第2話

「Welcome to my LIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIFE!!」

 ハクのスクリームが響く。

 合わせて凄まじく速いリズムをドラムとベースが刻み始め、負けじと人見も速弾きで応戦する。今の彼らの技術を考えると、絶望的なほどに難易度の高い楽曲だ。しかし、そうでなければ挑戦しがいがない。

 Aメロ、高速のリズムとメロディーに乗せて、ハクがラップ調のシャウトを決める。ショウの両脚がバスドラムのペダルを連打し続け、その足さばきは目で追いきれない。カッちゃんの左手も目まぐるしく動いている。一方、右手の親指は弦を叩き、人差し指は弦を弾く。超絶技巧のスラップだ。

 Bメロ、ショウがドラムのテンポを一気に変える。高速ビートから、突然のスローテンポ。これはもう力技である。人見も半ば強引に、速弾きからジャジーな演奏へと移る。もちろん、エフェクターもそれまでの凶暴なサウンドから一転、丸くて歪みの少ないものへと変更済みだ。ハクは絶叫からウィスパーボイスに切り替え、この世のものとは思えない呪詛を吐く。

 そしてサビ。テンポはそのままに、ドラムがチェンジアップ。ショウの両手が連符を刻む。カッちゃんは再びスラップを奏で、人見のギターが泣きのメロディーを響かせる。ハクは再びスクリーム。悲しみと怒りを内包した叫びだ。

 四人の音楽的な指向は完全に一致している。

 メロディックデスメタル。俗に「メロデス」とも呼ばれる。

 一般的に言うロックから、よりサウンドを激しく、荒々しいものにしたものがヘヴィメタルである。それが拡大していく中で、デスメタルという派生ジャンルが生まれた。ボーカルはクリーントーンをほぼ排除し、シャウトやスクリームをとどろかせる。いわゆる「デスボイス」である。ちなみに「デスボイス」は和製英語で、海外では通じない。

 絶叫するボーカルに激しいサウンド。デスメタルにおいては、その名の通り、禍々しい音楽が数多く生み出されていった。しかし一方で、より極端な方向性ばかりを模索するのには限界が訪れた。これ以上、凶暴にすべき点が見つからなかったのである。

 そうして、北欧を中心に「メロディックデスメタル」が生まれた。

 凶暴さを追求するのではなく、デスメタルにドラマ性をもたせようという試みである。

 キーボードやオーケストラを活用したシンフォニックな演奏、あるいはギターによる泣きのメロディーを多用し、そこにデスボイスを乗せる。そうすると、過激なパフォーマンスとしか見えなかった叫びが、抒情的な慟哭へと変貌する。

 人見をはじめとする四人は、このメロデスに心底惹かれていた。もとは人見がこの洋館で、残りの三人にメロデスのCDを聴かせたのが始まりだ。

 演奏が最後の山場に差し掛かる。

ハクがスクリームを放った。それはただの歪ませた声ではなかった。重い悲しみを背負った、獣の泣き声であった。


 練習した曲の演奏ばかりでは時間を持て余す。何よりハクの喉、ショウの腰、そしてカッちゃんと人見の手首がもたない。

 そんなとき、作曲がよい休憩となる。互いに自分で作ったメロディーやリズムのパターンを聴かせ合い、そこから発想を膨らませていく。さらにその膨らませた発想を奏でてみて、四人のうち一番好評だったものを本格的に曲へと昇華していく。

 今はちょうどその「発想を膨らませる」段階に当たる。

 人見はここぞとばかりにコートを羽織って、いつものコースを散歩していた。数日前の豪雪は落ち着き、積もった雪もだいぶ水気を帯びている。そのせいもあってか、昨日までと比べほんのりと暖かい。

