2-③

「信じられないという顔をしているね。まあ、新入社員に信じろというほうが無理か」

 大門には相変わらず、僕の考えていることが筒抜けのようだった。やる気の無い、ことなかれ主義のくたびれた中年どころか、洞察力が半端ない。

「新人配属って聞いて驚いたんですよねえ、俺も。数年は『普通』の会社員、やらせてあげればいいのにって」

 桐生もまた今までのチャラい印象とは違って見えた。口調は軽かったが、同情的な視線を向けてきたその目にはいかにも聡明そうな光が宿っている。

「それだけ彼が買われているってことだよ」

 大門がそう言い、僕を見る。『彼』というのは僕のことか。買われているって誰に? 更なる疑問に頭がパンクしそうになっていたのがわかったのか、大門は「なんでもないよ」と笑うと「ともあれ」と説明を再開した。

「そういったことだから、君にも今日からコンプライアンス違反の摘発のために働いてもらう。社内の膿を全て出し、藤菱を健全な会社とするのが我々に与えられた業務だ。しかしこのことは誰にも言わないようにね。友人は勿論、家族や、それに恋人にも。宗正君は恋人がいるんだっけ?」

「い、いません」

 不意の問い掛けだったので、真実を咄嗟に答えてしまう。学生時代に彼女はいたが、僕が藤菱商事に就職することについて揉め、結局別れてしまった。因みに彼女は同業他社に就職している。

「お揃いだね。俺も今はいないし大門さんもバツイチだよ」

 ニッと笑って桐生がそう言い、ね、と大門を見る。

「桐生君の言う『今』は瞬間的なことが多いよね」

 大門が笑い返したあと、「そりゃひどい」と口を尖らせた桐生を無視し、僕に声をかけてきた。

「君には寮に入ってもらう。手配はすませたからこれから入寮の準備にかかってもらえるかな?」

「寮ですか?」

 寮は通勤時間が九十分以内の社員は入れないルールだったはずだ。僕の自宅からの通勤時間は約一時間で、寮に入れる距離ではない。

「寮での聞き込みでは実のある情報が得られることが多いんだよ。入寮に関しては僕が人事に手を回した。家族や同じ寮の社員たちへの説明は君に任せる。くれぐれもこの部署のことは言わないように。総務三課の秘密を知っているのは課員とあと一人、ここを作った人のみだからね」

「わ……かりました」

 正直に言えば未だ混乱したままで、少しも『わかって』はいなかった。とはいえ説明を求めようにも、何を質問したらいいのかすらわからない。

「わかったならさっさと動く。すぐに帰宅して荷物をまとめ、入寮すること。遅くとも五時半までには戻ってくるようにね」

 最早『覇気がない』とはとても言えない、やる気とリーダーシップに溢れた様子の大門の、鋭い眼差しと力強い語調で与えられた指示に僕は跳び上がった。

「はい! いってきます!」

「事務用品の補充はやっとくから。明日から頑張って」

 桐生がニコニコ笑いながら手を振ってくる。

「よろしくお願いします!」

 頭を下げたあと、あのお喋りは情報収集のためだったのかと改めて気づき、思わず桐生を見やる。彼のトークスキルは素晴らしかった。事務職だけじゃなく、清掃の人やカフェの光田からも色々な話を聞いていた。

「さっさと行く!」

 感心してしまっていた僕は、大門の指示にまたも跳び上がりそうになり、

「失礼しました!」

 と頭を下げたあと、もときた扉へと――キャビネットへと向かおうとした。

「ああ、ごめん。出るときはその横のボタンを押すと出られるから。あと、ここに入るときは掌紋認証がいる。帰ってきたら登録作業をするように」

 大門の指示に返事をし、ボタンを押して扉を開ける。外では相変わらずディスプレイに前のめりになりながら三条が席に座っていたが、ちらと見えた画面に映っていたのは洋服のネット通販のページのようだった。

