遭難②
だけど現実は甘くないことをすぐに思い知らされた。
滑っているときは、体を動かしているからまだいい。吹雪の中、身動きせずにいると経験したことのないような、体の内から骨ごと凍り付いてしまいそうな寒さが襲ってくる。一秒ごとに体温が奪われていくのを感じる。
歯の根が合わずカチカチと鳴っている。冷凍庫の奥に忘れられた金づちみたいにカチコチに凍ってる魚を思いだした。
自分があんな風になるのかもしれないと思うと、ゾッとする。
どれくらい時間がたっただろう。
辺りはもう真っ暗だった。
二時間、三時間・・・・・・それ以上経ったのだろうか。
正確な時間は分からない。もう何時間もずっと風の音だけ聞いている。
いくらか風は弱まった気がした。
寒くて真っ暗で・・・・・・怖かった。
「・・・・・・・誰か!助けて!」
無駄なことだと分かっていたけど、声を何度か張り上げた。
眼を開いていても何も見えず、本当に眼を開いているのかよく分からない。
「蓮・・・・・・助けて。蓮」泣きながら呟いた。
泣いたって仕方ないのは分かっているけど、涙が止まらない。
このまま死んでしまうのかもしれないと思ったら、暗闇の中ひとりでいるのは、とてつもなく恐ろしかった。
やむことなく雪は空から落ちてきて、わたしの上にも降り積もる。
ときおり雪を払わないと、頭も全部雪の中に埋もれてしまいそうだった。
極度の疲労と寒さで、気が遠くなりかけていた。
体の感覚も鈍い。もうどこか右足かも、どこに足がついているのかさえも、よく分からないくらい。部位は分からないけど、じんじんとした痺れを感じる。それが冷たさのか痛みなのかも分からない。
でも冷たさであれ、痛みであれ感覚があるうちはまだいいのかもしれない。
全ての感覚もなくなった時は・・・・・・きっと終わりだ。
何かをしていないと眠ってしまいそうで、心細くて僅かに動く手で周りの雪をずっとかいている。それでもさっきから瞼がおそろしく重く感じてしまう。
美咲とはづきは先生に言ってくれたかな。
そもそも、誰かわたしを捜索してくれているのだろうか。
ぷつっ、ぷつっ、と時折意識が飛んだ。
そして途切れることなく沖から寄せる波のように、眠気が襲ってくる。
蓮の顔が不意に浮かんだ。
蓮・・・・・・蓮に会いたい。
蓮の名前を呼んで、途切れそうになる意識をつなぎ止める。
わたしが行方不明になったってことをもう知っているのかな。ここにこんな風にいることを知ったら、すごく心配するだろうな。
それとも、蓮に気をつけてって言われたのに、こんなことになってバカだって怒る?
三湖夜祭の時、野球場で男にからまれて怒っていたあの時のように。
まどろみの中で記憶を辿る。
恐ろしい形相で、蓮が男の耳元で何かを囁いたんだっけ。
男に何を言ったのかずっと気になっていたのに、あの日のことを口にするのは気まずくて訊けなかった。こんなことになるなら、聞いておけばよかったな。
蓮のことを考えたら、こんな絶望的な状況でも頬が緩んだ。
でももう、蓮とは会えないかもしれない。そう思うと死ぬより怖いことのような気がした。蓮と会えないことが死ぬことより怖いなんて、変なの、笑っちゃう。
どっちみち死んだら会えないのに。
さっきまで凍えるように寒かったけど、なんだか今はあまり寒さは感じない。
頬にあたる雪が、まつげに積もる雪が、むしろひんやりして気持ちいい。
眠い。ただただ眠い。
眠ることが全ての終わりを意味することだと分かっていても、深く落ちていく心地よさにはこれ以上抗えそうになかった。
苦痛もなくこんな風に眠るように訪れる安らかな死なら、人間は何を恐れるというのだろう。
・・・・・・パパ、ママ。
ただ一つの心残り。
──蓮。
死ぬ前にもう一度蓮に会いたかった。
秘密のえくぼを見たかった。
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