第二話『目覚めの祈り』

 ゾンビを散々狩りまくった後、翼は夕飯を作るために部屋を出て行った。キリも良かったからゲームを中断して、俺は坂巻から借りた本を読み始めた。坂巻の方も別の本を読んでいる。たしか、翼に勧めていた『贄守の巫覡』という本だ。

 実のところ、俺と坂巻は友達と呼べるほどの仲じゃない。坂巻はいつも本を読んでばかりいて、翼の次にクラスで浮いている。陰気というわけではないのだが、どうにも掴みどころのない性格だ。翼以外の人間と長話をしている姿はほとんど見かけない。

 だけど、一緒に遊んでいるうちに翼が気に入っている理由がなんとなくわかった。こいつは良い意味で他人に対する関心が薄い。そして、とても素直だ。

 大抵の人間は翼の顔立ちや神社の倅という立場に注目する。だけど、坂巻はその辺のことをどうでもよく思っている。そして、思った事を隠そうとしない。そういうところが安心出来るのだろう。


「……なあ、お前が読んでるそれって、贄守神社ここの事が書いてあるんだよな?」

「そうだよ。気になる?」

「気になる」


 そもそも、俺は贄守神社がどんな神様を祀っているのかさえ、よく知らない。翼があまり話したがらないせいだ。梁兼の爺さんに聞けば教えてもらえるのだろうが、年寄りの長話は苦手だ。

 それに、守護神とか、破壊神とか、中学二年生の心を実に心地よく揺さぶってくれるワードだ。


「えっとねー……」


 坂巻は簡単に贄守神社の事を話してくれた。

 日本には古来より固有の宗教がある。それが神道だ。神社とは、神と人を結び付ける為の祭祀の場なのだ。河川や山などの自然、地震や雷などの自然現象、怨念を遺して死んだ者、偉業を為した英霊、他の宗教の神などまで祀られている神は千差万別。

 贄守神社が祀る神もまた、そうした八百万の神々の一柱である。その名は、守護神・羽竜牙ウルガ

 坂巻が読んでいた本には挿絵が載せられていて、そこには巨大な鳥が描かれていた。


「ウルガって、鳥なのか?」

「うーん。いや、竜みたいだよ。ほら、名前に竜が入ってる」

「ふーん、かっけーじゃん! でも、ドラゴンが神ってありなのか? なんか、神って白いもじゃもじゃ髭の爺さんのイメージなんだが……」

「あはは、神社が祀る神なんて、それこそ何でもありだよ。有名な太宰府天満宮は悪霊である菅原道真を祀っているし、中には男根を祀るところもあるんだよ。ドラゴンなんて、むしろ普通だね」

「男根って、コレか?」


 股間を指差すと、そうそうと坂巻は頷いた。


「……本当に何でもありだな」

「神道は森羅万象すべてを神と定義する宗教だからね。石ころでも、男根でも、怨霊でも、なんでも神として受け入れる。日本人が年末にクリスマスを祝っておきながら、元旦に神社へ初詣を行い、彼岸という仏教由来の伝統を守るのも、僕達の根底に神道が根付いているからなんだ。要するに、なんでもいい」

「身も蓋もねーな……」


 ちなみに、食事の前の『いただきます』も神道の作法らしい。知らなかった。てっきり、俺は無神教者なのだと思っていたのだが、どっぷり神道に浸かっていたらしい。

 贄守神社やウルガの逸話を坂巻から聞いていると、エプロン姿の翼が戻って来た。


「夕飯出来たよ、二人共」


 話の途中だったが、俺達は翼と一緒に居間へ移動した。


「すごいね、これは」


 坂巻は食卓に並べられた料理を見て感心したように言った。焼き魚に湯豆腐、煮物、炊き込みご飯。どれも美味しそうだ。いや、間違いなく美味い。

 翼は幼い頃に両親を交通事故で失い、その頃からずっと家事を行っている。梁兼の爺さんは ―― 自分は出来ない癖に ―― やたらと料理の味にうるさい。そのせいか、翼の料理の味は実に洗練されている。正直に言って、おふくろや姉ちゃんの作る料理より断然美味い。