「すみません、失礼します」

 目の前で『秘密の会議室』に入ったのだから、当然ながら三条も三課の秘密を知っているのだろうが、どういう役割を果たしているのか。疑問を覚えはしたものの、五時半までに入寮して戻らねばならないとなるとのんびりもしていられないと、鞄を持って慌てて部屋を飛び出す。エレベーターは高層階にいて来そうもなかったので一階まで階段を駆け上ると、そのまま駅に向かって走った。

 一人地下鉄に揺られながら僕は、今聞いたばかりの話を思い起こしていた。冷静になればなるほど、信じがたいという感想を抱いてしまう。からかわれたと言われたほうがまだ信じられるが、新入社員をからかう理由がわからない。

 父は学校にいっているだろうが、母は家にいるに違いない。入寮することになった理由を考えねばと、帰宅までの間僕は必死に頭を絞った。

 結局のところ、『上司命令』しか浮かばなかったのだが、母は簡単に納得してくれた。自分も夫も会社勤めをしたことがないので、そういうものなのかと信じてくれたのだ。

「寮ってどこにあるの?」

「世田谷だよ」

 バブルの頃に建てられたという寮は、以前はプールバーなんかがあったそうだ。今その場所は多目的ホールになっているという。建物や設備は古いが、ジムもあるし各部屋にシャワーがついているのもいいと、入寮した同期が言っていた。以前は世田谷の他にもいくつか寮があったそうだが、バブルが弾けたあとに売り、今は世田谷の寮だけになっている。それゆえ入寮希望者に対応可能人数が追いつかず、通勤可能な人間は受け入れ不可、居住年数は三年以内と期限が設けられている。

 そこに無理やりねじ込まれるわけだから、寮にいる同期や先輩たちに納得してもらえる理由を考えねばならない。配属先が総務三課というだけで注目を――同情を、といったほうがいいか――されているだろうから、そこも含めて納得してもらうには何を言ったらいいだろう。

 家の事情? 幸いなことに、学生時代からの友人は同期にいない。父親が離島に転勤になったことにしようか。しかしいきなり今日から住むというのは不自然だ。

 必死で考えたもののこれといういい案が浮かばないまま寮に到着したのだったが、僕を迎えてくれた寮の主事には既に、大門からあまりに『らしい』理由が告げられていた。

「ここの大規模改修工事前の点検のために新人の君が住むことになったんだってね。アンケートを採ったりするそうだけど、手伝いが必要なら遠慮なく声かけてくださいよ」

 六十過ぎという主事さんは、好々爺――というには若いが、いかにも人の良さそうな人だった。なるほど、そういう理由だったら入寮している社員からも話が聞きやすい。僕に考えろと言ったのは緊張感を持たせるためだったのだろうか。わからないながらも僕は主事さんが用意してくれた部屋に荷物を運ぶと、

「今日からよろしくお願いします」

 と改めて彼に挨拶をしに行ってから、急いで会社に戻った。

 寮から会社までは一時間弱かかった。自宅からよりは若干近いが、誤差の範囲だ。とはいえ、快適な寮らしいし、得をしたといえないこともない。僕が採ることになる『アンケート』がどんなものかによるけれどと思いながら、地下三階への非常階段を駆け下り、執務室に入る。

「今戻りました!」

「席に着いたら社則を頭に叩き込んで。今日は『接待』について念入りに。細則もすべて確認すること。社則の掲載場所は新人研修で学んでいるよね?」

 言われた時間より三十分近く早く戻ってきたことに対するコメントはなかった。さすがに子供ではないので、褒めてくれるのではと期待をしていたわけではないが『早かったね』くらいはあるかと思っていた。

 慌てて席に着き、パソコンを立ち上げる。社則がイントラネットのどこにあるかは当然知っていた。が、接待費に関するものはどの部の管轄だったか、すぐにはわからない。人事部か。総務部か。あ、総務部だった。自分の部じゃないかと反省しつつ中身を読み込んでいく。

「三十分後にテストするからね」

「えっ。あ、はい!」

 大門の言葉にぎょっとしたが、すぐ我に返って返事をする。

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