3-②
「この時間、オフィスに入るのは地下一階の通用口からになり、警備員にチェックされるんだ。入館記録に残ってしまうから、今日はこれからウチに向かうよ」
大門はそう言うと、隣に座った三条を「お疲れ」と労った。
「土屋課長と加藤主任は終始二人だったね?」
「はい。ずっとテーブルについていましたから間違いないです」
「支払いはいつものとおりツケで、五万円を超えないように二枚に分割してほしいと」
「はい。日付はブランクでした」
「……あ」
五万円。その金額にピンとくる。
「わかった?」
と、後部シートから大門が問い掛けてくる。
「課長決裁にするためですか?」
五万円以上だと部長決裁になる。それを避けるためか、と気づいたと同時に、その理由にも気づく。
「あ、もしかして彼らは自分たちだけで行ったクラブの支払いを、接待費として処理しようとしているんでしょうか」
「正解だ。初日にしては理解が早い」
振り返った後部シートでは、大門が満足そうに笑っている。自分で答えておいてなんだが、本当にそんなことを考えていたのかと僕は、記憶に刻み込んだ自動車六部の土屋と加藤の顔を思い起こした。
「今日の支払いは?」
「六万三千円です。それを二分割しました」
大門の問いに三条が答え、バッグからスマートフォンを取り出して画面を示す。
「これが請求書の控の写真、これが二人で飲んでいるという証拠写真です」
「いつもながら完璧だね」
さすがだ、と感心する大門に、三条が淡々と言い返す。
「明日もあるので私はこれで失礼してもいいですよね?」
「ああ。もちろん。君を送ってからウチに向かうつもりだったよ」
大門の言葉に三条は「どうも」と軽い調子で礼を言っている。しかし変われば変わるものだと、僕はついバックミラー越しに彼女の顔を見てしまっていた。と、視線を感じたのか、ミラー越しに目が合う。
「なに?」
「いえ、その、驚いてしまって」
がらっと変わった外見にも驚いているが、彼女の態度にも僕は驚いていた。上司に対するものではないような。語尾こそ『ですます』だが、敬っている感じはしない。
「副業禁止なんじゃないかとか、そういうこと?」
三条の眉間の縦皺が深まったのがわかる。
「態度が悪いとかそういうことじゃない?」
なぜか大門は今回も僕の考えを正確に読み、朗らかな口調でそう確認をとってきた。
「ああ、だって私、派遣だもの。上司部下ってよりは対クライアントって認識なのよ」
「それだともっと敬ってもいいような……」
ぼそ、と桐生が運転席で突っ込みを入れる。
「なに?」
彼に対しても三条の態度は大きかった。
「いや、なんでも」
桐生が僕に向かって、やれやれというように肩を竦める。車は晴海の高層マンションが立ち並ぶエリアへと向かっているようだった。ツインタワーになっているマンションの車寄せに入っていくので、もしやと思っていると、やはりそこが三条の住居らしく、「どうも」とまたも軽く礼を言い、車を降りる。
「明日、出社は十時でいいですよね」
「フレックスだね。オッケー」
大門に許可を得たあと、桐生と僕にも一応「失礼します」と軽く頭を下げ、マンション内へと入っていく彼女の後ろ姿を、思わずまじまじと見送ってしまった。
「あれ? もしかして恋しちゃった?」
桐生が横からからかってくる。
「いえ、ドラマみたいだなと……」
地味な外見の女性が実はとびきりイケてるスーパーウーマンだったなんて、本当にドラマや小説のようで、驚いてしまう。
「それを言ったら我々の仕事もドラマみたいだよね」
桐生は笑ってそう言うと、車を発進させた。
「大門さんの家も晴海の高層マンションなんだよ」
「僕は低層階だけどね」
桐生が説明してくれたのに、大門が言葉を足す。
「三条さんは五十八階建ての五十二階だったっけな。僕は七階。地震で懲りたんだよね。エレベーターが停まっちゃって」
そんな会話をしているうちに、大門の住む高層マンションに到着する。
「来客用の駐車場がこの時間なら空いてるはずだ」
駐車場は地下にあり、大門の言う通り『来客用』と書かれた場所は空いていた。エレベーターで七階に向かい、大門の部屋を目指す。
「何もない部屋だけどどうぞ。冷蔵庫に水くらいはある。腹が減っているなら、冷凍食品があるよ」
「餃子焼きましょう。好きなんですよ、あれ」
桐生は慣れたものなのか、嬉々としてキッチンへと向かっていく。
通された部屋は1LDK――なんだろうか。広々としたリビングダイニング以外に何部屋あるかはわからなかった。本人が言うとおり、ダイニングテーブルに椅子が四脚、リビング部分にはソファとテレビがあるくらいで、本当に何も物がない。
「こんな時間に食べたら太るぞ。それに君は車だろう。餃子をビールなしで食べるのか?」
「あーそうか。仕方ない、水だけで我慢しますよ」
桐生が残念そうな声を上げつつ、ミネラルウォーターのペットボトルを三本手に戻ってくる。
「すみません!」
自分の分まで持ってきてもらってしまった、と彼に駆け寄り、受け取ろうとすると、
「体育会系の上下関係は苦手って言ったでしょ」
と返され、「はい」とペットボトルを手渡された。
「ありがとうございます」
「それじゃ座って。今日の報告会と今後についての会議を始めるよ」
