紅目①

林先生は、雪の上を素足で円を描くように歩き始めた。

まるで夏の芝の上を歩き回る少女のように平然と。

その動きは優雅で軽やかだ。歩き方はよく似ている。そう、蓮に。



さっきいつもと何か様子が違うと感じたのはこれだったのか。

答え合わせをするまでもない気がした。



なぜ凍えるような寒さの中、平然と雪の上を素足で歩けるのか。なぜ意識のないわたしを小柄な女の人がこんな場所まで連れてこれるのか。

それは先生が人間より遥かに体温が高く、強靱な肉体と力を持っているからだ。



歩くのをやめ、雪と同じくらい白く細い指で、被っていたフードを両手で掴みそっと脱いだ。

ゆっくりと、自分の正体を明かすように。

眼の前にいるのは紛れもなく林先生。

保健室に運ばれた時に大丈夫、と心配してくれたあの時の先生の顔と同じ。

何も変わりない。



そう──。ただ一つのことを除けば。

眼が──紅い。人間の眼じゃないみたいに。

鬼だ。

──紅目族。



蓮に鬼についての話を聞いた時、一番恐ろしい種族だと思った。

眼の紅さがよく熟れたザクロと同じだから、蓮はザクロと呼んでいた。

『ザクロは鬼の中でもっとも残忍で狡猾なんだ』

ぞわりとうなじの産毛が逆だった。



まさか、こんな身近に紅目族がいたなんて想像もしていなかった。

でも紅目だからと言って、先生がわたしを殺したい理由が思いつかない。

彼らだって人間として現代社会に生きている以上、闇雲に誰でも殺すわけではないはずだ。


「・・・・・・どうしてわたしのことがそんなに憎いのですか?」


自分の声は消え入るほど小さい。


「どうして?」

先生が意外そうにわたしの言葉を繰り返す。


「吉野さんはまるで理由が分かっていないのね」



どこか興ざめしたような表情でわたしを見た。

そんなことは起こらないと分かっているのに、嘘よ、びっくりした? って笑いかけてくるんじゃないかと心のどこかで期待してしまう。でも実際はそうはならない。


「吉野さんはね、私の人を奪ったの」

何を言ってるのか理解できなかった。わたしが先生の人を奪う?


「ああ、彼は人間じゃなかった。鬼よね。そうでしょ?」


・・・・・・人じゃない、・・・・・・鬼。

蓮のことを言ってるのだとすぐに分かった。


「蓮のことを言っているんですね」

落ち着いた声を出そうと思ったのに、鼓膜を通って耳から入った自分の声は信じられないほど震えていた。蓮の名前が出てきたことにひどく動揺していた。


「そうよ」


「先生は蓮を知っていたんですか?」


先生はまた、雪の上を歩き回る。

新雪を踏みしめる音が静かに響く。



「ええ。私が子供の時からね。彼は私の分身。ずっと昔からそう決まってた。あなたが想像できないくらい長い年月をかけて探してきた私のものなの。昔も今も、人間という種族には本当にうんざりさせられるわ。何ひとつ私達に勝るところがないのに、我がもの顔で土の上を歩き回る。まるで自分達がこの惑星の正当な住人であるかのようにね。私達の完璧で素晴らしい世界が傲慢な人間達に、壊され汚され奪われた。誇り高い鬼達は人間として生きることを余儀なくされた。私がそんな屈辱を受けてまで生き延びてきたのは、どうしてだと思う? もう一度、彼に会うためよ。

名前も身分も偽り、人間に紛れて生きる彼を見つけるのは簡単なことじゃなかったわ。初めて会った時から決めていたの。次に会ったら、もう永遠に離れないと」


紅い目が妖しく光った。

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