第14話 因果よりも
ノノアを追放し、結果が出るまでの一年。
その間に『導』を再度確認しながら、これまでの記憶を掘り起こし、振り返る。
ここ数回のループでの決まり事だった。
数百年という時を経ても、意外なほど昔の事を思い出せる。
もしかしたら魔王を死に導くため、俺の記憶と、この『導』には、何か強い結びつきがあるのかも知れない──そんな事を考える。
ファランは既にパーティーを抜け、レナはここから数日、体調を崩した神父を看病するために教会に滞在する。
束の間、ひとりになった俺が向かうのは、母が待つ実家だ。
ここ最近の周期では恒例となった帰省。
俺が事を成し遂げれば母はひとりになる。
その事が気にならない、と言えば嘘になる。
俺自身で言えば、限られた期間の繰り返しとはいえ、人の何倍も生きた。
色々あったが、他の人間では味わえなかったであろうほど濃く、やりがいのある人生。
だから思い残す事こそあれど、ここまでの出来事に後悔はない。
ただ、だからといって俺の抱えた事情を母に伝える事には強い抵抗があるし、伝えた所で信じて貰えるかもわからない。
何よりも、だ。
幾ら魔王を死に追いやる為とはいえ、自分の息子がクロとの取引で『何を対価にしたのか』を知れば、母は傷付くかも知れない。
だから母には『導』について、俺の死後も伝えるつもりはない。
何も伝えずにいる、それはもしかしたら親不孝なのではないか? と思うが、割り切るしかない。
そう考えれば、俺の人生は。
何かを諦め、割り切り続ける事だったのかも知れない。
父に代わり、魔王を自らの手で倒すことも。
ノノアを追放し続ける事も。
守れない約束だと知りつつ、レナに誓い続ける事も。
何もかも思い通りにならない。
幼少期に自ら誓った──『魔王を死に導く』。
その決意の前に、全てが褪せてしまう。
俺が失ったもの、その代償に魔王を殺せるなら──充分だ。
与えられた役割をこなすために失ったものに、今更未練はない。
師から聞いた、父の最後の言葉を思い出す。
『やるべき事をやれ』
そう。
大事なのは、やるべき事を知ること。
そして知ったなら──それをやりきる事、だ。
────────────
「お帰り、エリウス」
「ただいま、母さん。これ、お土産。少量だけど⋯⋯」
「あら、何かしら」
俺から渡された小さな包みを開くと、母は驚きと喜びを混ぜた表情を浮かべた。
「⋯⋯まぁ、これ!」
「うん」
「ありがとう、エリウス⋯⋯憶えていてくれたのね」
土産として持参したのは、周辺国で栽培されている茶葉だ。
そしてそれは、黒雲が天に蓋をする前、つまり魔王が現れる前にはこの国でも栽培されていた。
生まれてから今まで、昼間でも薄暗い街と空しか馴染みのない俺にはピンと来ないが、魔王が現れる前、俺の村では茶葉が名産だったらしい。
当時の村人はよく茶を嗜んでいたという。
幼なじみとしてこの村で育った父と母は、若い頃、村に広がる茶畑で逢瀬を重ね、結婚に至り、俺が産まれた⋯⋯との事だ。
それまでろくに親の仕事を手伝わなかった子が、年頃になると急に「茶葉の世話をしてくる!」などと言い始める、というのが、村の誰もが知る笑い話だった。
だが、魔王の生み出した黒雲のせいで日中でも常に薄暗く、日照が極端に減ったこの国では茶が上手く育たなくなった。
村は主要産業である茶の生産を奪われ、村人が茶を飲む機会は奪われた。
母が父との思い出を語る時、それは茶に紐付けられる事が多かった。
「ごめんね、せいぜい数杯しか淹れる事はできないと思うけど」
「ううん、良いのよ。高かったんでしょ?」
母は少し不安げな表情を浮かべるが、嘘をついても母には簡単に見抜かれるので、正直に答える。
「それなりにね、でも、無理はしてないよ」
「ありがとう、エリウス。またお茶を飲めるなんて思ってもいなかったわ、早速いただきましょう」
母は戸棚から二つのカップを取り出した。
