異と現の糸を編む

陽炎

飼育箱

 鉄琴で奏でられたチャイムが校内に鳴り響く。私も足早に教室に戻る生徒に紛れて、自分のクラスへと急ぐ。白い光が差し込む廊下を駆けて教室に入ると殆どの人が着席していたので、あまり目立たないようにすり足で自分の席に着いた。チャイムが鳴り終わり程なくして、先生が教室に入ってきた。戸を引きずる音が聞こえるとみんな私語を止めて、学級委員の号令で立ち上がる。先生が教壇に着くタイミングで礼をして着席する。先生は空席を探して欠席者の有無を確認して、朝のホームルームを始める。月末には模試があるので、各々不安な科目を洗っておくようにということと、一階の男子トイレで水が流れなくなったので使用禁止になったということと、進路希望を今週末までに提出するようにということだった。その3点を報告すると形式的に、今日も1日頑張りましょうと言って教室を出ていった。先生が出たのを合図に私たちは一限目のチャイムがなるまで、またお喋りをし始めた。斜め後ろに座る茜が私の肩を指で突いてきた。

 「ねぇ香織。昨日のヒットチャート見た?」

 ヒットチャートとは週ごとに音楽配信サービスでダウンロードされた楽曲のトップ10が紹介され、その内のベスト5のアーティストが出演し演奏するインターネット番組である。昨日のヒットチャートには私たちが好きな男性アイドルグループが2位にランクインしていたので出演していたのだ。

 「見た見た!超格好良かったよね!」

 「ねぇ〜!ダンス凄いキレがあったよね!」

 「ミュージックビデオの時よりも上手くなってたよね。」

 「ほんとにほんとに。」

 「智くんのソロパートの時の表情も格好良かったよね。」

 「真剣な表情からの横顔の笑顔、見惚れちゃうよね〜。」

 私たちが盛り上がってると、最前列の席に座ってる京香が照れ笑いを浮かべながら小魚のように歩み寄ってきた。

 「ねぇねぇごめん。今日の古典の課題見させてくれない?」

 京香の長い髪が揺れ、アプリコットの香りが仄かに漂う。悪戯な笑顔には、安易に人に頼る人間の卑しさの翳りは無く無邪気さだけがあった。私たちは二人して鞄を漁り始め、どちらが早く取り出せるかを競い合う様にプリントを探した。茜が差し出すと、京香は礼を言って、また魚の様な流動性でささっと自分の席に戻り、急いで書き写し始めた。

 「京香部活で忙しいもんね。」

 「ね、元気を少し分けて欲しいよね。」

 「そういえば、健くんとはどうなの?」

 「どうなのって、普通だよ。」

 「電話とかするの?」

 「時間が合えば毎日してるかな。」

 「いいなぁ。私も彼氏欲しいなぁ。」

 「茜は好きな人とかいないの?」

 「相馬君のような人がいたらなぁ。」

 「次元超えちゃってんじゃん。」

 「なんかもう最近はバーチャルでいいや〜って感じだよ。」

 「何その究極の現実逃避は。」

 一限目のチャイムが鳴り、化学の授業が始まった。今は無機化学の範囲で、実験に使われている化合物から、実験名や生成物を推測する問題を先生がストーリー仕立てに解説していた。一限目の授業が終わると、私は隣のクラスの健に会いに行った。窓辺に座る健は机に腕を伏して頭を乗せていた。私が隣に座り話しかけてもしばらくぼんやりと外を眺めているだけだった。

 「ねぇ、どうしたの?なんかあったの?」

 健は、初めてこちらに顔を向けて、私をじっと見た。その表情は何かを見定めているように私の眉毛や頬の隅まで細かく観察してるようで恥ずかしくなった私は、

 「何じっと見てんのよ。」

 「昼休みになったらさ。使用禁止になった男子トイレ前にきて。」

 「どうしてよ?」

 「面白い話がある。」

 よく見ると彼の目は充血していた。昨夜はあまり眠れなかったのだろうか。彼の声のトーンには、これ以上言及しても今は答えないという意思表示も含まれていて、私は分かったと返事をすると、自分のクラスに戻った。

 

 当然だが、昼休みになるまで授業には集中ができなかった。私はいつもより早くお弁当を食べると、健が言っていた一階の男子トイレに向かった。この男子トイレは学生の教室がある棟の端の階段を降りて振り返ったところにあり、場所の便宜上も悪く元々利用する生徒はそう多くなかった。男子トイレの前には健が立っていた。健は私の後ろに進み、誰かついてきていないかを確認した。誰もいないことを確認すると、階段下に私を誘導して膝をたたみ座った。私が座るときに階段の裏側に頭をぶつけないようにそっと手を頭に翳してくれた。