 翼が梁兼の爺さんを呼びに行っている間、我慢できなくて煮物の具を一つ摘み食いした。味が染み込んでいて、実に美味い。野菜は苦手なのに、翼の料理だと不思議と食べられてしまう。


「ふ・ざ・け・ん・な!」


 翼の怒鳴り声が聞こえてきた。廊下を覗いてみると、梁兼の爺さんが紅白の布を持って翼と喧嘩をしていた。


「仕来りじゃぞ、翼! よいか! 儂らの祖である贄守忠久様が――――」

「ウルガも忠久も知らねーよ! 男が巫女装束なんて着れるわけないだろ、いい加減にしろ!」


 そのやり取りを見ていると、梁兼の爺さんが俺に気付いた。


「おお、康平くん! 翼のやつに言ってやってくれんか? まったく、我儘ばかり言いおって」

「我儘じゃねーだろ!」

 

 巫女装束を身に纏う翼。俺は去年の文化祭を思い出した。あれは抜群に似合っていた。俺は決してホモではないが、翼の巫女服姿は見てみたい。


「……翼。爺さんの為に一肌脱いでやれよ」


 思惑を悟られないようにトーンを下げながら言うと、翼は困ったように眉尻を下げた。


「だ、だって、巫女装束だぞ? 絶対におかしいだろ!」

「とりあえず、一回着てみろって。俺は笑ったりしないからさ」

「そうだよ、贄守。僕も『贄守の巫覡』に書いてあった巫覡の姿を見てみたいんだ!」


 ナイスな援護だ。褒めてやろう。そうだな、今度ジュースでも奢ってやるか。

 純粋な知的好奇心という援護射撃に翼は揺らいだ。今だ、爺さん。やれ!


「翼よ。仕来りなのじゃ……。どうか、頼めぬか?」


 梁兼の爺さんの必殺技、嘘泣きだ。老人の涙というリーサル・ウェポンは根がお人好しな翼によく効く。俺が知っている限りでも何十回も騙されているのに翼は騙されている事自体気付いていない。渋々頷く翼に隠れてガッツポーズを決めた。さすがだぜ、クソジジイ。


「うわぁ……」


 坂巻は翼に見えないところでほくそ笑む梁兼の爺さんの顔を見てしまったようだ。

 あんな邪悪な遺伝子を受け継いで、翼はよく素直な性格に育ったものだ。


「い、一回だけだからな! っていうか、それより夕飯! はやく食べないと冷めちまうだろ!」


 居間に戻っていく翼を尻目に梁兼の爺さんと握手を交わしておく。


「……ちょっと、贄守が可哀想になってきた」


 何を言っているんだ。援護射撃を撃った時点でお前も共犯だ。


 ◆


 テレビを点けると、三日前の大津波のニュースが流れていた。突如発生した高波は海に面する街に多大な被害をもたらした。幸か不幸か、数年前に起きた大地震から得た教訓を基に行われた避難は迅速で、人的被害は奇跡的なほど少なかった。本土から離れた島に住む人々も自衛隊や米軍の救助活動のおかげで難を逃れたらしい。ニュースの最後には避難所の支援を求めるコマーシャルが流れた。


「大変だね」

「そうだな」


 そう言いつつも、俺には大災害が発生したという実感が沸かなかった。当事者になれば違うのだろうけど、どこかでテレビの向こうの話だと気楽に考えていた。テレビに映っている破壊され尽くされた都市も避難所で泣いている子供の姿も映画のワンシーンのような感想しか浮かんでこない。

 別に俺が特別冷たいわけでもないだろう。大抵の人間はニュースで殺人事件の一報が流れても、そこまで気にしたりしない。大災害だって、被害が自分に及んでこなければ対岸の火事同然だ。


