第25話 ヒロミと斉木
ユイが予約を入れた、いつものラウンジの、いつもの席で、斉木さんとヒロミさんは向かい合わせで座っていた。
ヒロミさんの返事は早かった。斉木さんからは、それよりもやや遅れて、事務所に連絡が入った。電話口で、彼が意外そうな口ぶりで聞いてくる声が聞こえた。
「今度の相手は、看護師なんですね? 」
だが、それ以上は何も言わずに、見合いに承諾する旨を伝えてきた。ここまでは、彼の過去の4度の見合いへと至る過程と同じだった。そして、見合い当日の二人きりになってからの会話の調子も、彼の場合、いつも通りであった。
話題を振ってこようとしない斉木さんに対して、ヒロミさんの方から、あれこれと質問するというパターンだった。
「斉木さんのお父様って、あの有名なアパレルメーカーの社長さんなんですね? 」
興味津々で聞いてきたヒロミさんに対して、彼は仏頂面で、短く答えた。
「ええ」
プツン! 見合いのたびに、同じ質問を繰り返されて、心底うんざりしているという感じが、見え見えの対応ぶりであった。
でも、そこは病院ではベテランの域に入ろうとする看護師のヒロミさんだ。無口な人からお喋りな人まで、様々なタイプの患者との対話を積み重ねてきた実績がものを言う。めげることなく、笑顔を絶やさずに、次の質問を投げかけた。
「お父様の会社の企画部勤務とありましたけど、そこで、どんな仕事をされてるんですか? 」
「デザイナーです」
これまたワンフレーズの返答で、会話は途切れてしまった。しかし、ヒロミさんは強い。パッと笑顔を満開にして、弾んだ口調で、話題を膨らませていった。
「やっぱり! 初めてお会いしたときから、お洒落な方だな、と感心していたんです。病院の男性スタッフでは、絶対にお目にかかれないファッションセンスで、完璧に着こなしていらっしゃいますものね」
すると、彼の口もとが少し緩んだ。
「ファッションセンスに
彼にしては珍しいジョークに、ヒロミさんは声を上げて笑った。
「今日お召しになっているスーツは、麻ですよね。しわが目立って、フォーマルな場に着ていくには、勇気のいるものだ、と思ってたんですけど、斉木さんが着ると、清涼感が際立って、フォーマルウェアとしても、ありだな、と思いました」
何とかして、不愛想でとっつきの悪い彼の気分を上げようと、精一杯男性物の洋服について、感想を並べたてた。
「これは、麻100パーセントじゃなくて、化繊も混ぜて、両方のいいとこどりを狙ったものなんですよ。フォーマルにも、カジュアルにも対応出来るよう、デザインも何パターンか作ってみたんですが、企画会議では、ずいぶんもめましたね」
特に自慢するふうではなく、さらりと言ってのけた。その言葉に、ヒロミさんの目は輝いた。
「じゃあ、これ、斉木さんのデザインされたスーツなんですか!? スゴ~イ、カッコイイです。プロのデザイナーの方とお話するなんて、初めてです。職場では考えられませんから、とっても新鮮です」
彼女のストレートで、少女のような喜び方が、彼の胸にも響いたのか、今日一番の笑顔が浮かんだ。
「ボクなんか、オヤジの会社で、自由に洋服のデザインなんか、させてもらってますが、休みの日になると、ときどき考えるんですよ。何か、自分という人間が軽いな~、って。
あなたみたいな看護師という生命に直接関わっているような人と比べると、自分なんて、いてもいなくても同じなんじゃないか、ってね」
彼の浮かべていた笑顔に、卑屈な影が差しかけた。ヒロミさんは、そんな自分のことを過小評価する言葉を、言下に否定した。
「違います。大病を患って長期入院を強いられている患者さん。特に女性の場合、くる日もくる日も、身に着けている物と言えば、パジャマばっかり。ベッドの上で、ファッション雑誌を眺めながら、いつになったら、こんな可愛い服を着られる日がくるのかしら? と嘆かれることが多いんですよ。お洒落な服を着られる日が、いつかやってくる―その方にとっては、それが生きる希望。辛い闘病生活を乗り越えていくために、必要不可欠な心の支えになっていることもあるんですよ。
ファッションなんか、あってもなくても同じもの、だなんて、絶対ありません。
デザイナーという仕事は、誰にでも出来るものではない、と私は思います。才能のある人が、さらにその才能を磨いて、理想のイメージを形にするという魔法のような仕事を成し遂げられているんです。
