第33話 彼女のいない馬車の中(リュナン編)


 ♦ ♦ ♦


「ねぇ、今日なんか肌つや良くない?」

「それ、男に言う台詞か?」


 二人きりの馬車の中。それはいつもより静かで、微妙に居心地が悪い。

 そのせいか、はたまたバルサが持ち出した話題のせいか。

 頬杖をついた俺は半眼を向ける。


「おまえしかいないなら、別に馬車で迎えに来んでも良かったんじゃないか?」

「僕、乗馬得意ってわけじゃないし」

「俺が後ろに乗せてやろうか?」

「それ、男に言う台詞じゃないよね?」


 そんな軽口に意味はなく、バルサは持ち帰りの仕事があったのだろう。何やら書類を取り出して、それに視線を落とした。


「で、昨日寝たの?」

「……寝たな」


 ――嘘は言ってない。


 たとえ俺の視線が泳いでいたとしても、書類を見ているバルサは気づかないだろう。案の定、彼はひゅ~と口笛を鳴らした。


「おめでとう。大丈夫? ノイシャさん痛がってなかった?」

「たとえ男同士でも、そういうことを話すものではないと思うが」

「えぇ~。職場以外で二人っきりとか、久々じゃん。たまには男同士腹割って話そうよ~」

「おまえと腹割って話したことなんてほとんどないだろ」

「うわっ、ひど。十四年も友達しておいて、未だ本性晒してくれないだなんて」

「無理してテンション上げんでいいぞ。それこそラーナがいないんだから」


 そこでようやくバルサは書類を、いつもはラーナが座っている席に置いて。だけど外を眺めながら、決して俺と目を合わせようとはしなかった。


「……ラーナさ、具合悪いって言いながら、別に熱も何もなさそうなんだよね」

「つわりじゃないか?」

「僕がからかったの根に持ってるでしょ?」

「結婚した二人なんだから、遠からずそういうことだってあるだろ」

「リュナンちは遠そうだけどね」


 ――バレてるのか?


 ささやかな虚栄が商人の審美眼で見抜かれているのではないかとドギマギしながら、俺は何喰わない顔を装って苦笑した。


「あいつが仕事をサボりたいとか珍しいな」

「うん。なんか聞いてない? 僕、最近自分の部署内のことだけで手いっぱいで」


 その問いかけに、俺は肩を竦めた。


「特に何も。そもそも、俺はラーナと二人きりで話すタイミングなんてそうそうないぞ」

「あったでしょ。うちに遊びに来た時に」


 バルサと目が合う。

 ラーナに呼び出されて『ノイシャのことが嫌い』と宣言された時のこと――バルサがこう探りを入れてくるということは、彼女は自分の旦那にそのことについて話していないということ。


 ――おまえらだって、人んちのこと何も言えんだろうが。


 そんな皮肉を、バルサにぶつけるのは酷だろうから。


「……別に。あれは仕事とかこつけた男としての不出来さを指摘されてただけだ」

「ふ~ん」


 嘘でもない、上っ面の事実を述べれば。気のない返事のあとに予想外の返しを受けた。


「実は僕さ、結婚する前にノイシャさんに会ったことあるんだよね」

「え?」

「ノイシャさん、僕のこと覚えていてくれたんだ。嬉しかったなぁ。これからも仲良くやれそうかも」

「どういうことだ?」


 思わず、眉間に力が入る。そんな俺にバルサが困ったように笑った。


「そんな怒らないでよ。友人の奥さんと仲良くなりたいって、そんなに不思議なこと?」

「…………」

「ラーナはそれを望みたかったんだと思うんだよね。そうすれば、僕らはずっと今まで通り仲良く一緒にいることができるだろう?」


 バルサは書類をカバンにしまいだした。そしてやはり、俺のことは見ない。


「でもラーナには悪いけど……ずっと三人仲良しこよし、僕は嫌なんだよ。ずっと前から」


 その時、城に着く。御者に扉を開けてもらい、いつも真っ先に下りるラーナが今日はいない。


「あ~あ、今日も仕事か。やだな~」


 馬車から先に下りて、身体を動かすバルサはとってつけたかのように「そういや、ノイシャさんからの聞き取り調査ありがとね」と礼を言ってくる。『元聖女からの聞き取り調査』として『ノイシャ=アードラに何も関与なし』と記した書類を提出したのは、つい最近のこと。


 バルサに「あぁ」と応えてから、俺も馬車を下りながら愚痴る。


「俺も。全部忘れて、ぐーたらしたいな」


 あぁ――今日も青い空が、嫌みなまでに美しい。

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