無限交響曲

五里栗栖

第1話

 十三歳の少年、伊丹 圭にとって三木 崇彦という存在は鮮烈であった。

 彼に対する思いは複雑に入り混じっている。憧憬、友情――あるいは、嫉妬。

 新入生代表として答辞を読む三木に伊丹が感じたのは、その猫背気味の背に滲む、弱々しさだった。それもその通りで、彼は別の学区の小学校から進学してきた異端児で、何かと目につくため、同級生からは疎まれていた。

 かくも、人間関係というのは不可思議なもので、陽気で気さくだった伊丹と物静かで言葉数の少ない三木が知り合ったのは、同じサッカー部であったからだった。

 一年生ながら一軍のレギュラーに選ばれた三木と、初々しく基礎練習からはじまった伊丹との差は歴然であったが、二人は自然と交友を深めていった。


 ある日の帰り道、三木がいつも下校中に聞いている音楽について、伊丹が興味を示し、聞き出した。

「BUMP OF CHICKENだよ」と素っ気無く答えられる。

「ばんぷおぶ?」

「バンド。歌詞が良いんだ」

 そう言って三木は、片耳にはめていたイヤホンを外し、ハンカチで拭いたあと、伊丹に差し出した。

 おもむろに受け取り、耳にはめると、ボーカル――藤原基央の優しく繊細だが棘のある声、そしてシンプルで格好良いサウンドが聞こえてくる。

「良い曲だね」と、伊丹は心の底から零した。それに対し、「だろ?」とだけ三木は返事をして、イヤホンを戻す。

 それから、歩き出してから暫くして、「CD、持ってんだよね。全部」と三木は言って、「うち、来る?」と訊ねた。

 伊丹は笑顔で返事して、彼の家へともに向かった。


 連れて来られた三木の家は立派な和風建築で、名士である事をこれでもかと誇示しているかの様だった。

 若く美人な彼の母親に出迎えられ、伊丹は何処か居心地悪く感じてしまう。

 居間には平積みされたDVDやCDで溢れており、”筋肉少女帯”や”ラーメンズ”などの文字が目につく。明らかに、三木崇彦の趣味ではないだろう。

 途中で買ってきたラムネで喉の乾きを潤しながら、中庭の池の方を呆けて眺めていた。

「お前――映画見るか?」と、スイカを二切れ持ってきた三木が、隣に座って聞いてきた。

「スイカ良いの?」

「母ちゃんが食えって」

「母ちゃんって呼ぶんだ」

「いいから……。映画は?」

「全然。面白い」

「良いぞ。誰かの人生を覗き見てるみたいで」

 徐ろに立ち上がり、居間からDVDをいくつか見繕ってくる。

「俺のおすすめは――。狼よさらば、アメリカン・サイコ。それから、タクシードライバーかな……。これは最高の映画」

「へえ。海外のだ」

「スコセッシ知ってるか?」

「スコ……。誰?」

「タクシードライバーの監督。マジモンの天才。俺はスコセッシの撮る映画の登場人物になりたい」

「俳優だ! 将来の夢?」

「いや、そういうのじゃないんだけど……」

「意外だね」

 微笑みながら突飛な事を言う伊丹に、三木はしどろもどろになって聞き返した。

「何が?」

「三木が饒舌になるの」

「普通だろ……」

 不機嫌になる三木を見て、伊丹は舌を出して笑った。

「伊丹くん。ご飯食べていきなさいよ。それから、お風呂も――。あ、客室空いてるの。泊まってく?」と、三木の母親から声が掛かる。

「泊まるのは流石に……。親にも連絡してませんし」と、伊丹が引き気味に返事をする。

「あらそお」と去っていく母親の背中に、「喜んでんな」と三木が零した。

「またなんでさ」

「嬉しいんだろ。俺が友達を家に呼ぶこと、いままで無かったから」

「へえ」と言って、伊丹が笑みを浮かべる。また三木が不機嫌そうな顔になった。

「なんだよ!」

「なんでもない」

 他愛もない会話を続ける二人の背中を、三木の母親は微笑ましげに眺めていた。

 それから暫く、同じ時間を過ごして、帰り際、伊丹は三木からCDとDVDの入った袋を差し出された。

 中にはBUMPのアルバム、シングル数枚と映画のDVDが三本入っていた。

「貸すよ。早めに返せよ」

「ありがとう!」

 笑顔で伊丹は家路についたのだった。


 帰り道、自転車を引きながら歩く伊丹に、小太りの男が話し掛けて来た。

 離婚したばかりの彼の父だ。

 名前を小さく呟く父に、伊丹は顔を向けて素っ気無く答えた。

 意思疎通はとれている。長く一緒に暮らしていただけに、お互いの反応の意味なんて容易く理解できた。

 ため息を吐いて、父は「母さんはどうだ」とだけ訊ねてくる。

「再婚相手が出来たって」と、伊丹はそれだけ答えた。

 父は少しだけ狼狽する。

「僕は好きじゃない」と、続けて言うと、安堵した父を伊丹は情けなく思った。

 だから、「そういうところ」と、一字ずつわざと伸ばして、大袈裟に言う。

「敵わないな。……もう、中学生だもんな」

「今日、友達の家に行ってた」

「どうだった?」

「お金持ち。でも、多分良いやつだよ」

「……そうか。大事にしろ」

 頭を撫でてくる父親の手を跳ね除けて、早足で助走を付け、自転車に飛び乗った。

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