 洋館の裏まで来ると、なんとなく気になって、隣の貸別荘を眺めてみる。

 ちょうど女性が戸口から出てきたところだった。荷物を何も持っていないところを見ると、向こうも散歩だろう。

 見知らぬ人間がじっと見ていたら不安にさせてしまうと、人見は慌てて立ち去ろうとした。しかし、間に合わず、女性とばっちり目が合う。

 女性にとっても予期せぬことだったらしく、二人ともしばし固まった。

 人見はぎくしゃくと体勢を立て直し、軽く頭を下げる。

「ど、ども、こんちは」

「こんにちは」

 透き通ったきれいな声だ。

 挨拶も交わしたことだし、これで終わりかと思ったが、女性は人見の方へ近づいてきた。

 人見も慌てて女性の方へと高台を下る。

「ぬあああっ」

 凍った斜面に足を取られ、人見は盛大に転がった。でんぐり返しの要領で数メートルを進み、顔を上げると心配そうにのぞき込む女性がいる。

 彼女の足元まで転がっていったのだ。

「大丈夫ですか?」

「は、はひ、だいじょぶれす」

 恥ずかしさで舌がうまく回らない。

「コートも濡れちゃいましたね。よかったら、中で乾かして行ってください」

 人見は目を見開く。

 人生で初めて、彼は女性の部屋に誘われているのであった。


 女性の名前は松本輝美と言った。

 見目麗しく、聞くとアイドルの卵をやっているらしい。

「私、『エーテル☆メープル』ってグループに所属しているんです。まだ知名度はほぼないんですけど。七人のメンバーがいて、その一番端っこです」

 公式ホームページを見せてくれる。確かに、チアリーダーのような衣装で笑顔を浮かべる七人の一番左端に、彼女の姿があった。

「今は休暇中ですけど、私、カンヅメなんです」

「カンヅメ?」

「ええ。『エーテル☆メープル』は一人一人に役割分担があって、たとえばセンターのこの子は広報担当。ポスターのデザインとか、広告戦略とかをすべて担っているんです。隣の子は演出担当。ライブの演出はすべてこの子が考えていて」

 どうやらセルフプロデュースに力を入れたグループらしい。しかし事務所には所属しているという。

 セルフプロデュースを売りにしていることをいいことに、事務所が手を抜いているのではないか。口には出さないが、人見は少し渋面を作る。

「なるほど。それで、カンヅメということは松本さんが――」

「作詞作曲です」

 これまでリリースされた曲は、すべて彼女の手によるものだという。すさまじい才能だ。

 見せられるままにいくつかのプロモーションビデオを試聴したが、歌唱力に難はあるものの、楽曲としての完成度は高い。

 人見がそれを伝えると、松本さんは心底嬉しそうに笑みを浮かべた。

 しかし、その表情に影が差す。

「でも、曲が作れなくなっちゃったんです」

「作れなくなった?」

「ええ。今年の8月に、中部地方豪雨・大水害がありましたよね」

 ああ、と人見は首を縦に振る。非常に大きな災害だった。

 なんとなく合点がいく。アーティストたるもの、考えない者はいなかっただろう。こんな大変なときに、歌っていてよいのか。この状況を前に、自分の曲が何の役に立つというのか。

 結局、誰もが一度は、ある考えにたどり着く。

 ――音楽では、人を救えない。

「大災害を前にして、作曲に迷いが出てしまったわけですね。困っている人がたくさんいる中で、歌なんか作っていていいのかって」

「そう、そうなんですっ」

 なんで分かるんですか、とうるんだ瞳で松本は言う。長い間、葛藤を一人で抱えていたに違いない。

「でも事務所からは、むしろ応援ソングでも作って売り出してみたら、と提案されてしまって」

 どうやら、少しまともでない事務所であるようだ。ほんの三、四か月前に起きた災害を題材にした応援ソング。人によっては不謹慎極まりないと感じかねない提案である。

「メンバーの中にも理解を示してくれる子はいて、一緒に事務所の方にも伝えたんです。だから、応援ソングの話自体はなくなりました。でも、それでも私には曲が作れない。マイナーなグループですから、このカンヅメで先が見えなければ、『やめれば?』って話になっています」

「……」

 返す言葉がない。

「ごめんなさい、暗い話をしちゃいましたね。ここで一人、気の進まない曲作り……。しかも、油断すると災害のことが頭をよぎってしまいます。気が滅入って散歩に出ようとしたら人見さんとお会いできたので、急に人恋しくなっちゃって」

「話しかけようとしたら、僕の方から転がって来たと」

 あはは、と彼女は笑い声を上げる。

「びっくりしましたよ。でも、おかげで元気が出ました」

 まだ少し空元気のような気もするが、それでも彼女は笑顔で力こぶのポーズをとった。

 転がった甲斐がありました、と人見も笑った。


「何度目のため息だ、恋わずらい」

 ハクが茶化すように言う。

「わずらってねえよ」

「でも、その事務所ってところは結構やばいな」

 ハクの言葉に、カッちゃんがうんうんとうなずく。

「ほんの三、四か月前の災害だもんね。それで応援ソングを、と言われても」

「しかし、応援ソングそのものは作らなくてよくなったんだろう?」

 ショウが言うものの、人見は首を振った。

「応援ソングを取りやめたからいいってわけじゃない。今の彼女に曲を作れっていうのが酷だよ。たぶん、まだ自分の気持ちを消化できていないから」

「気持ちとは?」

「災害のことだよ。大きな悲劇を前にして、音楽に携わる自分の気楽さや、音楽の無力さを痛感する。それを一回整理しないと、次の曲なんてできない」

 人見の言葉に、ハクは「同感だね」とうなずく。

「でも、それならどうやって気持ちを整理するんだ? 本来なら時間をかけながら自分で折り合いをつけていくべきだと思う。でも、今のままだと、そんな猶予はもらえそうにないんだろう?」

