゃあまず、掃除するのに邪魔になるから、ゴミを外に出してしまいましょう」


 そう言って、翠羽は部屋を大きく見回した。奥の壁と左の壁に、入ってきた扉より一回り小さい扉があった。


「この部屋にはいくつか出入口があるのだけれど、それぞれ役割があるわ。さっき歩いてきたのは清潔廊下といって、患者さんやお医者さんが通るための廊下で清潔な場所なの。だから部屋から出たゴミをあちらには出さないわ」


 翠羽が指さしたのは、入ってきた扉とは反対側の壁にある扉だった。


「あの扉の先が回収廊下といって裏側の廊下になっているわ。ゴミは全てその廊下を通して運ぶの」


「じゃあ全部外に出していいの?」


「そうね。その前に箱の口を閉じてしまいましょう」


 翠羽が段ボール箱に張られている白いビニールの口を結んだ。そして段ボールの蓋を折りたたむ。段ボールの蓋はスリットに差し込むことでテープなどを使わずに封ができるもののようだ。封をすると蓋の上に片手で運べるように、持ち手ができる構造にもなっていた。


「これで安全に運ぶことができるの。プラスチックの箱は専用の蓋があるから取ってくるわね。その間に他の箱を閉じてみて。わからなかったらそのまま置いておいても大丈夫よ」


「袋の口を結んで段ボールの蓋を閉じるだけでしょ? できると思う」


「そうね。じゃあお願いするわ」


 翠羽は回収廊下に繋がると言っていた扉から外に出た。


「さて……」


 開いたままの段ボールはあと二つある。その一つに近寄り、中を覗いた。先ほどよりも入っているゴミの量は少なかったが、血とは違う茶色の薬品で汚れていた。だが袋の口を閉じるのには関係ない。


 ゴミ袋の口は何度も縛ってきたので、時間はかからなかった。


 段ボールも蓋部分を折って差し込むだけなので簡単に終わる――そう思っていた。


「あ……」


 蓋を閉じると、持ち手になるはずの部分が凹んで埋もれてしまった。


(どこかまちがえたかな?)


 もう一度開いて閉じ直してみるが、やはり手持ち部分が埋もれてしまう。


「苦戦してるみたいね」


 プラスチックの板を手に持って戻ってきた翠羽が、近くに屈んだ。


「一気に差し込もうとすると、押し込む力で下に入ってしまいやすいの。こうやって半分だけ差し込んで……」


 翠羽は慣れた手つきで蓋を少しだけ浮かした状態で止めた。そしてその状態で、頭をのぞかせている持ち手部分をつまむ。


「この状態でゆっくり閉じてあげると、持ち手が下に入らずに閉じれるの」


 翠羽がその状態で手を離したので、珠は同じところを真似して持ってみた。そして蓋を押し込むと、先ほどまでと違って、コンセントを刺したときのような手応えを感じた。つまんでおいた持ち手も箱の上にしっかり出ている。


「うん。上手よ」


 珠はほとんど何もしていないのに、なぜか褒められてこそばゆかった。


 その後にプラスチックの箱の蓋の仕方も教わったのだが、こちらは音が鳴るまで押し込むだけで、難しいことなど一つもない。


「それじゃあ、閉じた箱を廊下に出しましょう。掃除が終わったらまとめて運ぶから、今は近くの壁の近く置いておけば大丈夫よ」


 翠羽にそう言われ箱を運んだのだが、あまり中が詰まっていないので大きさのわりに重くはないし、持ち手がついているので苦労はしなかった。これは珠でなくてもそう思っただろう。


(あれ? これってもしかして……)


 箱を出し終えた手術室を、珠は見渡した。目に映ったのは、珠からするとどこを掃除すればいいのかわからないくらい、綺麗な部屋だ。


(普通の部屋の掃除をするのより、はるかに楽なのでは?)


 特殊な環境だが、これだけ楽なのならば、素人の女の子を手伝いにつれてきてもおかしくないのかもしれない。


(血に慣れているのがバレたわけじゃない?)


 そう思っていると、反対側の扉で不敵な笑みを浮かべる刺美と目が合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る