妹VERSUS

鯔副世塩

vs幼馴染み

 鯏野あさりの菫治きんじには妹が居る。

 名は、鯏野あさりの桃花ももか

 妍姿艶質けんしえんしつ、文武両道を文字通り体現した、長い黒髪を桃色のカチューシャで留めているのが印象的な美少女である。

 そんな少女は今──


「おはようございます。兄さん」

「………………………んぅ?」


 早朝に、菫治あにのベッドに潜り込んで愛らしい笑顔と共に挨拶を告げた。

 これが幼い兄妹であれば微笑ましい光景だが、菫治は十七。桃花は十五である。

 最早、同衾することすら世間体として非常に危うい状況であるが、当の菫治は気にする事も無く。そして桃花自身は知ったことではないとの談。

 兄に行き過ぎた愛情を向ける桃花は、菫治の鼻をつついて微笑みながら言葉を続ける。


「ほら、兄さん朝ですよ。起きてご飯食べないと遅刻しちゃいますよ?」

「…………………………」

「あ、もしかしてこのまま私に兄さんの体をくれるとかですか? もう……それならそうと言ってくれれば、私も思いっきり誘わ──」

「………んぁー」

「え──きゃっ」


 とんでもない事を口走る桃花の発言もうそうを遮るようにして、寝ぼけている菫治は、向かい合っていた桃花を反転させ、そのまま後ろから抱き締めていた。


「あ、兄さん……そんな情熱的に求めてくれるなんて……私、心の準備が──」

「………くかー」

「…………兄さん?」


 ももかの覚悟完了を他所に、きんじは穏やかな寝息を立てて寝始めた。

 桃花は、どうにかして菫治の抱擁から逃れようとするも、そこはやはり男性。

 無意識下での抱擁は桃花の想像以上に強かった。

 これが就寝時ならば桃花も抗う事なく兄と共に寝息をたてるのだが。

 今日は平日。菫治も桃花も学生であるからして、このままという訳にはいかない。

 もがきにもがいて、桃花は自身の後頭部を菫治の顔と平行になるように位置を調整し。


「えいっ」

「っごぉっ?!」


 桃花は背後の菫治に頭突きヘッドバッドをかました。

 突然の事に菫治は抱擁を解き、するりと脱出した桃花はベッドの脇に立って服装の乱れを直しつつ、改めて菫治に挨拶する。


「おはようございます。兄さん。朝食の準備ができてるので、早く支度してくださいね」


 一礼して踵を返した桃花は菫治の部屋を出て、一階へと降りていき。


「おー……おは──いねぇし……」


 まだ微かに痛む鼻をさすりながら、菫治はベッドから降りた。






 その後、身支度を済ませた菫治は桃花と共に朝食を済ませ、家を出て学園へと向かう。

 並んで歩く菫治と桃花。ふと桃花が尋ねる。


「今日の朝食はどうでしたか、兄さん」

「ああ、美味しかったよ」

