第46話夏祭りのあとの話(その1)
後の祭り、という言葉がある。
簡単に言えば、もう遅い。ということなのだが。
「これはこれで風情があるよねぇ」
出店がたたまれていくあわただしさや、名残惜しさ。
祭りに来ていた人たちがゆったりとした足取りで帰っていく儚さ。
終わりがあるからこそ美しい、という美的感覚ならばこそ、祭りの後には何も残らないのだろう。
しみじみと、神社の階段を少し上ったところに腰掛けながら、祭りの火が消えていくのを見ていた。
「花火を見逃した代わりとしては、ちと渋いのじゃ」
「別にそういうわけでもないんだけどね……」
ハクの言葉に対して、祭りの最後の花火を見逃したからこんなところにいるわけではない。と言い切ることもできなかった。
花火を見逃したのは、それなりに心残りなのだ。
「しかし、わしはこういった空気のほうが好みじゃ」
隣で同じように腰かけ、のんびりと足をのばしリラックスした様子のハクは、心からそう思っているようだった。
派手な花火よりも、地味で寂しげな風景を好む人もいるということだ。
「俺も好きだけどさ。花火も見られたらなあ、と思うってしまうんだ。欲張りだよねぇ」
「良いことじゃろう。ふふ、欲のないほうが不健全、ということもあるそうじゃぞ?」
冗談のような口ぶりをして、真理に近いことを言うハク。
自嘲したような雰囲気があるのは、そう言っているハクのほうが無欲に近いからだろうか。
それを指摘したところで、ハクはのらりくらりと笑ってごまかすだけで、聞くだけ無駄だろうけれど。
「欲、かあ」
「なんじゃ、わしを見て」
「いやー……。まあ、ねぇ……。ほら、何がしたいかなって」
「煮え切らんのう。わしに問われても困るのじゃが」
ハクの横顔を見つめて、欲について考えていたら変な聞き方になってしまった。
あきれた様子のハクは、視線を下に向けて答えることを拒絶する。
うっすらと眩しそうに細められた赤い瞳が、小さくなった賑わいを映して揺らぐ。
どうせ何の答えも出ない思考から抜け出して、何の気負いもなく、ただ美しいとだけ感じる姿に、しばらく没頭する。
赤い瞳は神秘的で、結い上げた髪はうす明かりの下ですら輝いて見える。
そういえば、ハクと二人で夜に出歩くのは初めてだ。
月明かりの下で見るハクは、それはもう素晴らしいだろうに、ずいぶんともったいないことをしている。
うっすらと花火の煙が残る空を見上げれば、下弦の月。
「20……いや、21かな」
「正解じゃ。意外な特技じゃな」
俺がぽそりとつぶやいた言葉に、ハクは即座に反応した。
次の満月は遠そうだなという不満が混ざっていたのに気づかれてしまったのだろう。
しかし、意外な特技といわれるのは心外だ。
「それなりに、月のことは見上げてるんだけどね」
実のところ、月齢を読むのはそれほど難しくない。
少しの知識と興味さえあれば、一日程度の誤差で読める、そんな簡単なことで褒められてもそれほど嬉しくはない。
少しすねたフリをしながら言えば、ハクは首をかしげて思案する。
「……わしの知らぬ話じゃな」
「……確かに。そういえば、ハクが来てからは夜に散歩することはなくなったね」
数秒かけて出てきたハクの返答に、今度はこちらが思案する。
何のことはなく、ハクとの時間を一番とれるのは夜なのだから、それを使っての暇つぶしをしなくなるのは当たり前のことだった。
申し訳なさにしゅんと肩を落とせば、ハクがくすと笑って言葉を足す。
「いっしょに行けばよいじゃろ。わしも、夜は好きじゃからな」
ぼんやりとした耳をピコピコと動かしながら、ハクは空を見上げた。
夜、月、星。どれが好きかはわからないものの、その言葉に嘘はないことがわかる。
それ自体はもっと前から知っていたことのはずで、今まで触れてこなかったのが不思議なほど。
不思議なものか。わかりきっている。自分はどうしてこう、目をそらすのが上手なのか。
「良いじゃろ。考えても辛いだけじゃ」
「そう、かもね」
「でも、それじゃあダメだろう?」
唐突に、二人の間に声が挟まれた瞬間から、ハクのまとう空気が冷ややかなものに変わる。
急な変わりようだが、これを見るのは二度目だ、しかも今日だけで。
慣れたとまでは言わないまでも、そこまで驚くようなことではない。
階段の下から声をかけてきた人物は、見なくてもわかったのに、その事実を認識するのにしばらくの時間が必要だった。
「望……? 誠也はどうしたんだ」
「近くには居るさ。声は聞こえない程度に離れてもらっているけどね」
