救出②
「一、二、三!」というかけ声と共にわたしの身体は持ち上がり、小さなベッドに移された。
首を少し傾け、わたしは辺りを見回した。
蓮の姿が見えない。
どこにいるの?
さっきまでいたのに。側にいてほしいのに。
蓮、弱々しい小さな声で呼んでみる。誰もわたしの声に気づいてくれない。
ベッドごと救急車の中に運び込まれ、毛布が体にかけられた。
わたしのすぐ側で救急隊員は血圧を測ったり、モニターのようなものをつけたりせわしなく動き回っている。
「もう大丈夫ですよ。今から病院に行きますね」
救急隊員の優しい声かけにわたしは小さく頷いた。
蓮は一緒に乗ってくれないのかな。
「あの・・・・・・、さっきまで一緒にいた男の人はどこですか?」
声に力が入らなくて、囁き声になる。
「男の人? それはちょっと分からないけど、病院までは先生が一緒に付き添ってくれるみたいですよ」
そうですか、と呟いた。小さすぎて聞こえたかは分からない。
救急車の中は温かかったし、明るかった。
わたしは安心して再び深い眠りに落ちていった。
日曜日の遅い朝のような目覚めだった。少しけだるくで、でも心地よくて。
まだ眼を開けずに布団の中でごろごろしていたい。
同じ姿勢で寝ていたせいなのか全身が痛い。頭もぼんやりしていて、少し重かった。
布団の中で身体を少し動かそうとした。
・・・・・・いてて。思わず顔をしかめた。
腕と脇腹に痛みが走った。両足も少し動かしただけでも痛い。なんでこんなにどこもかしこも痛いんだろう。
ゆっくり眼を開ける。
白い壁。薄いグリーンのカーテン。ベッドの柵。
見慣れない部屋だ。そういえばいつも枕元においてあるジンベイザメのクッションもない。布団も違うし、マットレスも固い。
そこでようやくひとつの結論にたどり着く。
・・・・・・つまり、ここはわたしの部屋じゃない。
で、次に見えたものでさらに頭が混乱する。
窓際の茶色のソファーに座って寝ているのはあの蓮だからだ。
普通なら、朝目覚めてそこにいるはずのない人物。
しばらくの間、脳内のニューロンは活動を停止し、彼の顔を堪能する。
完璧な顔の前では、これが現実か夢かなんてどうでもいいことのように思える。大事なのはここに蓮がいること。わたしの眼の前に。ここにいるなら、夢であっても幸せなことに変わりはないのだから。
長い脚の膝のうえに、自分の片肘をつき、頬杖をして目を閉じている。
整った眉、まっすぐに通った鼻すじ、上品な口元、額から頬、顎へと続く美しいライン。どれもこれも完全な調和。
広い宇宙に浮かぶ天の川銀河の、地球が属する太陽系みたいに、完璧な配置。
琥珀色の彼の瞳は一度みたら忘れられないほど美しい。
危うくて、それでいてどこか寂しそうな眼。
ふとした瞬間に見せる優しくて、柔らかい眼差し。
本当に神様はどうしてこんな美しい人を造ったのだろう。
何のために? 誰のために?
そう、その眼に見つめられたら、誰だって抵抗なんてできないはず・・・・・・
──ん?
さっきまで目を閉じていた蓮の目が、いつの間にか大きく見開いてた。
はっとしたように驚きの表情に変わり、ベッドサイドに駆け寄ってきた。
「気がついたのか? 痛いところはない?」
この眼だ。わたしが大好きな蓮の優しい眼。
「うん、大丈夫だ・・・・・・・」
言い終わらないうちに、蓮が腕を伸ばしわたしを抱きしめた。
寝起きの心臓がひっくり返る。
大好きな蓮の匂い。
不思議と心が落ち着いてくる。この匂いには鎮静作用もあるみたい。
ええと・・・・・・とりあえず大丈夫と答えたけど何が大丈夫なんだっけ?
やっと思考が再開する。そうだ、わたしスキー場で遭難したんだっけ。
頭の中であちこちに散らばったていた記憶の断片がつながってきた。
あの日の午後、わたしは美咲とはづきと一緒に滑っていた。
ゴンドラで上まで行ったら、だんだん天候が荒れてきて・・・・・・それで、
はじに立っていたら、いきなり誰かがぶつかってきて、わたしは崖に落ちたんだ。
あちこち痛くて、寒くて動けなくて、もうダメかと思った。
蓮はようやくわたしをそっと解放してくれた。
「本当に心配したんだ。君が行方不明って聞いた時、生きた心地がしなかった。もしかしてもう会えないかもしれないと思ったら・・・・・・生まれて初めて恐怖というものを感じた」
蓮は苦悶の表情で絞り出すような声で言った。
「冬桜は本当によく頑張った」
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