白昼夢の最中
恋する切り裂きジェーン
人上がりの死神には「ノルマ」がある。死神になったその日から、死神になるその日までの「ペース」を保ち殺し続けること――それが、人上がりの死神が守るべき唯一にして絶対の「ルール」。
人上がりの死神とはそもそも、生きている間に人を殺しすぎた「人」が死んでしまった後になるものだった。
人としての享年は二十三――若くしてうっかり死んでしまったエスターは、死ぬまでの七年間で百五十人以上の女を殺したどうしようもない人殺し。恐らく生きていればもっと多くの人を殺していただろう。それでも課せられた「ノルマ」は多くとも月に三人。最低でも月に一人――それだけ殺していれば、エスターは永遠に死神のまま、老いることも病むこともない健やかな存在を世界によって約束される。
自ら緩やかな消滅を望むほど世界に対して絶望しても、死神としての生き方を嫌ってもいない――エスターはその日も――偏に自分が存在し続けるため――買い物がてら、次の「獲物」を探して街をぶらついていた。
そして偶然、よく知る顔を見かけた――見かけたのだと、思った。
「ルカ?」
黒く艶やかな長い髪と、象牙色の肌。出るところは出て引っ込むべきところはきちんと引っ込んだ、色っぽいシルエット――加えてなんとなく「それっぽい」雰囲気があって、エスターは雑踏の中すれ違った女をルカなのではないかと思った。けれど半信半疑に呼びかけてすぐ――どうしてルカほど強烈な印象を持つ女へ声をかけるのに「なんとなく」なのか、その理由に思い至って――己の過ちを悟った。
すれ違いざまに気安く声をかけられるような女がルカであるはずなどない。
「――私のこと?」
エスターの呼びかけに応じる形で、振り向いた女はやはりルカに似ていた。磨かれた黒曜石のよう光を弾く瞳から、顔の作りに至るまで――それは到底、単なる他人の空似とは思えないような相似。けれど二人は決定的に別人だと、エスターは――いかにも申し訳なさそうな苦笑いを浮かべながら――行きずりの女と向き合った。
何より振り返った瞬間の途方もなく無防備な表情が、ルカではありえない。
「人違いだったらしい」
「なんだ、ナンパかと思っちゃった」
「悪いな」
ルカは――控えめに例えたとしても――よく手入れされた抜き身のナイフのような女だった。一方、エスターが声をかけた女はまるで嫋やかな花のように笑う。鏡に映したかのよう似通った容姿でも、受ける印象は百八十度と言っていいほどに違っていた。
それでもやはり、女とルカはどこか似ている。姿形の話ではなく、どことなくの雰囲気や纏う空気のようなものが――とても。
だからエスターは、女に少しの興味を持った。
「お詫びにその辺の店でお茶でも奢ろうか」
お茶がてら話をして、抱いた興味が失せたならそのまま殺してしまえばいいと――いかにも死神らしい人でなしの考え方をしながら――エスターは有無を言わさず――それでも、けして乱暴ではない強引さで――女の手を取り、スマートにエスコートするよう歩き出す。女はしばらくきょとりとされるがままになって、それから吹き出すようくすくすと笑い始めた。
「結局ナンパなんじゃない」
断じて最初の一声にそのつもりはなかったが、女が楽しそうにしていたのでエスターも余計なことは言わない。結果的に女をナンパしてしまっているのだから、そんな否定に意味はなかった。
「嫌なら無理にとは言わないけど」
「よく言うわ。あなたみたいなイケメンにつれなくできる女がいると思う?」
「君みたいな美人ならやりそう」
「お生憎様。あんまり美人過ぎると逆に男って寄ってこないものなのよ」
「ふぅん…俺はあんまり気にならないけど?」
「それは、あなたが私と並んでも見劣りしないくらいイイ男だからよ」
目についた店へ入って注文を済ませてしまうと、女は改めて「セラ」と名乗った。普段なら適当な偽名でも教えてしまうところを今日はエスターも偽りなく本名を名乗り――エスターという死神にとってはそれが、これから殺してしまう相手への「礼儀」でもあった――それからしばらくの間、二人は初対面にもかかわらず和やかに会話を繋いでいった。これといって話題に困ることもなく、まるで昔からの知り合いと久しぶりの再会を果たしたかのようだとさえ、エスターは思う。そしてそれは、セラにしても同じ事だったのだろう。
一時間ほど話してすっかり暗くなった外の様子に気付いたセラは、いとも気安くエスターを自宅へと招いた。夕飯でもどうぞ、と――勿論それを、エスターも断ったりはしない。ぜひにと押しかけたセラの自宅は、二人が立ち寄った喫茶店から歩いてほんの十分ほどの場所にあった。
恐らく自分とは帰宅途中に出会したのだろうと――女の一人暮らしにしては簡素なインテリアを眺めながら――エスターは考える。出来上がった料理がテーブルへ並べられる頃には、セラへ抱いた興味の所以などすっかり忘れ果ててしまっていた。
「どうぞ、召し上がれ」
「それじゃ遠慮なく」
それを思い出したのは、食事も終わりかけた頃。気前よく開けられた二本目のワインをグラスに一杯飲み干して、舌先に妙な痺れを感じた直後。
けして見過ごしてはいけないものを見過ごしてしまっていたのだと――手遅れになってようやく――エスターは気付いた。
「う、わ…」
みるみるうちに体の自由が利かなくなり、椅子から崩れ落ち床へと倒れるエスターを、セラは相変わらず親しみに満ちた眼差しで見つめている。それだけでもう、エスターには充分だった。
本来「狩る」側の存在であるはずの死神が、まんまと罠に嵌められてしまったのだと――理解した時には、もうどうしようもなくなってしまっている。
「おやすみ、エスター」
まるで愛しい恋人へ告げるかのよう、甘く囁くセラの声を聞いたのが、最後。
エスターの意識は、そこで見事にぷつりと途切れた。
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