「もう……兄さん、私が何作ってもそれじゃないですか。もう少しこう、色々言っても……」

「そんな事言われても、桃花が作る料理全部美味いしなぁ。味付けとかも俺好みだし」

「──そう、ですか。それなら良かった」


 菫治の率直な賞賛に桃花は満面の笑みを浮かべ上機嫌になる。

 だが、菫治はそんな桃花を他所に終始鼻をさすり続けていた。


「兄さん? どうかしましたか?」

「ああいや、ちょっと鼻痛くてな」


 寝てる間どっかぶつけたかな、とごちる菫治に痛みの原因たる桃花は好機とばかりに一つ提案する。


「それなら兄さん、私と目線が合うように少し屈んでもらえますか? すぐ済みますから」

「ん? おお」


 桃花の頭一つ分高い菫治は、その場で立ち止まり、向かい合って桃花の顔の真正面に来るよう屈む。


「では目をつぶってください」

「ん」


 誘導を一切疑う事なく、菫治は言われた通りにし。

 桃花は熱っぽい眼差しで菫治を見つめ、唇を、菫治の鼻に──


「はいストップ」


 菫治の鼻と桃花の唇の間に手が差し込まれ、遮られる。

 その行動に菫治は目を開け、桃花は忌々しそうに舌打ちし、手が差し込まれた方へと視線を向ける。


「朝の往来で何やってんのよ、あんたたち……」


 カントリースタイルのツインテールにニットのカーディガンを着こなしている少女──鯵崎秤華が呆れ顔で鯏野兄妹ふたりを睨んでいた。


「あ、秤華びんか。おはよう」

「……おはようございます。鯵崎あじさき先輩」

「おはよ、菫治。それと桃花……は親の仇を見るような目で見ないでくんない? 眼光鋭すぎなんだけど」


 桃花は軽く溜め息を吐いて学園へと歩き、菫治と秤華も桃花に続く。


「で。朝っぱらから、何をしようとしてたわけ?」

「さぁ……?」と素直に答える菫治。

「鯵崎先輩には関係ありません」と不機嫌極まり無い声音で一蹴するように告げる桃花。

 左に桃花。右に秤華という、人によっては羨むような位置に菫治は居た。

 だがしかし、見た目の華やかさと違い、桃花と秤華の間の空気はヒリつく緊張感が漂う。

 口火を切ったのは──秤華。


「大体、桃花も学園に入ったんだから、いい加減兄離れしたら?」

「幼馴染みの鯵崎先輩に、そんな事言われる筋合いはありません。余計な御世話です」

「……はぁー。昔は“秤華おねーちゃん”って呼んで一緒に遊んだ仲なのにねー。菫治、あんた甘やかしすぎじゃないの」

「いやそんな事は」

「いちいち昔を思い出すのに兄さんを巻き込まないでください。老化ですか」

「あんたねぇ……!」


 頬をひくつかせながら桃花を睨む秤華に対し、桃花はどこ吹く風と言わんばかりに泰然としていた。

 火花を散らす二人の間に挟まれている菫治はというと。


(今日の昼飯何かな)