母と⋯⋯父が使っていたカップだ。
形見である剣は俺が持ち、思い出の品であるカップは、母が大事にしまってある。
母は湯を沸かし、茶を淹れた。
「この香りを嗅ぐと⋯⋯思い出すわ」
湯気と共に立ち上る懐かしい香りに、母はしばし思い出に浸る。
二人で茶を飲み干すと、母は満足げなため息を吐いた。
「ごちそうさま。美味しかった」
「良かった」
「せっかくだから、残りの茶葉は取っておくわ」
来た。
母の次の言葉に、俺はいつも返事を窮する。
だが、喜ぶ母が見たい、という気持ちから、俺はいつも茶を土産として持参している。
「次は⋯⋯あなたがお嫁さんを連れてきた時に淹れようかしら?」
いつもはこの言葉に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
だが⋯⋯俺はこのやり取りの予習をしている。
「飲んでしまって構わないよ、だって⋯⋯魔王さえ死ねば、またここで茶を育てられるさ。嫁さんなんてまだまだピンと来ないけど⋯⋯そんな日が来るなら、この村で育った茶を飲んで貰えばいいよ」
俺の言葉に、母はしばらく俺を見ていたが、やがて目を伏せながら
「⋯⋯そうね」
と呟き、微笑んだ。
「サーシャの事⋯⋯覚えてる?」
夜、母と久しぶりの食事中。
母の質問に、俺はどきりとした。
「うん、覚えている、けど⋯⋯」
サーシャはこの村で俺と共に育った、年が一つ下の少女⋯⋯いや、もう女性、か。
数百年のループで、人の年齢に対しての感覚がやや混乱している。
なんせこの数百年⋯⋯いや、俺が旅に出ないと選択して、導に黒字が記載された時にチラッと見かけたかな?
サーシャとは、子供の頃よく遊んでいた。
ただ、父の死を知り、俺が剣に打ち込み始めてからは、会えば挨拶する程度で、殆ど交流は無い。
同じ村に育った、同世代の異性。
俺の認識はその程度だ。
俺がどきりとしたのは⋯⋯。
「サーシャね、結婚して、もう子供もいるの」
「そうなんだ、知らなかったな。知っていれば⋯⋯何か土産を買って来たんだが」
そう、知らない。
何だ、この会話は⋯⋯?
おかしい。
ここ数回のループ、俺は死ぬ間際に毎回母の元を訪れた。
そこでの会話は、殆ど変わらない。
特に、今夜話すのは、父に関する思い出話が中心のはず。
サーシャの名前など、これまで出てきた事は無いのだ。
「こんな世の中だから⋯⋯サーシャの家族も苦労してるわ。でもね、サーシャは笑いながら言うの。この子が自分の希望だって。この子がいるから頑張れる、って」
「⋯⋯うん」
「だから、エリウス、私、私は⋯⋯」
母は一度顔を伏せたあと、再度顔を上げた。
その表情は不安げで、それでいて、何か、俺に後ろめたさからくる罪を告白するような面持ちだった。
「お父さんが死んだという報せを受けた時⋯⋯私がアナタに言った言葉⋯⋯覚えてる?」
「うん」
忘れる筈がない。
「私は⋯⋯お父さんは本当に素晴らしい人だと思うわ。自分を犠牲にして、沢山の人を、命を救った。あなたにお父さんみたいに、強く、優しくなって欲しい。その気持ちは、今でも変わらないわ」
「うん」
「でもね、私は⋯⋯あなたが旅に出てから、ずっと、引っかかってたの。そして⋯⋯サーシャの子を見ていると、思うの」
「⋯⋯何を?」
「私は⋯⋯エリウス、あなたに、生き方を押し付けてしまったんじゃないか、って。本当なら、あなたも、普通に結婚して、家族を支えて、支えられて⋯⋯そんな幸せを、あなたから奪ってしまったんじゃないか、って⋯⋯」
「⋯⋯」
「私の理想をあなたに押し付けて、結果、息子に敵討ち以外に目が向かない、辛い生き方を背負わせてしまったんじゃないか、って」
「⋯⋯」
「私の為を思って、お茶を買って来てくれる、そんな、良い息子に育ってくれただけで、本当なら充分なのに、私は、あなたに望み過ぎたんじゃないか、って。私は、あなたに何もしてあげられないのに⋯⋯!」