「そうなんだよ」

 人見はうなだれた。

 沈黙が流れる。頭を抱える人見の周りで、残りの三人が顔を見合わせる。

「人見はどうしたの?」

「どうしたって?」

「どうやって消化したのかってこと」

 カッちゃんの問い掛けに、人見は顔を上げる。

「どうしたんだっけな。俺もだいぶ凹んだけど……」

 しばし考えた後、「あ」と声を上げた。

「直後に、ちょうどここへ来たんだよ。で、お前らと久々に会って――」

 久々に会って、人見は自分の迷いを打ち明けた。三人は口々に人見を励ました。誰一人として的を射たアドバイスなどできなかったが、それでも人見の気持ちはかなり軽くなった。

 そして、いつものように、四人でセッションを繰り返した。難曲を練習し、ギターをかき鳴らすうちに、迷いが少しずつ晴れた――ような気がする。

 人見は立ち上がった。

「うん、ちょっと俺にもできそうなことがあるな」

「いいんじゃないか?」

 ハクが嬉しそうに言った。


 機材を山ほど抱えてやって来た人見を見て、松本さんは困惑顔だった。

「どうかしたんですか?」

「迷惑かもしれないんですが、僕にできることを考えたんです」

 貸別荘の床に、機材をドサドサと置く。ギターにエフェクター、アンプ。それに何本ものシールドと、ノートパソコン。

「一緒に曲を作りませんか?」

「でも、私、曲は――」

「グループのための曲じゃないです。松本さんのためだけの曲です」

 松本さんは目を見開いた。

 彼女が苦しんでいるのは、ビジネスのための音楽と自分のための音楽を区別できていないからだ――人見はそう推測した。

応援や鎮魂を抜きにして、彼女自身のために、大災害を乗り越えるための曲を演奏しなければならなかった。

「当然ですが、これから作る曲が世間に出ることはありません。加えて、松本さんにもカンヅメの期日があると思うので、今日一日で終わらせます」

人見はすでに、パソコンの作曲ソフトでいくつかのアイディアを完成させていた。一晩で十分だった。

「もちろん、迷惑ならこれ以上深入りしません。どうですか?」

 松本さんの返事は速かった。

 そこからは、一日中音楽漬けだった。人見の作ったメロディーラインをパソコンで流し、松本さんが好みのものを選ぶ。さらに、そこへアレンジを入れていく。

 彼女が選んだのは、ピアノを主体とした、はかなげなメロディーだった。

「私の今の心境にぴったりなんです」

 彼女は言った。

 二人で相談し、一回目のAメロ、Bメロ、サビはピアノとボーカルだけで構成することにする。ドラムやベース、ギターが入るのはいわゆる「二番」からだ。

 Aメロには人見の作ったメロディーラインをそのまま用い、Bメロは松本さんが考えた。はかなげなAメロから雰囲気をがらりと変えた、ダークでスリリングな展開。

 これまで曲が作れなかったことなど嘘のように、松本さんはするするとBメロを完成させてしまった。

「グループのことを考えると、こんなダークな展開ってなかなか使えないですから」

「いいと思います。好きなことを好きなだけやっちゃいましょう」

 その後のサビはなかなか難しかった。Aメロと同じはかないメロディーを奏でるのか、それともBメロのダークな雰囲気を踏襲するのか。

「私、転調してドラマティックにしたいです」

「そうですね。でも、それだとなんだか元気な感じになっちゃいますね」

「んー、元気なのはなんだか違うんですよね」

 二人で意見をすり合わせたところ、方向性は「はかなさとダークさの両面」で決まった。

 パソコンでいくつものパターンを入力し、聴くことを繰り返す。しかし、どれもしっくりこない。

「人見さん、ギターを弾いてみてもらえますか?」

「え、ギターですか?」

 ギターが入るのは「二番」からなので、なんとなく使わずにいた。しかし、促された人見は素直にギターをケースから出す。

 とげとげしいギターのフォームを見て、松本さんは笑みを浮かべた。

「なんだか、人見さんのイメージと違いますね」

「でしょ。こういうのが好きなんです」

 アンプやエフェクターをセットし、ギターを肩に掛ける。

 パソコンから、もう一度AメロとBメロを流す。はかなさ――悲しい出来事への無力感。ダークさ――「応援ソングで儲けよう」。

 それならば、サビに来るのは悲しみと怒りの咆哮であるはずだ。

 人見の両手は、自ずと泣きのメロディーを奏で始めた。悲痛なコード進行を、メロディックデスの典型的なテクニックで弾き進める。

 ドラマティックに、しかしクサくなりすぎないように、ギリギリのラインを攻める。これを間違えると、演歌になってしまう。

 松本さんは両頬に手を当てて聴き入っていた。

 弾き終えると、彼女の拍手が響く。

「私、今の演奏で歌いたいです」

「え、本当に?」

「はかなさとダークさの両面。ぴったりじゃないですか」

 彼女はもうこのメロディーで行くと決めたらしい。

 作曲ソフトに早速打ち込んでみましょう、何ならギターの音を録音して重ねましょうと瞳を急かす。

 そこから、作業は急ピッチで進んだ。

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