 呑気に昼食の事を考えていた。

 桃花と秤華の喧騒を聞きながら、三人は目的地──海原学園へと着く。

 朝の通学時間帯だけあって、多くの生徒が学園の校舎へと向かう。


「では兄さん。また昼休みに」

「おう、じゃな桃花」

「……あたしには何も無いわけ?」


 秤華の問いに桃花は菫治に向けた笑顔を一転させ、無表情に告げた。


「ごきげんよう、鯵崎先輩」

「もう少し愛想ってものを……あッ、こら桃花!」

「どうどう、落ち着けって秤華。遅れちゃうぞ」

「……はぁ。わかったわよ」


 宥められた秤華は菫治と共に、二階にある自分のクラスへと向かう。

 一時限目が終わった頃、休み時間を迎えると外が騒がしくなり、菫治は窓から騒ぎの中心地を眺める。


「よー、菫治。今日も今日とて賑わってんなー。ちゃん」

「あ、辛夷こぶし。んー……まぁなぁ」

「まぁなぁ、って……桃花ちゃんが入学してからずっとやってるじゃねえか。心配じゃねえのか?」

「心配はしてねーかなぁ」


 菫治に話しかけて来た友人の男、鮎川あゆかわ辛夷こぶしと共に中庭で繰り広げられるちょっとしたイベントに注目する。

 中庭に男女が一人ずつ。それを囲うようにして集まった野次馬ギャラリー

 筋骨隆々の男、藻虻剛力が向かい合った女、鯏野桃花に話し掛ける。


「それでよぉ……鯏野。決闘タイマンで俺が勝ったら付き合ってくれる、でいいんだよなぁ?」

「ええ。あなたが勝てたら、あなたを認め、私は一人の女性として交際しましょう」


 その言葉に藻虻は豪快に笑い、周囲から歓声が巻き起こる。

 桃花は一切動じること無く、藻虻に指を立て淡々と告げる。


「ルールは三つ。一つ、挑戦者あなたが降参もしくは続行不可能になれば、あなたの敗北。二つ、桃花わたし以外の身体が地に触れた時点で敗北。三つ──」 

「おう、それで構わないぜ……というか、それで良いのか? ハンデならくれてやるが」

「結構です。私、負けませんから」


 歓声が一旦止み、吐き捨てるように「いつでもどうぞ」と挑発した桃花に頭に血が昇りきった藻虻が突進して行く。

 桃花はその場で跳躍し──右足で藻虻の顎を蹴り上げ、姿勢を崩すこと無く着地。

 藻虻は白眼を剥いて気絶し、桃花は埃を払うようにしてスカートを叩き、踵を返して校舎に向かう。

 一拍空いて、再び歓声が上がり、倒れた藻虻を複数の男子生徒が抱えて保健室へと連れて行く。

 校舎に戻る最中、視線に気づいたのか、桃花が菫治を見つけると満面の笑みで手を振り、菫治も微笑みながら手を振り返す。

 そんな光景を見た辛夷は唸るようにして言葉を溢した。


「すっげーな桃花ちゃん……一撃でノックアウトかよ」

「まぁ、俺が鍛えて教えたしなー。今じゃ俺より武術の腕前上だよ、あっはっは」

「あっはっは、ってお前のせいかコノヤロウ!」


 がっくんがっくんと菫治の肩を持って揺さぶりながら辛夷は文句を続ける。


「お前が桃花ちゃんをあんな強くしたからアプローチかけようにも“私より弱い方はちょっと……”になっちまうじゃねえかどうしてくれんだよお兄様ァ!」

「そーゆー、ナンパ、野郎が、寄って、くる、からだよ」


 菫治は辛夷の手を払い、首と肩を回しながら答える。


「いつまでも俺が守ってあげられる訳じゃないし、護身の一環として色々教えたらメキメキ上達してったんだよ。ま、天才なんだろうな」


 と、菫治がそこまで言った所でチャイムが鳴り響き、辛夷も自分の席に戻り授業が始まる。

 やがて四時限目まで終わり──休み時間になる度に桃花の決闘という軽いイベントがあったが──無事昼休みを迎える。

 菫治が自分の鞄から弁当箱を取り出すと同時に教室のドアが、がらっと開く。


「兄さんっ、一緒にお弁当食べましょう」

「ああ、今行く」


 花が咲いたかのような満開の笑みで呼ぶ美人の妹に対し、何一つ変わらぬ平温運転の兄。

 妹に対しては男女問わず羨望や尊敬の眼差しが。

 兄に対しては男性からは凄まじい嫉妬怨嗟ノロイの眼差し、女性はというと、桃花の兄好きブラコンを知っているため、関わるとロクなことにならない、と扱いとしては厄ネタはれものという位置に落ち着いている。