望が一人でいることへの驚愕のあまり、それしか聞くことができなかった。
言いたいことはたくさんあったが、望はそれだけ答えると興味を失ったかのように俺から視線を外し、ハクと向き合う。
「もちろん、キミにも離れてもらいたい」
「は、ずいぶんと念入りじゃな」
「仕方ないだろう? ボクだって、人の恥部をさらすことへの忌避感くらいあるさ」
「ぬかしおる。きさまがカカルの何を知っておるというんじゃ」
「知ってるかどうかじゃないさ。ボクが見れば分かること、だよ」
バチバチと火花が散っているのかと錯覚するほど険悪な雰囲気に、挟まる余地が見いだせない。
飄々としながらも引く気はなさそうな望と、そんな望を排除しようと敵意をぶつけるハク。
どっちも初対面です。こんな時の対応法マニュアルなんて読んでないぞ。
ぶっつけ本番でどうにかしなければならないのが、人生なのかも。
「望」
「……なにかな」
俺の呼びかけに対して、望は言いたいことがあるなら手短にしろ、と言いたげな目線をこちらに向けた。
不機嫌ではあるが、反応してくれるなら第一関門は突破できた。
「どうしても、ハクは席を外さないとだめ?」
「……これは、キミのためでもあるんだよ、真藤。それとも、本当に効かれていいというのならば、ボクとしても手間がはぶけるんだけどね」
第二関門は突破できなかった。
望の言いたいことがわからない以上、それを判断するのは難しい。
ハクは啖呵を切ったが、なんだかんだで望との付き合いは長いし、何を言われるか分かったものじゃない。
つまり、詰み選択肢とわかっていても、ひとまず確認を取らなければならない。
「は、ハク……」
「おぬしがいうのであれば……、従うのじゃ」
ハクはすっごいめちゃくちゃ嫌そうに吐き捨てて、視線すらも合わせてくれなかった。
ふふ。心がミキサーにかけられる音が聞こえるぜ。
万策尽きてしまった。頼れる仲間は声が届かない。詰みですね。
出口のない迷路に入り込んでしまった俺は、こうなったら覚悟を決めるしかない。
「望。オブラートに包むことは可能……でしょうか」
土下座外交である。
本当にハクに聞かせたくないことであれば、その時になってからでも遅くはないし、いざとなればハクの耳をふさいででも……。
どっちの耳で聞いてるのか分からないからどっちの耳をふさげばいいか分からないじゃんね……。
「はあ。約束するよ」
土下座外交すらも失敗が見えてきた俺を見かねてか、心底めんどくさそうな溜息を吐いた望が状況を変えてくれた。
「キミたちにとって、益のある話だよ。特に、そっちの白いのにとっては、ね」
「……信用できる理由がないのじゃ」
投げやりな望の説得にハクは反論するが、その語気は弱い。
相手が嘘をつく理由がなく、可能性も低いことを、冷静な部分ではわかっているせいだろう。
というよりも、ハクが拒否しているのはほとんど感情的な理由からであって、本当に相手を信頼できないという理由は一割にも満たないだろう。
それは、初対面の時点で互いを理解していた様子からしても間違いないと思う。
同時に、望がハクの居る場で話したがらないのも、おそらくは感情的な理由だろう。
「んー、わかった。じゃあ、俺から話の内容を言うよ。ハク、それでどう?」
「……むぅ」
このままではらちが明かないのは分かり切っていたので、どうにか落としどころを探る。
二人を観察していて落ち着いてきたので、どうにかなりそうだという勝算も出てきた。
ハクが不満そうに寄せてきた尻尾に手を添えて、安心させるように微笑む。
「どうせ、そんなに大事な話でもないでしょ。……嘘は、つかないよ。絶対」
できる限り真剣に、絶対に嘘をつかないという覚悟を込めてハクに伝える。
それはハクにも伝わっているようで、そんなことは心配しとらん、とにべもなく手を振られる。
「はあ……。そうじゃな、仕方があるまい。すぐに戻るんじゃぞ」
「もちろん。ハクを待たせるなんてしないよ」
深くため息をついて、渋々にもほどがある様子ではあるものの、ハクがうなずいてくれた。
そのままハクが去り、俺も一つ息を吐く。
正直、俺もそのまま帰りたいくらいだが、そうなれば望の機嫌を損ねるだろうし、おとなしく話を聞くしかない。
「ここまでさせておいて、どうでもいい内容だったら誠也にチクるからね」
「それはキミ次第だねぇ。ま、単刀直入に言おうか」
にやり、と望は意地悪そうに笑った。
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