第10話
浪漫が店内をうろついていると、カウンター内に何やら小さな箱が置かれているのが見えた。椅子に飛び乗ってそれを観察して、何とか開けて中を見られないものかと首を捻っていると、いつの間にか後ろに居た佐助に箱を取り上げられた。
「何してんの浪漫さん、箱に触ってないよね?」
「触っておる訳なかろう、大方そいつが今回の品物だろう?中身が何か気になっていたんだ」
佐助はほっとして、浪漫はむっとした。
「気を付けてよ、汚れた品物をお渡しする訳にいかないんだから」
「吾輩の手が汚れていると申すか失礼な奴め!」
「散歩から帰ってきた時に手足を洗ったか?」
浪漫はその問いに答える事なく、椅子から飛び降りて去っていく、都合が悪い時はいつもこれだと佐助は呆れて、その小さな箱を手に取り開けた。
「綺麗だな」
その箱はリングケースで、収められた指輪は中石にイエローダイヤモンドが光輝く美しい物だった。夕焼けの太陽を思わせる黄色いダイヤに、主張しすぎない細やかな意匠が施されたリングは、見ただけでうっとりとする程に完成されていた。
「それは指輪か?」
戻ってきた浪漫が、佐助の肩に首を置いて一緒にそれを眺める。
「うん、結婚指輪だ」
ふうんと興味なさげに呟く浪漫に佐助は聞く。
「何だよ綺麗だろ?」
「この指輪が見事な物であるのは分かるよ、しかし番いの証を立てるのに指輪が必要かは甚だ疑問である」
「猫は指輪を付けられないから嫉妬してるのか?」
佐助は浪漫から額に猫パンチを食らう。
「そんな下らぬ事を言っておるのではない、生き物が共に生きようとする事はもっとも自然な事なのに、わざわざこんな物が必要な理由があるのかと思っているのだ」
猫パンチをもらった額をさすりながら佐助は言う。
「俺にもそんな事分かんないさ、だけど愛を誓うって覚悟は形にしておきたいんじゃないか?人間ってのは忘れる生き物だから」
「その誓いの印が平気で金に換えられるケースだってごまんとあるだろうに」
「だからそんな事言い出したらきりが無いって、取りあえず今回のお客さんがどんな話をするのか聞いてみようじゃないか」
佐助と浪漫がそんな事を言い合っていると、丁度良く店の扉が開かれた。
「いらっしゃいませ、ようこそ月来香へ」
店を訪れたのは若い女性だった。年の頃は二十台前半で、形容しがたい奇抜な格好をしている。髪は蛍光色のピンク色に染められて、虹色のメッシュが入っている、服装も派手で色味が強く露出度が高い、化粧も独特で色鮮やかに顔面が彩られて、普段あまり見る事がない人間に、佐助だけでなく浪漫も目を丸くして面食らっていた。
「何ここ、何の店?」
女はぶっきらぼうに吐き捨て店内を見て回る。
「内装ダサくね?てか古臭いのか、レトロってアタシぴんと来ないんだよね。もっと派手に飾った方が良くね?静かすぎて落ち着かないんだよね」
女は自由に歩き回って文句を言う、あまりの自由さに佐助も浪漫もまだ驚いたままだ。
「で、あんたが店長?この店なに売ってんの?何かアタシも訳わかんないうちにここに来ててさ、ゲッタンコーだっけ?店の名前」
「月来香です」
「ああゲツライコーね、覚えた覚えた。それで何ここ?見たカンジ何も分かんねーんだけど」
あまりの突然の出来事に止まっていた浪漫が首を振って無理やり我に返る。
「おい、娘一度座って落ち着いて話せぬものか?お主はもう存在がうるさくてかなわん」
浪漫がそう話しかけると、女は目を輝かせて浪漫に詰め寄った。
「なになになに!この子喋れるの!?いいじゃんいいじゃん!ダサい店だと思ってたけどこの子はいいよ!すごくいい!」
「ええい寄るな寄るな!触るでない!」
浪漫を触ろうとする女と浪漫でひと悶着始まってしまった。佐助はどうにも収集がつかないなと思いながらも取りあえず提案した。
「まずは座りませんか?」
浪漫は警戒しているのか、大分離れた位置に移動してしまった。
「アタシ
「私はこの店の店主佐助、あっちで警戒してる猫は浪漫さんって言います」
秋山が浪漫に手をひらひらと振る、浪漫はそれをそっぽ向いて無視をした。
「で、浪漫ちゃんは何で喋れるの?新種?」
「違う!吾輩は誇り高き妖怪猫又である。そこらの猫とは違うのだ」
「うわー妖怪って本当に居るんだ!アタシ初めて見た!」
秋山は嬉しそうに両手を叩きながら興奮して言う、浪漫はいつも返ってくる反応と違うので、面白くなさそうにだらけてしまった。
「お客さんすごいですね、浪漫さんをあそこまで追い詰めた人は居ないんじゃないかな」
「え?アタシ別に何もしてなくね?仲良くなろうと思ったのに、浪漫ちゃんもおいでよ」
浪漫はそっぽを向いて完全に無視を決め込んだ。
「釣れないところも可愛いね、いいなあ浪漫ちゃん」
「まあそれは一度置いておいて、この店の説明をさせていただきますね。ここはお客さんが今一番必要としている物が手に入る店、ルールは一見さん以外お断り、この店に訪れる事ができるのは一度だけです」
秋山はふーんと相槌を打って言った。
「だけどアタシ、今別に欲しい物とかないけど?」
「欲しい物ではなく、必要な物ですから、望みの物が手に入る訳ではありません」
