27湯目 下部温泉と足湯
私の目の前にあったのは、いかにも「昭和」時代の名残のような、古ぼけていて、くすんだ色の灰色の建物。
一体いつからこの建物があるのかわからないくらい、古い。
その形状から、昨今のようなオシャレで、観光客や若者を呼び込む、人気の観光スポットにはとても見えない。
その古い建物の半地下のようになっている駐車場に、まどか先輩のバイクは止まった。
「ここが下部温泉ですか?」
ヘルメットを脱いで彼女に尋ねると、
「ああ。まあ、本当はここの温泉に『泊まる』のが一番いいんだがな。日帰り温泉施設はここくらいしか知らん」
いかにも古そうな建物に、私は不安な気持ちを抱くが、
「いいんじゃない? レトロで」
「いいネ! 早く行こうヨ!」
琴葉先輩と、フィオは全然気にしている様子はなかった。
この辺り、外観の形状や、「美しさ」よりも、実利を求めるライダーらしいと言えば、らしいが。
実際、入ってみると。
中は、小さく、下駄箱と小さなカウンターがあり、後はホテルのロビーのような古いソファーとテーブルが置かれた空間があり、その奥に給湯室のような部屋があるだけ。
券売機で入浴料を払う。カウンターにいたのは、初老の女性であり、入浴に来たことを告げると、バイクで来たのか、と聞かれ、答えると、鍵を預かると言われていた。
何だか不思議な気持ちで、鍵を預ける。
そして、
「お風呂はこの奥。あ、ドライヤーを使いたかったら、後で言ってね」
きさくなお婆さんが、答えてくれるのだった。
通路の奥に進むと、確かに小さな部屋があり、そこが脱衣所になっているが。
ロッカーが置いてあるとはいえ、狭いし、そこから覗くことが出来る内湯がすでに狭い。
せいぜい5、6人。10人も入ればいっぱいになりそうだった。
しかも内湯のみで、ここには露天風呂もなかった。
何だか、拍子抜けする、というか少しだけがっかりしたような気持ちになっていた私は、顔に出ていたのだろう。
それを察した、まどか先輩に笑顔で声をかけられた。
「瑠美。入ってみないと、ここの良さはわからないぞ」
「すみません」
ただ、謝って、謝りながらも服を脱ぐ。
実際、入ってみると。
小さな洗い場で、一通り体を洗い終えて、内湯に浸かる。女4人で浸かっても、あまり隙間がないくらいにいっぱいになってしまう。
先客は地元のお婆さんが2人くらいいただけだった。
お湯の温度は41~42度くらい。ぬるすぎず、暑すぎず。この季節にはちょうどいいくらいだった。
露天風呂こそないが、すぐ脇に大きな窓があり、そこから外の景色を見ることが出来た。もっとも、景色とは言っても、ほとんど緑色のみ、つまり外を覆う木々が見えるだけだったが。
「いいお湯ですね」
「だろ? ここの温泉はいいぞ。『信玄の隠し湯』の一つとも言われてるけどな」
「シンゲンって、あのオジサン?」
「あのオジサンって、お前。面白いな。そうだけど」
フィオに言わせると、歴史上の偉大な人物も、ただの「オジサン」になるらしい。
私とまどか先輩とフィオが会話をしている間にも、琴葉先輩だけは、このお湯を心底、味わっているようで、遠い目をしながら、
「ここはPH9.3の高いアルカリ性を持ちながら、硫酸塩泉系という極めてユニークな泉質でね。浴後は最高の湯上り状態になるのよ」
相変わらず、いつものように「解説」をしていた。
まどか先輩が言うように、彼女はまるで「温泉博士」だ。
詳しい。
結局、ここでは30分くらい浸かって、上がり、入浴後には、フロントでドライヤーを借りて、髪を乾かしてから、外に出た。
しかも、これで終わりではなく、
「こっちにいいものがある」
まどか先輩に先導され、またバイクで向かった先にあったのは。
駐車場に面した、細長い建物だった。
建物、と言っても、片側が全開放され、庇のついた屋根があるが、申し訳程度だ。そこに板が敷かれてあり、板と板の間に水が入っていた。
足湯だった。
「ここの足湯は、無料だぞ! サイコーだぜ!」
喜び勇んで、その足湯に向かい、まどか先輩は、はしゃぎながら真っ先に靴下を脱いで、お湯に足を浸していた。
まるで小学生のように、はしゃいでいる彼女も可愛らしいものだが。
「足湯、最高ネ!」
そう言って、まどか先輩に続いて、足を浸して、ぶらぶらさせているフィオもまた小学生みたいなものだった。
「まったく静かに入れないのかしら」
そう言っている、琴葉先輩はまるで引率の先生みたいだ。
不思議な3人に囲まれて、私も足を浸してみた。
さすがに足湯は、温泉より熱くはない。温度は40度くらい。
ちょうどいい感じで、暖まる。
「足湯って、どれくらいの時間、浸かってれば効果があるんですか?」
ふと疑問に思ったことを、まどか先輩と琴葉先輩に向けて尋ねていた。
「そうだなあ。30分くらいじゃね?」
「相変わらず適当ね。15~20分くらいよ。ちなみに、温度は38~40度くらいが一番快適ね」
まどか先輩が適当に発言したのを、琴葉先輩が見事に訂正していた。
そのコンビネーションに、私は思わず笑いそうになっていた。この2人は、なんだかんだで息が合っている。
「へえ。でもいいですね、足湯」
「だろ? ここに来たら、こいつは外せない」
「それより、これで温泉ツーリングは終わりなの?」
フィオが携帯の時計を見ながら声を出す。
私も見ると、まだ14時くらいだった。
「いや」
小さく首を振った、まどか先輩が不敵な笑みを浮かべていた。
「せっかくここまで来たんだ。たまにはツーリングらしいことをやるぞ。瑠美もバイクに慣れてきた頃だろうし」
「どこに行くんですか?」
「富士川沿いだ」
まどか先輩が、含み笑いをしながら、足を浸しているのが不気味に思えた。
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