『鎮魂夢―レクイエム・ドリーム―』②

 十二月十七日――『計画』の目的を達成する日は、ついに訪れた。


 午後七時に、私は合鍵を忘れたと嘘をついて、田辺孝雄の居座るマンション・グロリオサの正面玄関、と五五五号室に入れてもらった。

 当然、田辺孝雄の好むお店のピザと高級銘柄の百合ワイン、そして朝比奈美天を買うを持参して。

 翌日の作戦とその標的である朝比奈美天の話題、田辺孝雄のノートパソコンの画面に映る彼女の動画を肴に、奴と退屈極まりない飲み会を開く。

 途中、私は酒を追加するために、席を立った。

 嘘の抽選キャンペーンで贈った冷蔵庫から、キンキンに冷えた美冷感・百合ワインを取り出す。


 二人分の新しいグラスの内、一つに一粒のを落とす。


 錠剤は、百合ワインの白い気泡の中へと溶けて消えていった。

 田辺孝雄が、初めて試飲した新しい高級百合ワインに舌鼓を打っていたのも束の間――。

 常に饒舌な口調で語っていた田辺孝雄の声は、段々と小さく擦れ、瞳の焦点も定まらなくなっていった。

 やがて酔い尽きたように、ガラステーブルへ真っ赤な顔を伏せた田辺孝雄は、強い睡魔の浅瀬へ落ちた。

 奴が意識を失ったのを確認した私は、手早く奴を風呂場の浴槽へと運んだ。

 奴が目を覚さない内、に私は浴室に隠していたを取り出した。


 『……!? ヴゥゥ……! 〜〜!!』


 大仕事の準備が全て整った所で、私は意識朦朧な田辺孝雄を起こした。

 最初の数分間、未だ夢現にある田辺孝雄は、浴室の白い壁を茫然と眺めていた。

 奴の虚勢の剥がれ落ちた間抜け面を、じっと観察しながら待った。

 訳の分からない内に逝かれても、困るからだ。

 田辺孝雄には、罪と恥を意識したうえでを受けなければならない。


 「もう少し眠っていたほうがずっと幸せだったのに……運が悪いね」


 朧気ながらも自分の置かれた状況を、本能的恐怖から呑み込めた田辺孝雄は、両眼を剥いて力一杯悲鳴をあげようとした。

 奴の驚愕は理解できる。

 酒に酔い眠り、目を覚ましたら全裸で拘束されているのだ。

 四肢と胴体を縄で固く縛られ、布の猿ぐつわにガムテープでがんじがらめに口を塞がれている。

 裁断バサミで田辺孝雄の衣服を切り剥がしてから、私が縛ったのだ。

 さらに私は、奴の目の前でカツラを取り去った。

 変装の解けた私の姿に見覚えがある田辺孝雄は、剥いた眼球をさらなる驚きで振戦させた。

 ようやく、自分の立場を理解してきただろうか。


 現在いま、私の右手は明るい未来への道を阻む扉を、こじ開けるためのを握っている。

 これで、全ての準備は整った。

 奴は、本当に憐れなほど不運な人間だ。

 朝比奈美天から、さらに奪おうとした強欲と傲慢の罪によって、「命」という最も高いモノを奪われる羽目になったのだから。

 まあ、私にとっては、一銭の価値すらないのだが。


 「さようなら――」


 朝比奈美天を凌辱した過去の男――そこで満足して踏み止まっていれば、よかったものを。


 *


 十二月十八日:午前一時頃――田辺孝雄のと片付けを、全て終えた。


 初めての作業であることに加え、一番大変だった。

 小さな鞄に収まる大きさになるべく切断することも、浴槽についた液体を跡残さず綺麗にすることも。

 何がともあれ、田辺孝雄を鞄に収納し、中身が漏れないように外側からも防水テープを厳重に巻き付けた。

 十二等に分割した田辺孝雄を、冷凍室へ全て隠した。

 最新型の冷蔵庫は、大量の肉類の高度保存機能との収納空間の広さに長けている点に、着目して選んだ。


 *


 十二月十八日:午後八時前――田辺孝雄との約束通り、朝比奈美天は五五五号室で待ち合わせをする。


 田辺孝雄のライクから、朝比奈美天宛に日時と入室の手順を指示する内容を、送信しておいた。

 しかし今宵、朝比奈美天は田辺孝雄とは逢わない。

 田辺孝雄には急用が発生し、代わりに奴の奴隷だった太山庵土竜が、朝比奈美天を迎えに来る。

 田辺孝雄のライクから朝比奈美天へ、もう一度メッセージを送信。

 庵土竜による見送りの確認、約束をドタキャンした訳、十九日から二十四日までの海外出張から帰った後に、埋め合わせするという内容だ。


 嘘つきの下種な田辺孝雄の調子の良いメッセージに混じった大嘘を、朝比奈美天は察しながらも受け入れた。

 これで暫くの間、田辺孝雄の失踪に気付く人間は、誰もいない。

 たとえ、奴と連絡が繋がらなくても、帰国日までは奴が行方不明だと心配する者は現れない。

 何故なら奴は、を謳歌していることになっているのだから。


 *


 十二月二十日――『計画』の仕上げに向けた、第五段階へ進む。


 田辺孝雄からを、朝比奈美天が既読・返信したのを確認した後、携帯端末を叩き壊した。

 新たな鞄には、壊した携帯端末とへし折れた「ノートパソコン」を収納した。

 端末機に保存されていたデータは全て抹消済みだ。

 ワープロで打ち込んだ「遺書」にも記した通り、田辺孝雄の所持していた端末機を入れた鞄を、百合浜辺の断崖の下へ投げ捨てた。

 青闇の海の底へ沈んでいく忌まわしき遺物の末路を、相棒の庵土竜とともに見届けた。

 庵土竜の老朽アパートを訪ねた際、彼のために持参してきた高価な百合ワインで、前祝いの杯を酌み交わした。