「ごちそうさま!」


 今日の料理も最高だった。

 翼が食器を片付けている間、俺は適当にテレビのチャンネルを回した。坂巻は梁兼の爺さんに贄守神社の事を聞いている。二人共楽しそうだ。


「……面白そうな番組が一つもねーな」


 バラエティやお笑い番組はなく、仕方ないがないから音楽番組をBGMにしながらキッチンへ向かう。エプロン姿で忙しなく動き続ける翼に声を掛けた。


「なんか、手伝うことはないか?」

「え? もう片付け終わるから大丈夫だけど?」

「そっか」


 拭いていた皿を食器棚に戻すと、翼はエプロンを脱いで定位置の壁に掛けた。

 二人で居間に戻ると、梁兼の爺さんが巫女装束を抱えて待ち構えていた。


「ウゲッ」


 翼は深々とため息を零すと、俺と坂巻を見た。


「ぜ、絶対に笑うなよ!」

「笑ったりしないから安心しろって」

「それより、折角だから『捧げの舞い』も見せてよ! あと、出来れば『祈り歌』も!」

「ええ……」

「ほれ、友達からの頼み事じゃぞ!」


 更に深くため息を零しながら渋々と頷く翼。


「わーったよ……ったく、仕方ねーな」

「では、儂らは神楽殿で待っておるぞ!」

「ちょっと、待て! 神楽殿って、外から丸見えじゃねーか! 絶対に嫌だぞ!」

「どうせ、次の祭りでは神楽殿で舞う事になるんじゃ。予行演習と思えば良かろう!」

「ふざけんな! 祭りでなんか、絶対に踊らないからな!」


 押し問答の末、今回は神楽の練習場で踊る事になった。肩で息をしている梁兼の爺さんに「祭りは勘弁してやれば?」と言ったが、「これは伝統じゃ!」と譲らない。だけど、祭りで披露するのは俺も気が進まない。最悪、その時は翼を匿ってやろう。また、小学校の頃の二の舞いは勘弁だ。

 練習場に到着すると、しばらくしてから巫女装束に着替えた翼が入って来た。


「おお! 似合っておるぞ!」

「うるせぇ!」


 翼は髪が長いわけじゃない。それなのに、昔から何を着ていても女の子に間違えられ続けてきた。それをネタにかなりの苦労を背負った時期もあった。要するに、翼は可愛いんだ。去年のメイド服もグッときたけど、巫女装束もバッチリ似合っている。写真を撮っておきたい。だけど、さすがにそれは怒られる。だから、しっかりと瞼に焼き付けておこう。


「……ど、どうだ?」

「すごいよ! まさに、本に書いてあった巫覡そのものだね! 普通の巫女装束とは違って、金の刺繍が施してあるよ!」

「え? あっ、本当だ」


 言われなければ気づかなかった。よく見ると、小袖には金の刺繍が施されている。文字のようだけど、見たことがない。背中には大樹を思わせる奇妙な紋章が描かれていた。


「これ、きっとウルガの紋章だよ! 本に書いてあった!」

 

 興奮した様子の坂巻にたじたじになっている翼をじっくり観察する。裾が長いのか、手が半分隠れている。そこがまたいい。


「さあ、翼! 神楽を見せてあげなさい。そうじゃな。演目は『目覚めの祈り』でどうかな?」

「……はいはい」


 大きくため息を吐くと、翼は練習場の舞台の上に上がった。梁兼の爺さんが舞台以外の電気を消す。すると、スポットライトに照らされた翼はなんだか神秘的な雰囲気を纏っているように見えた。


「ウルガ……、ウルリヤ……」

 

 聞いた事のない言葉で紡がれる不思議な歌に合わせて、翼が舞う。


「ジャリラ ハーバト トロン デンガラカン ドアク。サヤ アカン メンゴルバンカン ニャワ ヤン スー」


 天の向けて手を伸ばし、何かを懇願しているかのように歌う翼。


「トロン バンガン トロン ツニーカン ソソクム」


 胸に手を置き、両手で何かを捧げるような動き。


「ウルガ ウルリヤ アク アカン メンディカシカン ダラク。アク アカン メンディカシカン イーワク」


 腰から見えない剣を抜き放ち、それを自分に突き刺すような動きを見せる翼に、奇妙な胸騒ぎを覚える。

 なんだろう。踊りのことなんて、俺は何も知らない。精々がフラダンスくらいのものだ。だけど、この踊りは見ていて不安になってくる。

 

