第3話 玉子焼きと友情

 翌日から、美蘭と空は昼休みを保健室で一緒に過ごすようになった。最初の数日は自習室に迎えに来る空に戸惑っていたが、彼の明るい笑顔と人懐っこさに美蘭もしだいに心を開いていった。

 出会ってから二ヶ月、二人は互いに名前で呼び合うほど打ち解けていた。


「うん! やっぱり美蘭のお母さんの玉子焼き最高!」

「そんなに? 空が褒めるから、お母さん玉子焼き倍作るようになったんだよ」


 向かい合う二人の間には、弁当箱が置いてある。中身は玉子焼きのみで、空に褒められ気を良くした美蘭の母が多めに作ったものだった。空は今日も玉子焼きを頬張り、幸せそうに噛み締めている。


「毎日僕の分までありがとう」

「それはお母さんが好きでやってるんだからいいの」


 この会話も、最低で週に一度は必ずある。中学の頃の友人とは違うタイプだが、美蘭は彼のこの素直さや正直さに救われていた。引っ越しなんてしたくなかったと思っていた美蘭にとって、この町に引っ越してきて良かったと思えたのは空との出会いが大きい。


「あ、でも明日は僕、病院だから休みだ」

「そっか。心臓の?」


 空は心臓の疾患と喘息があり、体調が不安定になることがあるため、保健室に登校していると美蘭は説明されていた。実際に風邪をひいて数日休んだり、咳が止まらず薬を吸入している場面もあった。


「うん。またきっと手術の話じゃないかなあ。嫌だなあ」

「手術かあ……」

「難しいものではないんだ。四、五日で退院できるし術後一ヶ月だけ激しい運動を控えるって、今の生活と変わらないしね。どのみち喘息持ちだからそっちを気をつけるのは変わらないし。でも、そうなると余計にわざわざ手術なんてする必要あるのかな? って気持ちになるんだ。それに……」


 珍しく空が続きを言い淀んで、唇をアヒルのように前に出し尖らせていた。美蘭がうつむく彼に視線を合わせて「それに?」と聞き返すと、尖った唇を小さく開く。


「入院してる間、美蘭に会えなくなるのは寂しい」

「それなら、会いにいくよ」

「ああ、やめて、逃げ道がなくなる」

「私をダシに使わないの」


 美蘭は空の頭に手を乗せ、同い年とは思えない可愛らしい友人を励ました。中学の頃、よく同級生や後輩をこうして慰めたり励ましたりした事を思い出す。


「はあい。けど、美蘭に会えない日が寂しいのは本当だよ。だから明日、僕は寂しい」

「……私も。空は、この学校でできた唯一の友達だからね」

「美蘭……」


 美蘭が優しく笑いかけると、空は僅かに頬を染め、目を潤ませた。幼い頃から学校に満足に通えていない彼は、きっと友人とここまで関わることも少なかったのだろうと考える。


「ねえ空。明日何時に病院終わる?」

「多分、十六時頃だと思う」

「じゃあその頃トーク送る! それなら寂しくない?」


 美蘭の言葉に、空は「うん!」と首を縦に振り満面の笑みで答えた。美蘭にとっても、空に会えない明日を乗り切る楽しみができ、自然と笑みが溢れた。


◇◆◇◆


「ただいま!」

「おかえり、美蘭! 今日は学校どうだった?」


 毎日、その日の様子を聞くのは母の日課となっていた。空との話を楽しそうに聞いてくれる彼女に、美蘭の声色も当初よりずいんぶん明るくなっている。


「楽しかったよ。あ、お母さん明日は空、用事で休みだから玉子焼きは無しね」

「あらそうなの? 寂しいわあ。あ、美蘭、今度空ちゃん家に連れてきてよ」

「え? 空を?」


 美蘭の表情が一瞬こわばる。母に気づかれないよう顔を背けると、彼女は気づかないまま話を続けていた。


「そうよ。学校で一番仲の良い子でしょ? ほら中学の頃はよく友達連れてきてたじゃない」

「ああ、うん。聞いておくね」


 美蘭は動揺を隠し、逃げるように自室に戻った。着替えはしないまま、ベッドに転がり、大きく息を吐いた。


「どうしよう……」


 可愛らしくて人懐っこい空を母が気に入るのは間違いない。問題は話好きの彼女に、学校生活のについていろいろ聞かれる事だった。教室の様子なんて、教室に行っていない美蘭と空にはわからないのだ。

 夏休みを控え、美蘭はこの大きな問題に頭を痛めため息をついた。

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