 「時間があまりないから手短に話すから、しっかりと聞いて欲しい。」

 「うん、分かった。」

 「左耳のさ、耳たぶの少し上の裏側を触ってみて。何かコリコリしたものがない?」

 私は言われた通りに自分の左耳を触ってみた。確かにコリコリした感触のものがあった。

 「うん、あるよ。」

 彼は制服のポケットから、米粒程度のモノを取り出した。

 「何これ?」

 「一週間前、気になって取り出してみたんだ。なんだと思う?」

 私に向けられたその小さな粒を私は凝視したが、それが何であるか皆目見当もつかなかった。

 「この前、理科室にある機械で電波に反応することを確認したんだ。」

 「そんな機械あったの?」

 「盗聴器とかの反応を確かめる授業あっただろ?あの機械を使ってみたんだ。この謎のマイクロチップがどんな信号を返してるのかは分からなかったけど、そういう類のものであるということは確かだよ。」

 「私たちみんなにこれが入っているということ?」

 「そうだろうな。だけど、話はそう単純じゃないんだ。」

 彼は、今回の話の本題に入るという物腰に切り替えて話を続けた。

 「これを取り出した日から、身体に大きな変化が訪れたんだ。香織は、朝起きてから寮を出て学校に来るまでの記憶はどう?思い出せる?」

 私はそう言われて、思い出そうとした。だがどう思い返しても、朝のチャイムの時からの記憶しかなかった。しかし、今彼にこうして聞かれるまで、そのことに違和感も抱かなかったのにも自分自身驚いていた。寝ている間の時間の流れのように曖昧な時間が自分の中にあることを新たに発見したような気分だった。

 「いや、思い出せないかな。」

 健は続けて質問した。

 「じゃあ、寝る前の記憶は?」

 私はなんだか生活に潜む深淵を覗くを促されてるようで怖くなっていた。だけども、寝る前の記憶もこれまた曖昧だった。というのも寮の自分の部屋のベッドで横になってからの記憶というのが一切無かった。これもそう思い出して見てと言われるまで不思議と違和感を抱いていなかった。

 「え、どうして思い出せないんだろう。」

 「俺はね、これを取り出してから、眠る前も起きてからの意識もはっきりするようになった。これを取り出した当日の夜、同じ部屋のたかしがベッドで横になった途端に寝たんだ。そこから話しかけても一切返事をしなくなった。それで顔を叩いたりもしたんだけど、スイッチを切ったように反応しなくなって、これは一体どういうことなんだろうとあれこれ考えるようになった。」

 「そのマイクロチップが関係あるっていうこと?」

 「うん、その日、自分がいくらベッドで横になっても眠たくならなくて、取り出したマイクロチップを耳の近くに持ってきたんだ。そしたら急に意識が遠のいて何か麻酔でもかけられたように眠ってしまった。それで起きると、たかしが目の前に立ってゼンマイ式のおもちゃみたいに歩いて服を着替え始めた。『おはよう。』って声をかけても勿論反応は無かった。それで俺も着替えて、たかしについていくように洗面所に向かうと、生徒達が等間隔に並んで同じ速度で移動して歯磨きや顔洗いをしてた。そしてみんな決められた動きで校舎に移動して速度は一定なんだけど、ランダムな位置に動いて行った。それで朝のチャイムの音が鳴るとみんな一斉に自我を持ったように話し始めたり各々動き始めた。」

 「ちょっと待ってよ。そんなことある訳ないじゃん。というか一体誰が何の為にそんなことしてるっていうの?」

 「その辺は、まだ分からない。だけど、昨日、みんなが寝た後に部屋を出て、寮内を歩いて見たんだ。そしたら、見たこともないロボットが寮内を巡回してた。そして俺と同じクラスに松田っているんだけど、あいつ昨夜彷徨いてたんだよ。そしたらそのロボットに捕まって何処かに連れ去られて行った。今日学校に来たら、あいつは転校したことになってたけど、絶対に違う。それに、俺たちって学校の外に出たことがないだろ?テレビとか、ネットで外の情報に触れることは出来るけど、自分がその情報を目にしたことはない。」