「トロン メンバワ ケダミアン ダラム ヒダム ヤン カマラン」


 両手をいっぱいに広げながら回り始める。片腕を掲げながら地面に向かって何かを蒔いているかのようだ。


「ウルガ ウルリヤ。サヤ アダラブ ペンゴラバナン。サヤ セロラン バダク イニ アンツク メレカ ヤン ビサ デペラセムバカン アンツク アンダ」


 頭を伏せながら、両腕を掲げる。そして、また見えない剣で自分を突き刺す。そして、なにかを天に捧げる。

 不安を通り越して、怖くなってきた。


「トロン マカン サヤトロン、 ウバウ アク メンジャディ ケクアタン マギスム。トロン タラス バーダマイ」


 両手を合わせて握り込み、祈りを捧げる。そして、両手を広げて一回転。最後は天に向って手を伸ばす。それで神楽は終わりだった。

 坂巻と梁兼の爺さんが拍手を送っているが、俺はただただ怖かった。

 よろよろと立ち上がりながら、いまだに天へ手を伸ばし続ける翼に近寄っていく。すると、急に翼は糸が切れたかのように倒れてしまった。


「つ、翼!?」

 

 駆け寄ると、翼は意識を失っていた。


 ◆


「局長!」


 特定災害対策局の局長室へ慌てた様子の青年が飛び込んできた。


「どうした?」

「日本支部からの報告です! 東京湾の沖合にて、α-01型の反応を確認しました!」

「……まさか、生きていたのか!?」


 三日前、ウルガが己の命と引き換えに海へ沈めた筈のα-01型。それが生きていた。


「ウルガを殺したほどの存在が東京に迫っているだと!? GKSはどうなっている!?」

「God killing spearは衛星軌道上への打ち上げ準備に入っていますが、とても間に合いません! ウルガの決死の一撃すら耐えたα-01型に既存の兵器がどこまで通用するかも不明です」

「なんという事だ……」


 局長のマイケル・ミラーはテーブルを殴りつけた。嫌悪し、いつか打倒する事を誓っていた癖に、この状況下におけるウルガの不在を嘆いている己に腹が立った。


「とにかく! 国民の避難を急がせろ! こうなれば、日本の自衛隊とアメリカ軍にも情報を渡して構わん!」

「し、しかし、局長!」

「α-01型の上陸を許せば、Riフィールドも意味を為さん! 情報操作は事後処理に回せ! 今は日本の国民の命が最優先だ!」

「ハッ!」

 

 マイケルの言葉に敬礼し、急ぎ司令室へ向かおうと扉のノブに手をかけた報告員の手が空振る。勝手に開いた扉の先から別の報告員が入って来た。


「日本支部からの報告です! つい五分程前にウルガの卵が輝きを取り戻しました!」

「なんだと!? だが、守り人は既に……」

「はい。エルミ様とマリアナ様が最後の生き残りであり、守り人は既に絶滅しています。なので、局長に判断を仰ぎたいと申しております!」

「……破壊か、放置か」


 マイケルは迷う。この状況下において、最も優先するべき事はなにか。

 再び輝きを取り戻したウルガの卵。判断を誤れば、α-01型と共に最強生物の一体であるウルガを敵に回す事になる。そうなればGKSが未完成である今、人類は絶滅の危機に瀕してしまう恐れがある。だが、新たに生まれるウルガが人類の味方となれば……。


「……ウルガ」


 先代のウルガは人類を救うために海へ散った。それ以前に、幾度となく凶暴なSDOを駆逐してきた。


「局長! どうしますか!」


 報告員が判断を迫ってくる。輝きを取り戻したウルガの卵がいつ孵化するかも分からない現状、迷っている時間などない。それはマイケルも分かっている。前局長ならば迷わなかったかもしれない。けれど、マイケルはウルガと共に命を掛けたエルミとマリアナを思い、そして、新たに生まれようとしているウルガを思ってしまった。

 

「局長!」

「…………ウルガの卵は放置だ! いざとなれば、幼体の内に核弾頭で仕留める! 今はα-01型を優先し、事にあたるぞ!」


 そして、マイケルは決断した。千年に及ぶウルガの日本という国に対する献身。嫌悪感は拭えない。けれど、一縷の望みを託した。


「……ウルガよ。どうか、敵であってくれるなよ」


 その祈りが通じたのかどうかは分からない。

 その日、護国島の神殿に安置されていたウルガの卵が動き出した。

 そして……、


「キュピィ!」


 卵に罅が入り、その隙間から産声が響き渡った。

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