The Backrooms (His Experience)

八重垣みのる

8:14


「やっべ、バスに乗り遅れちまう!」


 俺はしがない高校生、高崎歩夢たかさき あゆむ。それでもって、遅刻の常習犯だ。

 いつものようにマンションの階段を駆け下りていた。こういうときはエレベーターよりも階段を一段飛ばしで行くに限る。

 ふと、提出課題をカバンに入れ忘れたんじゃないか? と思ったとき、階段の途中でつまずいて、そのまま顔面から踊り場にダイブする格好になった。


 明らかに、目の前がスローモーションになったように感じた。


 あ、これヤベーな……怪我するわ、と思った直後、目の前が一瞬真っ暗になって、地面にたたきつけられた。


「いっ痛ぇな、おい」


 身体をさすりながら起き上がってみて、おかしなことに気づいた。


「え……ここ、なんだよ」


 黄色い壁とカーペットの床。

 なんだか湿っぽくて、カビ臭いような感じがして、天井では、チリチリ、ジリジリという感じに雑音を放つ、白い蛍光灯の照明……。


 さっきまでマンションの階段にいたはずなんだが、ここはどこだ?


 俺は辺りを見渡す。異常だ。どこもかしこも黄色い壁が、迷路みたいになっていた。

 すぐ近くには、階段を降りるときまで肩にかけていたカバンが転がっていた。拾い上げて確かめる。

 俺のだ。中は教科書とノートと筆記用具だけ。弁当と水筒は無し。昼飯は、今日は売店で買うつもりでいた。


 それから気づいた。


”BACK ROOMS”


「え……これって、ここ、まさか、あのバックルームズ?!」


 そんなまさか!


「でも、いやいや、待てよ待てよ……バックルームズって、あの黄色い奥の部屋って、そもそも都市伝説ってか、4chanとかいう海外の掲示板の投稿が元ネタの創作じゃねぇのかよ!」


 これは夢じゃないか? そう思って、ベタながら頬をつねってみる。痛い……。それにだいたい、この現実感は夢じゃない。夢には思えない。


 もう一度、周囲を見渡す。人の気配はない。蛍光灯のジージーって感じの雑音だけが耳につく。


「これ、マジ? マジなのか? 本当に存在するものだったのか?」


 それから俺はズボンのポケットからスマホを取り出した。


 時刻は八時二十分。電波は……圏外だ。夜から朝まで充電していたから、バッテリーはまだ100%残っている。


「よし、よし、まずは落ち着こう……」


 俺は深呼吸した。あまり心地よい空気ではなさそうだ。


「そ、そうだ。スマホで動画を撮ってやろう」


 スマホを出してカメラの動画モードを起動する。で、なにをどんなふうに喋るんだ?


「ええ、うん……今、信じられないんだが、俺は、バックルームズやつに来てしまったらしい。俺は、今朝、マンションの階段を駆け下りてたんだけど、そこでこけて、どうやらそれで来てしまったみたいだ。これじゃあ、学校に遅刻とか、そんなレベルじゃない」


 そこで思わず動画撮影を止めた。


 レベル……そうだ、このバックルームというやつは、レベルがあって、こことは雰囲気もなにもかも違うような場所がいっぱいあるんだ。

 それで、危険なところもあれば安全な場所もある。そのなかには、たしか現実に戻れる扉とか出口とかもある、とかいう話だった気がする。


 もう一つ思い出した。

 危険といえば……エンティティ。とにかく凶暴。よく分からん化け物で、人間を襲う。

 そして、そうだ、このレベルにもいる。


 思わず壁際に背中を寄せてあたりを見回した。まだ、変な物音とか、足音だとか、化け物の叫び声とかみたいなのは聞こえないし、感じない。


 ヨウツベの動画で見たぞ。デカくてトゲトゲした感じの、不格好な棒人間みたいなエンティティ。けっこうなスピードで走って追いかけてくる。しかも、気味の悪い叫び声をあげて。

 そなのには出会いたくはない、絶対に! あんなのから逃げる自信なんかない。


 そいうや、ヨウツベの別の動画では、A‐syncとかいうアメリカ企業が、人口増加と不動産高騰への解決策として異次元の研究をしてて、その実験で発見されたのが、このバックルームズだとかなんとかいう話もあったな。


 まったく、行くのはやめておきたい異世界ナンバーワン。なのに、来ちまったわけだ!


「信じられない……。あれだ、だって……、きさらぎ駅とかといっしょで、これはフィクション。そういう設定がある、ってだけの話じゃないか」


 だが、これが夢とは思えなかった。朝起きて、ここに来るまでの一連の流れを、はっきりと覚えている。

 今朝は、相変わらずギリギリの寝坊で、慌てて制服に着替え、カバンとスマホを引っ掴んで、キッチンで野菜ジュースをコップ一杯一気飲みしてから出た。それでコンクリートの階段でつまずいて顔面ダイブ。


 そして、ここに来た。

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