第2章 影打・南紀重國の刀と由良さんの秘密

刀とあやかし文化財パトロール

本物の日本刀を手入れする様子を見るなんて、もちろん初めてのことだ。


刀そのものは、博物館の展示ケース越しには何度も目にしたことがある。

けれど遮るものもなく眼前にあるそれは、工芸品というよりむしろ命を宿した何かのようだった。


緋袴の装束姿の由良さんが、端座して口に懐紙をくわえ、刀身全体に打ち粉を打っている。

打ち粉とは、時代劇なんかで侍が刀をポンポンと叩いているあのぼんぼり状の道具のことだ。


球の中には細かい砥石の粉が詰まっていて、刀に付着した古い手入れ油を吸着する効果がある。


さっき初めて知った。


粉を打ち終えた由良さんはそれを拭い取り、新たに丁字油を薄く塗って刀身を検めた。

口に懐紙をくわえるのは、息をかけて錆を起こすことを防ぐためだそうだ。


立てた刀身にハバキをかけ、白木の柄をはめて下からその頭をぽんっと掌で打つ。

柄となかごには穴が開いており、そこに竹製の目釘を打って固定した。


白鞘にそろりと納刀し、丁寧に刀架へと戻すと、傍らで見守っていたご当主に会釈をした。


人の好さそうなお爺ちゃんが顔をほころばせ、手をついて由良さんに礼をしたので、わたしも慌ててお辞儀をした。


ここは和歌山の最北東端、橋本という古い町にある山手の旧家。

かつての豪農のお家というのだろうか、広い土間があってむき出しの梁には曲がった太い原木が渡されている。


わたしの育った北海道では見ることのない造りで、たいへん興奮してしまった。


「お手入れはこれで最後の一振やったさかい。ほいたら"南紀さん"のしめ縄替えさせてもろとくよ」


地の言葉で由良さんがそう言うと、ご当主は何度も頷いて「ほんに、世話かけるよう」とのんびりした声で労った。


この土地の方言では、基本的に目上の人にもあまり敬語を使わない気がする。

生徒たちからして教師のわたしにそうなので最初は面食らったけれど、なんとも親しみのある言葉づかいがすっかり好きになってしまった。


刀を手入れした座敷を出、ご当主と由良さんについて渡り廊下から離れへと向かった。

石燈籠のある庭は少し荒れているようだけど、満開のツツジが目にも鮮やかだ。


なぜわたしが由良さんにくっついてこうしているのかというと、あの日カフェ暦にやってきた「刑部佐門おさかべさもん」と名乗った男の話に起因している。


「"対あやかしの文化財パトロール"、引き受けてくれませんやろかあ」


今日の掃除当番代わってくれへん?くらいの軽いノリだったけれど、「和歌山県教育委員会 特務文化遺産課」と記された名刺を出した刑部氏の語るところは次のとおりだった。


和歌山県下にある多くの寺社仏閣や、古墳などの古代遺跡といった文化財には、人ならぬ異形に対する結界として機能しているものがある。


通常の史跡や記念物、工芸品など国や県からの指定を受けたものは各自治体や博物館などが管理しているが、その保全も専門職員だけでは手が回っていない。


そこで、その業務をサポートする「文化財保護指導委員」、通称「文化財パトロール」と呼ばれる要員が多数配置されているのだ。


文化財に知見のある公務員や、まれに民間人も自治体の推薦で就任し、指定文化財だけではなく埋蔵文化財包蔵地などの見回りも担っているという。


これが表向きの文化財パトロールだとすると、その裏側にあたるのが刑部氏のいうお仕事のようだ。


つまり結界や鎮壇具として機能している文化財を見回り、異常があったらそれを報告する"あやかし文化財パトロール"……。


「ちょっと待ちいや、刑部!藪から棒にそない言うて、あかり先生かて困るやろ。こないだはほんまに危なかったんや。私が……不甲斐なかったからな。せやから、もうこれ以上危険な目えには遭わせたないんじょ」


由良さんが強い調子で割って入り、わたしは少しびっくりしてしまった。

が、状況はよくわかった。

由良さんのいう"お話がある"とはこのことで、刑部氏のスカウトを断り、わたしを怪異がらみの危険から遠ざけようとしてくれているのだ。


刑部氏は相変わらず満面の笑みを浮かべ、うんうん、と何度も大きく頷いておいてこう続けた。


「そやけど、あかり先生はこないだモロに鬼と関わってしもたんやろ。これから先、大なり小なりあやかしに狙われるかもしれへんで。魂の匂いを覚えられたさかい。せやからむしろ、"こっち側"になってもろた方が安全やして。由良さんかて、わかってはるでしょう?

大丈夫!ぼくらぁがきっと守りますさかい!

こないだはまさかの事態やったけど、ほんまは由良さんめちゃめちゃ強いんやでえ」


そう言って、刑部氏はぎゅっとわたしの手を握りしめた。

由良さんがもう一度「チッ」と舌打ちする。


具体的に何をすればいいのかは全然わからないけれど、先日の出来事は実際に子どもたちに危険が及んだ。


もしそうしたことを防ぐ一助になるのなら、わたしはわたしの出来ることから逃げたくはない。

いつの間にかわたしは刑部氏の手を握り返しており、それに気づいた彼はふいに真剣な目をして、力強く頷いた。



――と、こうした経緯であやかし文化財パトロールの任に就いたわたしの初仕事が、この旧家での刀拝見と相なったのだった。

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