 そんな鯏野兄妹は解放されている屋上にて、仲睦まじく昼食を取っていた。

 天気も穏やかで、外で食事するにはうってつけの環境。そして。


「兄さん。はい、あーん」

「あー、ん」


 最早現代のバカップルですら、やらないような事を人目も憚らず、行っていた。

 そんな兄妹を白んだ目で見下ろす女生徒が一人。


「……あんた達、そんな事まだやってんの?」


 鯵崎秤華である。菫治と桃花は数秒、秤華を眺めると。


「はい、あーん」

「いや、無視してんじゃないわよ」

「ちっ……何の用ですか鯵崎先輩。邪魔しないでください」


 あからさまに不機嫌になった桃花の拒絶を流した秤華は菫治の隣に座り、弁当箱を広げる……が、何故か二つある。


「きょ、今日はちょっと作り過ぎちゃったから、はいこれ。あげるわ」

「いや俺もう弁当あるし」

「そうですよ。自分で作ったものくらい自分で完食するべきです」

「そこうっさい! 菫治も男だし、弁当の一つや二つ平気でしょ!?」


 微かに頬を赤く染めた秤華が弁当の一つを菫治に押し付けようと凄んでくる。

 桃花作の弁当は確かに美味しく、きめ細やかだが育ち盛りの菫治から鑑みると少し物足りないのも事実。

 まぁいいか、と思いながら菫治は秤華の弁当に手を伸ばす──


「待ってください、兄さん。そんな得体の知れない物食べなくて結構です」

「得体の知れないって……」

「何よ。あたしの作った弁当にケチつけるわけ? 桃花イモウトサマは」

「ええ、弁当どころか、その他についても大いにあります。まず兄さんの隣に座っている事、それと弁当作りすぎたという見え透いた嘘、そして私と兄さんの至福の一時を邪魔したことです。以上の事から、速やかに兄さんから離れて隅で二人分の弁当を“一人で”食べててください」

「あんたズバズバ言い過ぎでしょ! ったく……なら菫治に決めて貰おうじゃない。菫治があたしと桃花のお弁当食べて、あたしのが合わなかったら大人しく引き下がるわ。これでどう?」


 秤華の勝負ていあんに桃花は数秒考え込む。菫治の「俺の意思は?」という問いには二人とも答えなかった。

 そして、桃花は。


「いいでしょう。受けて立ちます」


 勝負を仕掛けた秤華と受けた桃花の視線がぶつかり火花が散る。

 菫治はもぐもぐと自分の弁当を食べながら眺めていた。

 じゃんけんで先行を取ったのは、桃花。


「はい、あーん」

「あーん……うん、うまい」


 まるで秤華の事など見えていないかのように振る舞う桃花。

 凄まじい威圧感を出す秤華に菫治は背筋に寒気が走り、桃花は一切動じない。

 菫治が咀嚼し嚥下すると、次は秤華の方を向き、弁当に箸を伸ばそうとし、桃花から待ったが入る。

 怪訝な表情を浮かべる菫治と秤華に対し、桃花は一つ条件を告げる。“勝負であるなら鯵崎先輩も兄さんに食べさせるべきです”と。

 菫治は特に動じず、秤華は顔を真っ赤にしてあーだこーだ喚いていたが、鼻で笑った桃花を見て覚悟を決める。


「あ……あーん」

「あーん……んむ、うん、美味しい」

「あんたうら若き乙女に食べさせて貰ってんだから、もう少しリアクションとか取りなさいよ!」

「うら若き乙女っつーなら桃花だってそうだし、別にどうもしないだろ」

「うっ……く……この朴念仁め……!」

「照れてる鯵崎先輩は放って置いて、はい兄さん、あーん」


 それからは桃花と秤華による菫治の餌付けという弁当対決は着々と進み、秤華が用意した弁当のおかずが空になり、残すは桃花が用意した弁当のおかずの最後の一つ──卵焼きのみ。

 恥ずかしさで深い溜め息を吐く秤華に対し、全く変わらぬ調子で菫治に食べさせる桃花。

 菫治が卵焼きを口に含んだ時、異変が起きた。


「……しょっぱいな」


 眉間に皺を寄せた菫治の言葉に桃花は顔面蒼白になり、秤華は勝ちを確信したのか満面の笑みで桃花を見下ろす。

 さっきとはうってかわって俯く桃花と、勝ち誇る秤華が菫治に尋ねる。


「で、菫治。どっちの弁当が良かった?」


 菫治の答えは──


「んー……桃花。あの卵焼きは何だか懐かしかったよ」

「兄……さん」


 菫治は微笑みながら桃花の頭を撫でる。

 そんな光景を見た秤華は気が抜けたのか、大きく溜め息をついて弁当を片して纏めて立ち上がる。


「あたしもまだまだってことね。もっと修行するわ」


 秤華は屈託の無い笑みを菫治に向け、次いで桃花に告げる。


「今回は勝ちを譲るけど、弁当諦めないからね。桃花」

「……望む所です。今度こそは鯵崎先輩ですら唸らせてみせます」


 目に浮かべた涙を拭った桃花いもうとは確固たる決意を告げた。

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