 「ねぇ。私もう怖いよ。やめないこの話?」

 「香織。俺はね、この学校から出ようと思う。あのグラウンドの端のフェンスから出て、学校から見えてる街に行こうと思う。」

 「やめてよ。もしもバレたらどうするの?」

 「これを取り出してから、今自分が置かれている状況の不可解さの方が恐ろしいんだ。俺は、香織のことが好きだよ。だから出来ればついて来て欲しい。抜け出すまでのルートも確認してるから大丈夫。こんな突拍子もないこと急に話されても信じられないと思うし、俺が変になったと思うのも分かる。だから、今日自分なりに考えて、もしも俺のこと信じてここから出たいと思うなら、夜の一時にグラウンドの野球のホームベースがあるところの裏側のフェンス前に来てほしい。勿論無理強いはしない。もしも俺一人で出て何か分かって迎えに来ることが出来るならきっと来るから。」

 「うん、分かった。」

 「そろそろ戻ろうか。」

 「そうだね。」

 

 六限目の授業が終わり、自分の部屋へ帰ると私は紙とペンを取り出して現状を整理することにした。健が言っていた通り、私たちは半強制的に眠らせ、朝の始まりもある程度のところまでプログラムされ動いているのだろうか。健が言っていたロボット。私は自分の知っていることへの確信と自分の両親なら何か分かるかもしれないという希望に縋る思いでスマホを取り出し、両親に連絡することにした。母親の携帯に電話をかけると3コール目で出た。

 「もしもし?」

 「もしもし。ママ。何してたの?」

 「テレビ見てたところよ。何かあったの?」

 「うんう。別に大丈夫だよ。ちょっとママと話したい気分になっただけ。」

 「寂しくなったの?」

 「それもあるけどね、あの、今度学校で自分の子供時代のエピソードを英語でスピーチしないといけなくて、何か無いかなぁって思って。」

 「そんなカリキュラムあったかしらねぇ。」

 「英語の先生が変わって授業の内容も少し変わったの。」

 「先生の名前は?」

 「忘れちゃったよ。そんなに気になること?」

 「親は心配性なのよ。」

 いや、母は明らかに何か詮索してる様だった。

 「そうねぇ。香織が小学校一年生の時かな。学校の帰りに自分の家がどこか分からなくなってね、道行く人に、香織の家はどこですか?って泣きながら聞いていたのよ。そしたら、たまたま近所の人に声をかけて、その佐藤さんって言うんだけどね、家まで送り届けてくれたのよ。」

 「あー、そんなことあったね。」

 私はその後怪しまれないように、適当に話を終わらして電話を切った。その後、スマホで、『迷子 自分の家 他人に聞く エピソード』とインターネット検索すると、一つの記事が見つかり開いて読んでみると、その記事の内容は母が先ほど私に話したエピソードと酷似していた。私は自分の両親の顔や家の中の家具の配置や近所の様子を思い出すことは出来ても、匂いや外に出た時の風が肌をさらう感じは一切思い出せ無かった。私は自分が今までどの様にして成長し、この学校に通う様になったか確信を持って言葉にすることが何一つできなかった。

 そこで私は、健の言っていたマイクロチップが自分にもあるのかを確かめることにした。鏡の前に立ち、制服の名札に付いている安全ピンを持って覚悟を決めた。コリコリした部分の少し下を安全ピンで刺し、上からコリコリしたものを押すと出てきた。耳はジーンと痛んでいたが、あまり気にならなかった。取り出したものを机に置くと、健が見せてきたものと同じものだった。ため息を付いていると耳から血が垂れていることに気づいたの急いでティッシュで止血した。左手でティッシュを耳に当てたまま、椅子に座りしばらく呆然としていた。


 夕方になって同じ部屋の舞が帰ってきた。私の耳を見て驚いていたので、引っ掻いていたら切れてしまったと適当に流しておいた。私は舞が夜眠るときに健が言っていた通りになったら、健を信じて約束の場所に向かおうと決めていた。舞はバスケットボール部に入っていて18時ごろまで練習している。部屋に帰るなり、風呂場に直行するのがお決まりだ。私もいつもそのタイミングで一緒にお風呂に入りに行く。舞と話していても疑心暗鬼に取り憑かれている私は適当に返事をすることと、それらしいことを言うので精一杯だった。夜22時、消灯の放送が流れ、私たちは就寝準備に入る。以前までなら、この放送を聞くと自然に身体がベッドへと赴いていたが、今日はその感覚が訪れないことが尚更に不気味だった。舞が『電気消すね』と言い、部屋の明かりが消され、私たちはベッドに横たわった。私はポケットにマイクロチップを忍ばせていた。5秒ほど待って、私は隣のベッドで寝ている舞に近づき、

