第29話天気雨を眺める話

 何気ない昼前の時間。

 ハクは尻尾を揺らしながら昼ご飯の準備をしている。

 頭に三角巾を巻いていて、耳は半分隠れている。

 実際に毛が落ちるようなことは無いらしいので、気分的なものらしい。

 夏休みも数日が過ぎ、色々と関係の変わった日からは2日ほど。

 意外なほどに、いつも通りの日常を送っている。


「おぬしー。洗濯機がなっておるぞ」


「はーい。干してくるね」


 洗濯機の待ち時間の間、ボケっとハクの様子を眺めていたら聞き過ごしていたらしい。

 普段は大学もあってそれほど時間が有り余るという事は無いのだが、こうして一日中フリーだと、どうしても家事をやりつくしてしまう。

 二人でのんびりお茶を飲むというのは、いくらでもできる自信があるが、だからといって何日も何時間もやるようなことでは無い。


「よいしょっと。……もうちょっと服、買おうかな」


 洗濯機から取り出しながらの独り言。

 洗濯物は相変わらず俺のものばかりで、ハクの下着や衣服が混ざることは無い。

 買ったのが一着だけなのだから当然だろうが、もっとハクに着てほしいと思うのも事実。

 こう言っては何だが、恋人に貢ぐ男たちの心情と全く同じだろう。

 ハッキリと気持ちを伝えて送れば多少は着てくれるだろうが、難易度が高すぎる。


「難儀だなぁ」


「なんじゃ、先から独り言が多いようじゃが」


 カゴを持ってリビングに戻る途中で、ハクに呼び止められた。

 昼ご飯の準備はおおよそ終わったようで、頭に巻いていた三角巾を外そうとしている。

 三角巾から解放されピコピコと動く狐耳は、どうやら俺の独り言を敏感に聞き取っていたらしい。

 さすがに気恥ずかしいが、カゴを持ったままでは照れ隠しもできない。

 二人の時間を共有しているという嬉しさがあるとはいえ、ボケっとしすぎるのも考えものだ。


「いや、正直なところ……暇だなぁって」


「ほぅ。確かにそうじゃな、こう一日何もないと仕方ないのじゃが」


「ハクも居るからね」


 ハクのおかげで、しなければならない家事は半分になる。

 同時に、ハクが居るから暇を持て余すというほどでもない。

 なんとも、難儀なものだ。


「ふむ、久しぶりにテレビでも見ようかの」


「それもいいね。じゃあ、さっさと干してくるよ」


 夏休みに入ってからは二人で過ごす時間が増えたこともあり、テレビを見て過ごす時間は短くなった。

 そうでなくともここ数日はドタバタしていたので……といっても3日ほどか、いずれも濃い一日だったせいでつい時間感覚が狂ってしまう。

 ハクがぱたりと尻尾を振り、嬉しそうに瞳を細める。

 ……やはり、二人の時間は良いものだ。


 そんなことを考えながらベランダに出たとたん、不意に水滴が頬に当たる。

 パタパタパタと、雨粒がベランダの床を叩く音。


「おっと、けっこう降ってる」


「なんじゃ、雨か」


 洗濯物を濡らさないために中に戻る。

 ハクが驚いた顔をして、入れ違いにベランダに出ていく。

 考え事をしていたせいで雨に気づかなかったかと思ったが、さすがにそこまで腑抜けてはいないようで、日差しはハッキリと差し込んでいる。

 カゴを置いて、ハクの隣に行くと、どこか遠くを見つめていたハクがぱちりと瞬きをする。


「天気雨、じゃな」


「天気雨、だね」


 ハクは、そうつぶやいて耳をぺたりと閉じる。

 俺も一緒につぶやきながら、びゅうと吹いた風に目を細める。

 風がやってきた方角に目をやれば、天を衝く入道雲。

 あんなところから運ばれてきたのか、随分と気合の入った雨だ。

 それ以外には、雲一つない晴天。まさに天気雨だ。

 そう、天気雨である。


「狐の嫁入り、じゃな」


「カヒュ」


 いや、ハクも本気で言っているわけではない。

 からかい半分と、慣らし目的が半分で、本気成分はそんなにない……はずだ。

 本気でないことが分かっているとはいえ、やはりそういう事を聞くと反応してしまうというのは早くなおしたいと、俺も思っている。

 それをくみ取って、慣らしてくれようとしているあたり、やはり一種の愛情表現には違いない。


「ヒュー、ヒュー……。実際、どうなんでしょーか?」


 なんとか息を整えつつ、いつも通りを装おうとして不自然な敬語を発する。

 少し心配そうに見つめていたハクは、それを聞いてクスリと笑う。


「すべての天気雨がそうではないが……。此度のは、そのようじゃな」


 ハクが少し、羨ましそうな、同時に嬉しそうな様子で指をさす。

 そちらを向いてみると、くっきりとした虹がかかっていることに気づいた。

 なるほど、嫁入りをしているかどうかはこれで分かるという事か。


「綺麗な虹……。きっと、幸せになれるだろうね」


「うむ。そうであればよいのう」


 少しの間、名も姿も知らぬ妖狐の幸せを祈る。

 そして顔を見合わせて、苦笑する。


「人の幸せを祈っておる場合では無いじゃろうに」


「ハクこそ。ちゃんと幸せにならなきゃ」


 優し気な、言葉の裏側にはたっぷりと蜜が詰め込まれた会話。

 見知らぬ誰かの幸せを祈れる人を、愛おしく思うのは、自然なことだろう。

 そして、愛おしい人に幸せになってほしいと思うのも、自然なことだ。


「いつか……」


「うむ」


「いつか、俺たちも……。あんな風に虹を、かけたいね」


 大きく深呼吸をしながら、声が震えないように、キチンと言い切る。

 迂遠ながらも、明白な告白に、ハクが目を見開く。

 すぐに眉を下げて困ったように笑うと、俺の手を握る。


「無理はせんでもよい」


「うん」


「ほんとうに、わしでよいのか?」


「言うのが2カ月は遅いかなって」


 梅雨の季節、ハクと出会って、今は夏真っ盛り。

 答えに窮するような期間はとうに過ぎてしまった。

 雨が、少し火照った頬を冷やしても、夏の暑さは消えそうにないように。


「わしにとっては、半年は早いがのぅ」


 震える手から、ゆっくりとハクの温もりが離れていく。

 恥ずかしさで顔は熱いのに、血の気が引いて頭は冷えて感じる。

 情けないことに、今の俺ではこれが限界だ。


「……はんとし?」


「ふふ……。また、言うこともあるじゃろう」


 クラクラする頭を押さえながら、ハクの言葉に疑問を覚える。

 意味深に笑いながらも、心配そうに背中に手を添えられて、話題は流れる。


「ほれ、テレビを見ようぞ。いつものように、のう」


「そうだね。いつも通りに、ね」


 二人の時間はゆっくりと流れていく。

 それが良いことか、悪いことかは、まだ分からない。

 ただ言えるのは、一つだけ。


 のじゃロリ狐娘と過ごす日々は、最高に幸せだ。

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