Chapter.1 ルドルフ邸編

Episode.01 迷い人

 ――死は終わりではなく始まりだ。


昔、誰かに言われた言葉だ。

そして、今でも覚えている言葉でもある。


幼い頃はその言葉の意味を理解する事は出来なかった。


でも、今なら少しだけ理解できるかもしれない。


これからが本当の始まりなのだと――


Episode.01 迷い人


目覚めた時、最初に感じたのは凍える様な寒さだった。


身震いしながら辺りを見渡すとそこは薄暗い森の中――


「……どこだよ、ここ?」

思わず独り言を呟いた。


「訳が分からない」

俺は必死に意識を失う前の記憶を辿るが、全く思い出す事が出来なかった。


「そもそも俺って誰だっけ?」

それどころか自分の名前や生まれ故郷でさえ覚えていない始末である。


つまり、俺は記憶喪失というやつなのだ。


「……最悪だ」

非情な現実に頭を抱える。


「とりあえず歩くか」

一時間くらいそうしていたが、状況に変化がないと判断して森の中を歩いて回る事にした。


もしかしたら、歩いている内に町や村に辿り着くかもしれないと淡い期待を抱いたからである。


「な、何もねぇ」

しかし、三時間近く森の中を彷徨さまよい歩いたが、村どころか小動物一匹すら見かける事はなかった。


「もう駄目、一旦休憩」

流石にやっていられなくなり、その場で大の字に寝転がる。


服は汚れるが気にしない。


地面に生えている芝生がひんやりしていて冷たかった。


不意に近くの茂みがガサゴソと音を立てる。


「ん、何かいるのか?」

俺はそのまま寝転がりながら茂みの方へ視線を向ける。


直後、それは茂みから姿を現した。


「ま、まじかよ」

それは大きな犬の姿をした生き物だった。


「……でけぇ」

思わず、そんな言葉が口かられる。


ちなみに犬と断言しなかったのには理由があり、それは俺が覚えているサイズと大きく異なったからだ。


それは全長が200から230㎝はあり、ライオンや虎と変わらぬサイズだ。


今、その犬モドキが唸り声をあげて俺の前に立っている。


正直、小便をちびりかけた。


「し、失礼しましたー」

流石に身の危険を感じた俺は飛び起き、相手へ視線を向けたまま後退あとずさる。


だが、今度は後方から別の唸り声が聞こえてきた。


振り向くと新たな犬モドキが三頭、行く手をはばんでいる。


「……Oh」

神様、僕は記憶を失う前に何か悪い事をしたのでしょうか?


そんな自分の不幸を呪っていると最初の一頭が動きを見せた。


躊躇ためらいなく此方へ接近し、襲いかかってくる。


どうやら、今夜のディナーは俺に決めた様だ。


「やばっ」

当然、ただ食べられるという超絶バッドエンドは回避したいので俺は近くの木によじ登った。


恐らく記憶を失う前の俺は、運動神経が特別良かった訳でもないので木登りは苦手のはずだ。


だが、今のこの状況ではそんな事を言っている場合ではない。


とにかく、死に物狂いで登るしかないのだ。


登っている最中、例の犬モドキの牙が自分の尻をかすめた気がして尻が冷える思いをした。


「あ、危なかった」

間一髪かんいっぱつで木を登り終え、安堵あんどする。


しかし、それで安心できるはずもない。


見下ろして犬モドキの数を確認すると、四頭が木の周りを取り囲んでいるのが見えた。


「ど、どうしよ」

助かりはしたが、このまま下の状況が変わらなければ何れえて死ぬことになるだろう。


かと言って下に降り、あの数の犬モドキを追い払えるほどの力は俺にはない。


「…………」

そんな非力な俺が出来る唯一のこと、それは――


「誰かーっ! 助けてくださーい!」

全力で助けを呼ぶことだけである。


「お願いですっ! 誰か来てーっ!」

情けない、と言われるかもしれないが死ぬよりはずっとマシだ。


そこから俺は、人気のない森の中で助けを求めて叫び続けた。


「ぜぇ…ぜぇ………」

時が過ぎ、叫ぶ気力もなくなった俺は枝木に寄りかかり、項垂うなだれる事しか出来なくなっていた。


もう助からない、そう絶望しかけた時――


「何やら騒がしいと思えば、人が瘴魔しょうまに襲われておるとは……」

奥の茂みから灰色のとんがり帽子を被り、薄汚い布切れの様なもの羽織はおった白髪で髭長ひげながの老人が姿を見せた。


「森には近づくなと村の者に伝えておいたはずじゃが……」

老人はそんな事を呟きながら、此方へと歩み寄って来る。


その出で立ちから、この状況を打破してくれるとは到底思えない。


「た、助けてください!」

しかし、今は誰でもいいから助けてほしいので素直に助けを求めた。


「いいから大人しくしておれ、すぐに片付ける」

老人は手にしている細長い木製の杖のようなものを頭上へかかげ、何やらぶつぶつと独り言を呟き始めた。


犬モドキはその隙を突き、四頭で老人を取り囲む。


これはやばいんじゃ……と口にしかけた時、突如杖の先端に炎が灯され、その炎が飛翔ひしょうして犬モドキに直撃した。


「は?」

目の前で犬モドキが炎上して燃え尽きるのを目の当たりし、絶句していると瞬く間に四頭いたのが二頭にまで減らされている。


残りの二頭は勝てないと悟ったのか、逃走を始めた。


「ふぅ、やれやれ」

老人は一仕事を終え、長い髭を手でなぞりながら一息ついている。


俺はそれを背にしながら、恐る恐る木から降りた。


「あ、あの、ありがとうございました」

そして、老人の元へ近づき犬モドキを追い払ってもらった礼を述べる。


「全く、たまたまわしが通りかかったから良かったものの、一歩間違えれば死んでおったぞ?」

老人は怒った表情で此方を睨み、説教を始めた。


「すみません」

俺は何も言い返す事が出来ず、ただ謝る事しか出来ない。


「これからはもっと慎重に……ん?」

まだ続くのかと憂鬱ゆううつになっていると、老人は俺の顔を見て何かに気付いたのか唐突とうとつに説教を止めた。


「……お主、変わった髪色をしておるな? もしや、村の者ではないのか?」

どうやら俺の髪色、黒髪は老人には珍しく映った様で説教から今度は質問攻めへと変化した。


「あの、それが……」

俺はその質問に答え、今の自分が置かれている状況を全て老人に説明した。


「ふむ、記憶喪失とは災難だのう」

数分後、事情を理解した老人は哀れみの目を向けながら話を続ける。


「よし、こんな所で長話もなんだ、儂の屋敷に来ないか? そこでゆっくり茶でも飲みながら話そう」

話の途中で老人が自分の家に招待すると提案してきた。


「え、えっと……」

急な提案にコミュ障の俺が戸惑っていると老人は何かを察し、あぁーと声をあげた。


「そういえば、まだ名も名乗ってなかったのう」

どうやら、俺が戸惑っているのは名前を知らないからと勘違いしたらしく老人は自己紹介を始めた。


「儂の名はルドルフ、ルドルフ・ウィンター、しがない魔法使いじゃ」

それがルドルフという老人との出会いだった。

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