 「舞。舞!」

 と呼びかけてみたが、返事はなかった。毛布の上に出てる腕をつかみ振ってみたが、起きる気配は一切無かった。怖くなった私は、健に会いたくなった。約束の時間までまだ3時間もあった。私は何を持っていくか考えることにした。リュックを背負ったりしての移動は困難だと思った私は、ショルダーポーチに入る程度の荷物にしようと、財布、スマホ、モバイルバッテリーの3点だけ入れた。まだ2時間55分もある。


 ヒットチャートを見て時間を潰していた。2本分見たところで2時間ほど経っていた。それでもだいぶ早いが部屋でじっとしている方が何だかもどかしくて頭がおかしくなりそうだったので、出発することにした。慎重に部屋のドアを少し開けると、廊下には人影が見当たらなかったのでそのまま出ようとした時だった。廊下の奥の階段を上がってくる足音の様なものが聞こえてきた。階段を上がってきたのは、人型の全身銀色で目にライトが付いたロボットだった。大きさは2mは超えている様だった。そのロボットが廊下側に体を向ける前に私はドアを閉じて、息を潜めた。通り過ぎるのに十分な時間が経っただろうと、再度ドアを開けると、ロボットはいなくなっていたので、私は屈みながら部屋を出て、廊下を進み階段を降り一階まで降りた。目の前には、寮と校舎に繋がる道があるが、そこは景色が開けているので、そのまま渡るにはあまりにも危険だった。約束の場所へにはそこを渡らずとも、私が今いる場所から右手に行くと木々が植えられた茂みがある。そこからはずっと、茂みの中を歩き続けてグラウンドのホームベース裏まで行くことが出来る。その茂みまでは15mほどだが、そこまでは建造物が何も無いので、見つかる可能性もある。だけども、校舎に行ってグラウンドに行く方が警備の目が厳しいと私は直感していた。深呼吸し、決死の思いで走り、茂みに向かい木の後ろに隠れた。幸い見つかってなかったみたいだ。私はそこから、猫が忍足で移動するように約束の場所まで歩き続けた。


 健はまだ来ていなかった。スマホで時間を確認すると、0時35分だった。健に、『着いたよ。』とメッセージを送って私は静かに待つことにした。1時になっても彼はやってこなかった。『大丈夫?』『何かあった?』とメッセージを送っても、一つも既読にすらならなかった。もしかすると彼は先に行ってしまったのだろうか。それともここにくる道中で見つかってしまったのだろうか。色んな不安に押し潰されそうになっていたころだった。女子寮の方が何か騒がしくなり始めた。校舎の方からも女子寮へとロボットが向かう様子がここからも確認できた。そして寮では何やら捜索してる様子でしきりに部屋を開ける音や廊下をかける音がこちらまで響いていた。私のことがバレたに違いない。私は怖くなって後ろのフェンスから出ることにした。健は抜け道を確認したと言ってここを約束の場所にしたということは、ここから出ることが最善だということなんだと私は考えることにした。フェンスは3程の高さがあったが、何とか超えることができた。少し林の様に木々があるが少し坂を下ったところには街が見える。そこを目指そう。私は木々の合間を懸命に駆けた。一心不乱に。

 十分なほど下り、後はこの平面部分を少し進めば木々から抜け出せる。私は安堵し、歩き始めた。しかし、ある程度歩いても木々は続いていた。また焦燥感が漂い始めたので走り始めた。すると、木々はあるが先ほどまで踏んで進んでいた落ち葉がなくなっていた。さらに進むと、木の数は減ってはいるが、一向に暗闇は続いていた。そうして走り続けた結果、木々や地面の土も風の匂いも無くなったが暗闇が辺りを取り囲んでいた。私は悲しくて怖くて子供のように泣き始めた。振り返っても走ってきた筈の林は無くなっていた。もう一度前を向くと健が立っていた。私は泣きながら彼に駆け寄り、

 「健!怖いよ。ここどこなの?私、健を信じてここまで頑張ってきたんだよ。」

 私はもう自分一人ではどう行動していいのか分からなかった。健に守って欲しかった。健は両手で私の肩を掴み、優しく言葉をかけた。

 「君、どうしてこんなとこにいるんだい?ダメでしょ。ここに来ちゃ。一緒に帰ろうね。」

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