そこまで言って、言葉を続けるのが難しくなったのか、母は体を震わせた。
俺は母の震えを抑えるように、そっと手を握る。
何かあると、いつも俺の頭を撫でてくれていた母の手。
改めて意識すれば、それは、とても小さかった。
「母さんにできる事、あるよ。実は今日、母さんに頼み事をしたくて来たんだ」
「えっ? 頼み事?」
俺が言葉を挟むと、母は驚いた表情に変わった。
「うん、それはまた後で話すよ。それよりも──大事な話がある」
「何?」
「俺は⋯⋯今の自分の生き方に、満足してるよ」
「エリウス⋯⋯」
「安心して、母さんに押し付けられたなんて、これっぽっちも思っていない。俺が魔王を殺したいと願う理由は、簡単だよ」
「何?」
「父さんや師匠を尊敬しているからだよ。それに、きっと二人は⋯⋯俺に尊敬されたくて、生き方を選んだわけじゃない。確かに母さんの言葉も、俺の大事な指針だけど、それに追いやられたなんて言うのは間違いだ」
「間違い?」
聞き返してくる母の手を再び握り、俺は強く頷いてから、自分の偽らざる心情を伝えた。
「俺にとっては、導きだ。俺の歩くべき、正しい道を示すための──二人のように、ね。自分の信じる道を貫く、それを実践したから、俺は二人を尊敬してるんだ」
「⋯⋯うん、そうね」
先ほどまでの表情は和らぎ、母は笑顔を浮かべた。
そして、母は先ほど見せた取り乱しぶりを誤魔化すように、やや明るい声で言った。
「じゃあ、お嫁さんはまだ先かしら。あなたのパーティーに良い子はいないの?」
⋯⋯困ったな、まさか話がここに戻るとは。
「いるよ。だけど二人⋯⋯いや、今は一人なんだけど⋯⋯二人とも、俺には勿体ないような相手だ」
「あら、どうして一人なの?」
「ちょっと喧嘩分かれみたいになっててね。でも⋯⋯戦友だ、ずっと」
「そうなの。じゃあ、仲直りしないとね」
「⋯⋯うん」
「どんな子なの? 聞きたいわ、その二人の話」
母の質問に少し考え、これまでの事を振り返りながら⋯⋯。
「すごいやつだよ、頑張り屋で、頭も良くて⋯⋯実は、父さんが⋯⋯」
ノノアやレナの話をしていると、そのまま夜は更けていった。
用事を済ませ、実家からまた街へと戻る道中。
なぜ、母があんな話をしたのかについて考えた。
結局、本当の事はわからない。
ただ⋯⋯母は、俺の『覚悟』のようなものを、見抜いていたのではないだろうか。
長かった繰り返しも、恐らく今回が最後。
街へ戻れば⋯⋯しばらくして俺は死ぬ。
俺の死に様、それ自体は、もう受け入れている。
それは、俺がこの繰り返しで犯した罪。
本当なら避けたいが⋯⋯恐らくこの運命は、かなり強固で、むしろこれを無理に回避する為に動くのは、ノノアによる魔王討伐を失敗に導く可能性さえある、と俺は思っている。
そう、この繰り返しの中で感じていた。
魔王討伐は重なる因果の狭間にある、細い、細い道。
少し外れれば、歩けない運命。
定められた因果というのは、簡単には変えられない、ということを、俺はイヤというほど知っている。
だからこそ、思う。
父が死んで以来、母はこれまでも俺を心配する素振りは見せても、弱さは見せなかった。
きっと俺の邪魔になる、足手まといになる、そう考えて、想いを胸にしまっていたのだろう。
そんな、母が本来なら胸にそのまま秘めていたであろう想いを、本来の因果を曲げてまであそこで吐露したのは⋯⋯俺の僅かな変化さえ感じ取り、見抜いていたからではないだろうか?
『これで最後だ』
と思う俺の心境を見抜き⋯⋯あんな事を言ったのではないか、というのが俺の予想⋯⋯いや、そうであって欲しいという勝手な願望にしか過ぎないとしても。
そう。
これまでも。
そして、最期を迎えようとする今も。
母は誰よりも、俺の身を案じてくれていたのだ。
──定められた因果なんかよりも、強く、俺の事を。
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