マイ・フェア・レディにお願い

五条葵

本編

街で噂の少女

 エルドランドの王都の西、王立劇場が堂々ある構えを見せ、紳士淑女が行き交う広場。そこから少しいった場所には働く人々の売り声が響く市場がある。


 上流の人々の暮らしと、働く人々の暮らしが交差するこの場所。カゴいっぱいの花を片手に、通りを行く人に声をかける花売りの姿もまたここの名物。


「そこの殿方、花をかってくんないかい?」

「旦那、花はどうだい?」


 その日の暮らしのため日がな通りを歩き、花を売って回る。そんな彼女達の中にひときわ目立つ少女がいた。


「奥様、ご機嫌いかがお過ごしで? あら覚えてくださってたのですね、光栄ですわ。そうですわね、もうそろそろ夏ですし、ユリなどは今日のお召し物にとっても映えますわ」


 そう言いながら、燐とした一輪のユリを差し出す少女。奥様、と言ってもまだ年若い夫人がその気品ある香りと姿に興味を持ったのを感じると少女はさらに畳み掛ける。


「こちらは花屋のジョゼフおじさまのおすすめ。今日切ったばかりですからちょっと高かったのですが、その分薫り高いでしょう? 奥様のような可憐な方にはぴったり。そう思いませんこと、旦那様?」


 そう言って彼女が目線を向けるのはシワ一つないモーニングコートで装った紳士。どうやら若婦人の夫らしい。ユリと夫人を交互に見た紳士は苦笑し、そして少女の手からユリを抜き取ると、そっとその髪に挿す。


「相変わらずの商売上手だね。よし、一輪もらうとしよう」

「ありがとうございます、サー・メルヴィス。銅貨一枚いただきますわ」

「相変わらずの記憶力で。それに貴族相手でもふっかけないんだな」

「花の価値はどなたの側でも同じですわ」

「なるほど、ではエルドランドのマイ・フェア・レディ、幸運を」

「お二人にも幸運を」


 そう言うと少女は軽く、しかし美しい礼を披露する。彼女の名はシャーロット。名字は分からない。それどころか誰から生まれたのか、どこで生まれたのかも。しかしこの下町ではそんなことはよくあることだ。街の人々は花売りのシャーロット、と呼ぶ。そしてもう一つのあだ名が「エルドランドのマイ・フェア・レディ」だ。


 この国では労働者階級と中流階級以上では使う言葉に明確な差がある。一言発しただけでその人がどこのどんな家の生まれか分かってしまうのだ。


 ところがシャーロットはここで花を売り始めた頃から上流階級の言葉を操ることが出来た。しかもそれだけではない。世事に通じ、一度花を売った人のことは忘れない。ウィットに富みつつも品を保った会話で常に仕入れた花は完売。そんなちょっと変わった少女を「マイ・フェア・レディ」と呼んだのは、前世の記憶がある、という不思議な貴族の娘らしい。


 なんでも前世でとても人気のお芝居で、下町の花売りが教育を受けて、上流のお嬢様に化ける、という話らしい。このあだ名のおかげで人々に覚えてもらえるのはありがたいが、しかしシャーロットは上流の世界には興味はない。上流の言葉も礼儀もこの世界で生き抜くための武器に過ぎないし、彼女はここの貧しくも素朴な暮らしに満足していた。


 彼女の花ばかり売れていたらシャーロットは市場の人々に疎まれるのではないか? そう思われるかもしれないが、その心配は無用だ。彼女は自分が暮らしていける分の花しか仕入れなかったし、彼女の持つ知識も出し惜しまずにみんなに教えた。むしろ彼女のおかげでこの市場で花を買う人自体が増えて、市場のみんなからはちょっとした尊敬の眼差しを受けていた。


 貴族の夫婦と別れ、一本路地を入ったシャーロット。すると数人の男の子が彼女の元へ近寄ってきた。




「あっ、シャル姉さんだ」

「ねぇ、シャル。一緒にあそぼようよ」

「ほら、この前のお話の続きがまだでしょう? 早く教えて」


 まだ幼い、決して身長が高いわけではないシャーロットの腰ぐらいまでしかない背丈の男の達がわらわらと彼女のもとに駆けより、シャーロットは苦笑する。


「まあ、みんな。でも今日のお仕事はまだ終わってないのよ」


 そう言うと、片手に下げたかごの中を見る。その中にはまだ花が何本も盛られていた。


「だから、お話はまた今度ね。ほらお姉さんたちと遊んできなさい」


 そういってシャーロットはすこし奥にいる、エプロンの少女を見やる。彼女もまだまだ幼いが、一日働く親の代わりに子どもたちが幼い兄弟の面倒を見るのはここでは普通のことだ。


「えー! 、つまんねーの。ね、お願い少しだけで良いから」

「そうさ、シャル姉さんならそれぐらいすぐに売れるでしょう?」

「そうそう、ロッテ姉さんもお話聞きたいよね」


 最後の少年はそう言ってエプロンの少女を呼ぶ。すると、その声でシャーロットがいることに気づいたらしい、ロッテ、と呼ばれた少女を含め、今度は数人の少女が集まってくる。狭い路地はあっという間に子どもたちで埋め尽くされ、動けなくなったシャーロットは仕方ない、と言わんばかりにかごを置く。


「じゃあ、本当に少しだけよ。この前の続きね」

「やったー」


 そう言って路地の端に置かれた木箱に腰掛けたシャーロットに子供たちは歓声を上げる。


「竜を倒した勇敢な旅の王子が城に戻ると、彼はその国の国王にとっても感謝されました。そして国王は言います。『王子よ、もしそなたさえ良ければこの国にこのままとどまってくれないか。姫よ、こちらへ』国王がそう言うとその言葉に促され、それは美しい絹のドレスを纏った姫君が王子の前へ進み出て優雅に膝を折ります」


 そういったところでシャーロットはぴょん、と木箱から飛び降りると、ドレスの裾を持ちゆっくりと膝を折ってお辞儀をしてみせる。その衣装は擦り切れツギハギだが、その様子はとても優雅で洗練されており、お姫様の生まれ変わり、と言われても誰も驚かないだろう。


 その美しい姿に子供たちは一瞬ぽかんとし、そして歓声が湧き上がる。


「シャル姉さん、すごい。ほんとうのおひめさまみたい」

「そうだわ、姉さん、もう一度、今のお姫様やって!」


 少年、少女が口々に褒め称えるが、シャーロットはしかめっ面を作って子供たちを見渡す。


「話の途中で口を挟まむんじゃない! それに何度も同じところをしても面白くないわ。さ、続けるわよ」

「そのお姫様の美しさにすぐに心を奪われた王子は、ぱっと、姫の前に膝まづき、その手を取ると、軽くその後に口づけします。そして『姫君、私がずっと求めていたのはあなただったのでしょう』と瞳を輝かせて言います。その言葉に姫は手を胸の前で握りしめ、瞳をうるませて感激したのでした」


 憎まれ口を叩きつつも、今度は王子の姿を演じて見せるシャーロットに子供たちは息を呑む。運良く姫君役になり、手を取ってもらえた少女などは口を開け、ポカンとしている。いつのまにか彼女のお話に幼い子どもだけではなく、もう少し年上の子供たち、さらには大人たちまでもが集まり出し、彼女の声に耳を傾け、どこで覚えたのか、本物の上流階級のような振る舞いに感動する。そしてお話が終わったときには拍手喝采が起き、下町の一角が劇場のようになるのもまた、ここでの暮らしの一幕だった。

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