大門がスーツの上着を脱ぎ、それを椅子の背にかけ座る。桐生もそうしたので僕も倣うことにした。
「自動車六部で、私用飲食を接待費として処理しているという噂を桐生君が聞きつけてきてね。調査した結果、二課の土屋課長と加藤主任の名があがった。あの銀座のクラブに土屋課長の愛人が勤めていて、売上げに貢献する意図もあったようだ」
「愛人が誰かということも、三条さんなら突き止めているんでしょうね」
「当然。本人から裏を取ったと言ってたよ。潜入二週間でそこまで突き止めるのはさすがとしか言いようがないよね」
大門の話を聞き、僕も心底感心すると同時に、一体彼女はどういう人間なんだろうという疑問も覚えていた。
派遣社員ということだが、こうして潜入捜査をするために契約したのだろうか。どうやって探したんだろう。またも僕の疑問は、大門に見抜かれることとなった。
「三条さんはもともとウチの事務職OGだよ。結婚退職したあと、去年派遣として戻ったんだ。もともと同じ部署で働いていたので彼女のポテンシャルはわかっていたし、それでウチの課にスカウトしたんだよ。因みに今、彼女が所属している派遣会社には事情は一切話していない」
「そうだったんですか……」
探偵か何かかと思っていたが、もともとは事務職だったのか。凄いなと目を見開いた僕に向かい、大門が困ったように笑う。
「感心するのもいいけど、君も明日から同じように働いてもらうんだから。いや、今日からか。心して臨んでくれないと困るよ」
「! はい、頑張ります」
仰るとおり。とはいえ自分にできるだろうかと考えると不安しかない。しかしやる気だけはあることを示したいと頑張って元気に返事をすると、大門には苦笑されてしまった。
「やっぱり新人はフレッシュでいいですね」
桐生のこの言葉はもしやフォローだろうか。『頑張る』のでは意味がない、成果を出せということかもしれない。しかし言い直すのもと躊躇っていると、大門がテーブルの上にスマートフォンを置く。
「三条さんが集めた証拠を共有するよ。今夜、自動車六部の水野部長、土屋第二課長、加藤主任により、山内産業との接待が行われた。先方メンバーは山内専務他二名。一次会は銀座の割烹『かなざわ』、山内専務らはそこでタクシーチケットを渡され帰宅。同じく帰宅するという水野部長と別れたあと、土屋課長と加藤主任が銀座のクラブ『ラ・メゾン』に二人で向かい、約二時間滞在、支払いは六万三千円、それを五万以下になるよう二で割った日付ブランクの請求書を店側に依頼した。さて宗正君、精算にこの請求書が使われた場合、これだけで不正の証拠となり得るが、ポイントはどこだと思う?」
スマートフォンを差し出してきながら、大門が僕に問い掛ける。
「請求書が証拠に……」
日付がなければ、同じ日のものを分割した証拠にはならない。
「店側の証言がなくてもということですよね?」
「ああ。同じ日のものではないということにして日付を離して精算した場合に、整合性が崩れる。なぜだと思う?」
「あ、連番だからですか?」
ヒントをもらえたおかげでわかった。請求書の控を見ると連番になっている。接待の実施日を離した場合、請求書の通し番号も離れるはずだ。連番なのは同じときに発行した可能性が高いと認識されるのではないか。
「そのとおり。正解だ」
「すごい、よく気づいたなあ。配属初日とは思えないよ」
大門と桐生、それぞれに褒められ、正解を言えたことにほっとする。
「請求書が手元に届くのに数日かかる。精算はそのあとにしかできないから、それまでは様子見となるな」
「この件は部長も当然、知っているんですよね? 接待費管理簿は毎月部長がチェックすることになってますから」
桐生の指摘を聞き、細則にそのルールが掲載されていたことを思い出す。
「今日は参加していなかったが、別で部長も似たようなことをやっているんだろう。自分が認証しない分に関しては『知らなかった』で通すつもりじゃないか?」
「水野部長の尻尾も掴みますか。ああ、でも、部長は『一族』の人間だから、揉み消されますかね」
「一族……創業者一族なんですか?」
藤菱商事は大企業には珍しいオーナー企業なのだった。旧財閥だった創業者の一族経営で、百年以上の歴史を持つ。
創業者の名字、即ち現会長、社長の名字は如月だ。親戚か何かかと問い掛けた僕に、大門が答えてくれる。
「水野部長は如月一清社長の次女の夫だよ。現社長には息子がいない、かつ、三人の娘は誰も入社していないので、娘の配偶者が社長を継ぐ可能性大だ。長女次女の夫は社員、三女の夫はメインバンクの社員だ」
「そうなんですか」
社長は世襲とは知っていたが、息子がいないとか、娘の配偶者についてとかは初耳だった。水野部長の顔を思い浮かべる。彼が未来の社長かもしれないのか。外見はエリートっぽい感じだった。今の社長はどちらかというと押し出しが強いタイプに見えるが、水野部長は物腰が柔らかくスマートな印象だ。
しかしもし、接待費をプライベートの飲み会に利用していることを黙認しているとしたら、大問題ではなかろうか。
ごくり、と自然と喉が鳴る。
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