そう言って佐助はリングケースを秋山の前に置いて開けた。
「こちらが今秋山さんに今一番必要な物です」
秋山はそれを訝しげに見つめた。顔を極端に近づけたり、回り込んで横から眺めてみたり、手に取って見てから、頷いて言った。
「アタシこれはいらない」
返ってきた意外な答えに佐助と浪漫は顔を見合わせた。
「いらないとはどういう事ですか?」
佐助が尋ねると、秋山はきっぱりと言った。
「これはアタシが捨てた物だからいらない、何でここにあるのかは知らないけど、そこは気にしない事にする」
「捨てたって、こんな高価そうな物をか?」
浪漫が流石に近づいてきて口を挟んできた。
「そう、捨てたの。海に向かってぽいってね」
「一体どうしてそんな事を?」
佐助が聞くと、秋山が言った。
「あんまり面白い話じゃないけど、まあこれも何かの縁ね、少し聞いてもらおうかな」
秋山は指輪を箱から取り出して、手で遊ばせながら話し始めた。
「アタシ小さい頃から仲の良い男の子が居たの、幼馴染ってやつね。一緒に居たら自然と惹かれ合ってね、まあ気づいた時には恋人同士だった。何だか分からないけどお互いに本気でね、結婚できる年齢になったらその日に結婚しようって、二人で勝手に盛り上がってた」
秋山は遠い目をしてため息をつく。
「親の同意が必要だって知って、そんなものに縛られるかって飛び出して、案の定連れ戻されてお説教、それからアタシは何だか冷めちゃって、親の同意いらなくなるまで待とうって言ったの。だけど相手はそうじゃなかった。反骨心むき出しにしちゃって、非行に走ったの」
「非行って、一体どうなったんですか?」
佐助が聞くと、秋山はちょっと悲しそうな顔をして答える。
「悪い事して粋がってる連中に混ざって、その内良くない大人たちの手先になって、悪い事してお金稼ぎ始めた。お金さえあればどうにでもなるって、どんな我も通せるっていい気になってさ、二十になったらアタシに結婚してくれって言ってこの指輪を持ってきた」
「それをお主は断ったのだな」
浪漫の言葉に秋山は頷く。
「あいつ馬鹿だからペラペラしゃべってた。金は詐欺で稼いだ、上手くやればちょろいもんだってね、苦労せずに金が手に入るって。だけどそんな汚いお金で買った指輪なんてアタシはいらなかった。どんなに綺麗な指輪でも、他の何よりも汚く見えた。だからいらない返すって言ったの、その時の寂しそうな顔はちょっとだけ心に残った」
秋山は指輪をケースに仕舞って蓋を閉じる。
「結局、あいつがいた所はヤクザ者の末端組織で、詐欺で一網打尽に捕まったよ、ゴミみたいに切り捨てられて、あいつは刑務所。捕まる前にアタシに渡してくれって頼まれた舎弟が、この指輪を持ってきたけど、いらないから捨てちゃった」
リングケースを佐助に手渡して言う。
「アタシあいつといると本当に楽しかったし、本当に好きだった。だけどアタシが好きだったのは馬鹿で間抜でも優しかったあいつ。止められなかったのはアタシの未練、だけどそれに引きずられるのもごめんだった。アタシやりたい事があったの、夢があった」
「夢とは何ですか?」
佐助が聞くと秋山は立ち上がって身につけている物を見せつけるようにくるりと回った。
「アタシが着てる服とか靴とか小物とか、全部アタシがデザインして全部アタシが自作したの、凄いでしょ?」
「靴もお主が作ったのか?」
「そうだよ浪漫ちゃん、最近化粧品の勉強も始めてるんだ。全身アタシ色で染め上げるの、アタシのブランドを作りたいんだ」
「それは本当に凄いですね」
佐助は感心していた。すべて自作するとは生半可な技術では出来る物ではないし、それぞれの分野の勉強も怠ればどこかが劣って見えてしまう、しかし秋山が身につけている物は、見た目こそ派手過ぎて色合いも独特だが、どれもよく出来ていると一目で分かる。相当な努力をしたのだと思った。
「この指輪は受け取れないし、受け取らない。アタシはあいつを待つ気はない、だから捨てたの。だけど今日これを見れてよかった。中々アタシのファッションが受け入れてもらえなくて、心が折れかけてた。でもアタシはもう絶対に諦めない、アタシはこれを捨てたんだ。誰かに甘えていた過去はもういらない」
秋山の目は覚悟に満ちていた。結局指輪を受け取る事なく、秋山は佐助と浪漫に別れを告げて店を出た。
「やかましい女だったが、凄い奴だったな」
浪漫がリングケースを前足で転がしながら言う。
「ああ、驚いたよ。品物を受け取らずに出て行ったのも含めて驚かされた」
「そうだな、こいつを売り払ってしまえば当座の資金にも困らないだろうに」
「彼女にはそんな甘えも捨て去る覚悟が必要な物だったんだな、本当の品物はそれだったんだ」
「それでこいつはどうするんだ佐助?」
浪漫がそう佐助に聞くと、佐助は黙って扉を指さした。浪漫が扉の方を見ると、がちゃりと開かれて頭を丸めた男が入ってきた。
「ようこそ月来香へ、お探しの品はこちらですか?」
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