 田辺孝雄の眠る冷蔵庫に収納された汚らわしい酒ではなく、自分と相棒のために見繕った一級品だ。


 『にさよなら。に乾杯――』


 感慨深そうに呟いた私の台詞を、庵土竜もはにかみながら復唱した。

 私も庵土竜も、初めて味わう冷たく芳醇な苦味と酸味、甘い百合の香る陶酔感に舌鼓を打った。


 『聞きそびれていたけど……なんか本当に必要なの?』


 酔いが回ってきたせいか、火照った顔へ普段にはない笑顔を咲かせる庵土竜は、何気なく問う。

 田辺孝雄を始末する前に打ち終えた「遺書」を保存したノートパソコンは、庵土竜の部屋に預けている。

 私は、目的のために無謬むびゅうの完璧な『計画』を目指したつもりだ。

 しかし人間が作る以上、完璧な計画は存在しない。


 『万が一のためだよ。私達の計画に狂いはないけれど、いざとなれば私もあなたも必要がある時、その「遺書」は必要になる。その時が来てしまわない内は、唯一信頼できる相棒あなたに預けておきたい。でも、もし「遺書」が必要になった場合は・・・・・・あなたに託したい』


 万が一の確率だが、私達すら見落としているかもしれない「計画」の綻びを、警察が嗅ぎつけ、暴こうとした場合。

 自殺のために失踪した風に偽装し、逃亡を図るために「遺書」を残す。

「遺書」には、田辺孝雄の処理法と捨てた場所、身の丈の想いを綴り、最後に私の名前で締め括られている。

 あえて、『計画』の内容の一部を「遺書」に記したのには、意図がある。

 事件のを警察に知ってもらうことで、早急に事件捜査を彼ら自ら撤退させるためだ。

 警察の捜査が長引くと、『計画』の綻びを突かれ、余計な証言をしかねない捜査関係者の範囲は広がる。

 やがて、真相へと事件を深掘りされるのは望ましくまい。


 ましてや、が疑われるような事態だけは、絶対避けねばならないのだ。


 そうでないと、現在に至るまで綿密に築き上げた『計画』の意味も長年のも、全て水の泡になる。


 『分かったよ。もし、その時が来た場合、何としても僕はやり遂げるよ』


 私の説明に納得した庵土竜は、確信に満ちた様子で告げた。

 私を信頼し切った庵土竜の眩い眼差しに初めて一瞬、ほんの微かな心苦しさを覚えた。

 それでも、庵土竜を選んだ私の判断に、間違いはなかった。

 神でも悪魔でもない、ただの人間に過ぎない田辺孝雄を葬るための「協力者」として。


 朝比奈・美天を救済するための「」として――。


 全ての後始末を託して去る私へ、手を振って見送る庵土竜は、何も知らない。

 庵土竜のために冷蔵庫の棚へ戻した酒瓶へ、落としたの存在を。

 庵土竜が手洗い場へ席を外した隙に、パソコンに保存された「遺書」のデータをことにも。


 *


 十二月二十二日――予定通り、朝比奈美天を恋人の『小鳥遊・晴斗』と共に、ドイツ旅行へ赴かせることに成功した。


 二十二日から二十四日の間、冷凍保存してあった「の田辺孝雄」を、指定の河川へ投げ捨てる役を、庵土竜に担ってもらう。

 遺棄する場所は、王百合市を中心に周辺市内の河川へ分散する。

 事件と場所の一貫性を無くし、警察を撹乱させるためだ。

 わざわざ、田辺孝雄を細切れにして冷凍保存したのも、正確な死亡推定時刻をズラす狙いもあった。

 あたかも、朝比奈美天がドイツへ渡っていた間に、田辺孝雄は殺害されたように偽装するためだ。


 『計画』は、最終段階へ辿り着いた。


 *


 十二月二十五日:日本。

 十二月二十六日:ドイツ。


 運命の宣告は、ようやく舞い降りた――。


 この世界から、田辺孝雄は正式に消えた。


 誇り高きの尊き犠牲をもってして――。


 世間では、田辺孝雄多くの悪事を犯し、被害者の一人である太山庵土竜によって惨殺・遺棄されたことになった。

 殺害の犯人である庵土竜も遺書を残し、百合ワインに溶かした毒薬を飲んで自殺したというのが、事件の真相として報道された。

 朝比奈美天は、二人の同級生の突然の不審死を、ドイツのテレビに登録されていた日本番組ニュースで知ることになった。

 田辺孝雄の素行の悪どさを差し引いても、平和だった街の中心で二人の若者が痛ましい死を遂げた凄惨な事件は、百合島中を震撼させた。


 『んだよ……』


 『あんな男は、生きている価値がなかった』


 『生きているだけで、他者を苦しめることを楽しむ人間なんか』


 『奴に人生を狂わされたも、きっと本望だっただろう』


 『最後に自分の命をかけて、大切な人を残酷な過去と運命から救うことができたのだから』


 『だから、今度はあなたきみの番だよ――』


 朝比奈・美天わたしの心臓に芽吹いた炎は、恐怖や憐憫、悲憤、侮蔑ではなく――。

 

 ただ、ひたすらの「安堵」と「達成感」、そして「幸福」だった――。


 *


 二〇二一年・一月三十一日:午前十一時――桔梗島・蛍袋市の丘に建てられたバルコニー付きの白い一軒家の寝室。


 朝雪に輝く冬陽。


 冬の妖精さながら舞い降りる無垢な白雪。


 清らかに澄んだ冬の冷気。


 は、私達を呼び覚ます――。




 ***続く***

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