きっと、斉木さんの代わりになるようなデザイナーなど、この世にはいない、と思います。斉木さんの生み出すデザインは、斉木さんだけが生み出せるものに違いありません。
・・・ゴメンナサイ。デザインの何たるかなど、まるで分っていない私のような人間が、偉そうなことを言ってしまって。釈迦に説法とは、このことですよね。・・・でも、私、本当にそう思ってますよ」
彼は、視線をテーブルに落とし、黙ってヒロミさんの熱弁に耳を傾けていた。その表情に差しかけていた自己卑下の影は、すっかり消えていた。ヒロミさんの語りが終わっても、彼はじっと固まったままだった。それから、やおら顔を上げると、ヒロミさんに告げた。
「アリガトウ」
言葉はそれだけだったが、彼の顔は、かすかに紅潮していた。
ヒロミさんは、と言えば、彼以上に顔を紅潮させ、恥ずかしそうに下を向いてしまった。
二人の間に沈黙が続いた。場つなぎのために、まだ口をつけていなかったジンジャーエールの注がれたグラスに、彼が手を伸ばしたときだった。
ドンッ! とお尻の下から突き上げる強い力を感じた。伸ばしていた手が、不規則に揺れ、グラスを倒してしまった。小さな泡を浮かべて、ジンジャーエールがテーブルに広がった。
ラウンジにいた女性客の多くから、悲鳴が上がった。厨房からビンのぶつかる音、何かガラス製の物が落下し、割れる音が、立て続けに響いてきた。
ヒロミさんはとっさに、こぼれたジンジャーエールを拭きとろうとでもしたのか、右手におしぼりを握りしめた格好で、突き上げてきた力に驚き、固まってしまっていた。
だが、本番はこれからだった。
遠くから猛スピードで、さざ波のように伝わってきた震動が、大きな横揺れとなって襲ってきた。最前とは比較にならぬほどの数の悲鳴が上がり、たちまちにしてラウンジはパニックに陥った。ヒロミさんも半泣きの顔になり、テーブルをつかんで、短い悲鳴を上げた。
横揺れは大きさを変えて、いつまでも続いた。天井に吊るされた幾つものシャンデリアが、振り子のように揺れ、ガラスのぶつかり合う音を、盛んに立てた。広い通りに面した、大きく切り取られたガラス窓がきしみ、サッシの枠組みが、気味の悪い音を発していた。
いつ、シャンデリアが落下し、ガラス窓が割れてもおかしくない。ホテル全体が、生き物のように、狂おしく揺れ動いていた。
座っていたソファーから転げ落ちるように、床に座り込んでしまったヒロミさんを見て、斉木さんは、テーブル周辺のソファーを力任せに壁際へと押し込み、テーブル周りのスペースを広げた。そして、座り込み、身動きのとれないヒロミさんのからだを抱きかかえて、テーブルの下へと移動させた。
だが、テーブルは小さい。ヒロミさんの上半身は、テーブルの下に潜り込ませても、腰の辺りが、テーブルからはみ出てしまう。恐ろしさに顔をひきつらせていたヒロミさんの耳もとで、斉木さんはささやいた。
「大丈夫。何が落ちてきても、ボクが守りますから」
ヒロミさんのからだを背後からハグして、自分のからだで、彼女をかばった。その姿勢を維持しながら、何度もささやき、励ました。
「大丈夫、大丈夫。ボクがついていますから。揺れは、もうじき治まりますから。ガンバって! 」
肩を抱いた彼の手から伝わってくる力は強かった。その力強さに気付いたとき、ヒロミさんは安心感を覚えた。
突如、襲ってきた地震に、彼女の鼓動は、一気に激しくなった。ドキドキ、ドキドキ・・・。心臓の脈打つ音が、はっきりと聞こえた。横揺れが大きくなるたびに、心臓の音は、いっそう速く、大きくなった。
地震への恐怖。そのせいであることに間違いない。だが、その胸の高鳴りは、そのせいばかりではないように、ヒロミさんには思えた。
後ろからハグする彼のからだから、甘い香りが漂っていた。かすかな香りではあったが、その香りが、自分を守ろうとする彼の存在を、より身近に感じさせた。
地震は怖い。一刻も早く治まってほしいと切実に願った。と、同時に、いつまでもこの状態が続いてほしいと願う、相矛盾する自分がいることを、ヒロミさんは感じていた。
テーブルの下に潜り込んでいるために、今、ラウンジがどのような状況になっているのか、確かめることは出来なかった。視界に入るものといえば、自分を守っていてくれる彼だけであった。
今、世界にいるのは自分と斉木さんだけ。心臓は早鐘を打ち続けていたが、どこか甘美な夢を見ているような気分を、ヒロミさんは味わっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます