第108話 「ストーリー補正は働かないんじゃなかったのか?」

「申してみよ。これはそなたたちの意思か、それともロザンナ・ジャヌカン公爵令嬢に命じられたのか」


 開け放たれた扉の向こうから聞こえてくる声に、私は驚いた。


 実は私とエリアスが座っていた長椅子は、ホールからあまり離れていないのだ。

 元々、音が響きやすい会場。フィルマンの声が通りやすいのも相まって、一字一句、正確に聞こえた。


「大捕り物ってアレのこと?」

「……あぁ。実はオレリアから、ロザンナが不振な動きをしている、という連絡があったんだ」

「何で、エリアスに? 手紙のやり取りをしているのは私なのに」

「……マリアンヌは顔や態度に出そうだから、と俺に」


 た、確かに。ヒロイン補正でバレそう。じゃなくて、酷いんじゃないの、オレリア!


「で、何を企んでいたの?」

「そんな大袈裟なことじゃない。自分の代わりにレリアを虐めろ、といったところだ」

「た、大変じゃない! フィ……ルマン殿下の話だと、すでに虐めがあったってことでしょう。レリアを助けに行かないと!」


 私は急いで立ち上がり、エリアスの腕を引っ張った。


「大丈夫。すでにケヴィンが助け出しているはずだから」

「え? 何でケヴィンの名前がここで出るの?」

「ここで働いているんだ。孤児院の仲間が」


 アッと、婚約式の出来事を思い出した。


『祝いの席は、人手が足りなくなるものですからね。馳せ参じました』

『とあるフットマンにです。カルヴェ伯爵邸に品物を卸している内に、仲良くなった人物でして。それでまぁ、こうして駆り出された、というわけですよ』


 あの時、ケヴィンはそんなことを言っていた。


「その伝手で?」

「いや、その逆。斡旋あっせんしているのはケヴィンの、女将さんのところの商会なんだ。旦那様に紹介状を書いてもらっているから、待遇はそれなりによくしてもらっているらしい。だから、こういう時は動いてくれるんだ」

「お父様が紹介状を書いた、ということは、ウチで働いていたの?」


 キトリーさんに言われたからといって信用するほど、お父様はお人好しではないはずだ。


「勿論。それが条件の一つだからな」

「エリアスが落ち着いている理由は分かったけど、気にならないの? 本当にケヴィンたちが助けたのかどうか」

「俺というより、マリアンヌが気になるんだろう」


 うっ。だって、さっき近衛騎士がホールに入って行くのを見たんだもの。しかも、扉を閉めていかなかったから。

 これで気にならない方がおかしいわ。


「俺に話してくれた時、婚約破棄の断罪イベント、とやらが見れなかったって、残念そうにもしていたしな」

「それは、その。……不謹慎なのは分かるんだけど……」


 プレイしていた身としては、生で見たいと思うでしょう。


「多分、行ってもマリアンヌには何も起こらないと思う。でも、ヒロイン補正だったか? そういうのが働く可能性も否定できない」

「でも、レリアはフィルマン殿下と婚約を済ませているのよ。これは王子ルートのヒロインが、レリアだといっているようなものじゃない」


 実際に今回、被害にあったのもレリアだ。


「私にヒロイン補正、ううん。ストーリー補正が働くとは思えないわ」

「根拠は?」

「う~ん。エリアスルートのヒロインは私。というのはダメ?」


 さっきの理論でいうと、私はエリアスと婚約を結んだのだから、おかしくはないと思うんだけど。


 未だにエリアスは、椅子から立ち上がろうとはしなかった。表情を見ても、難しそうに感じる。

 すると突然、エリアスの腕が私の腰を掴んだ。引き寄せられることはなかったが、エリアスの頭がお腹に当たる。


 驚いて咄嗟に辺りを見渡した。左には開けっ放しの扉があり、ホールは見物人で溢れている。こちらを気にする者はいなかったけど、さすがにこれは恥ずかしい!


「エリアス。近くに人がいるから、その……」

「うん。分かっている。行く前に、マリアンヌを充電したかっただけ」

「そんなに気合いを入れること?」

「何もないとは言い切れないからな」

「相変わらず心配性なんだから」


 エリアスの髪を撫でながら、私は苦笑した。あり得ないよ、と思いながら。



 ***



 そう思った数分前の自分を叱咤しったしたい。

 ホールに入った矢先、中央にいるロザンナの側近である、ルーセル侯爵令嬢に犯人だと名指しされたのだ。

 勿論、レリアを虐めた、いや正確にはとある一室に閉じ込めた犯人に。


「ストーリー補正は働かないんじゃなかったのか?」

「ごめんなさい。私の読みが甘かったわ」


 メインヒーローの婚約者でなくとも、私は攻略対象者の一人であるエリアスの婚約者。

 それ故、ストーリー上はまだヒロイン、ということらしい。


 額に手を置いて乙女ゲームらしく、選択肢を出してみた。


 1,エリアスに寄り添う

 2,同情を買う

 3,言い返す


 一番と二番は、まさに断罪イベントに相応しい対応かな。悲劇のヒロインっぽい。

 だけどやっぱりここは、三番でいきたい。さっき頑張るって決心したから。


「待ってください! 私は――……」

「マリアンヌがやったという証拠があるのか?」


 エリアスに肩を掴まれ、声を遮られてしまった。

 一瞬、たじろぐルーセル侯爵令嬢。けれど、ロザンナの側近らしくエリアスを睨んで反論した。


「バルニエ侯爵令嬢と一緒にいるのを、私とミリアン嬢が見たんです」


 ルーセル侯爵令嬢は隣にいる気弱そうな令嬢、ミリアン・アダン伯爵令嬢の背中を押した。


「はい。あれは確かにカルヴェ伯爵令嬢だったと思います。黄緑色のドレスが見えたので」

「それだけでマリアンヌだと決めつけるのは、些か軽率では?」

「ましてや黄緑色のドレスを着用している者が犯人だというのなら、その者らを捕らえて聞き出す必要がある。もしもその中にいなかったら、責任が取れるのか? マリアンヌ嬢だけではなく、他の令嬢も侮辱することになるのだぞ」


 まるで打ち合わせをしたかのような、エリアスとフィルマンの連携プレイ。

 アダン伯爵令嬢はことの重大さにようやく気づいたのか、青ざめていた。


 彼女もまたロザンナの側近の一人。だが、気の強いルーセル侯爵令嬢の腰巾着、という印象が強かった。

 気が弱く、強者の傍にいないと不安な女性。それがミリアン・アダン伯爵令嬢だった。


 逆にルーセル侯爵令嬢はロザンナの側近ではあるが、彼女に成り代わろうと虎視眈々こしたんたんと狙っている野心家。だから、次は私よ、と言わんばかりに出てきたのだろう。


 そうなるとロザンナの指示という、オレリアの情報が気になる。


「そんな、つもりで、言ったわけでは……ありません」

「殿下、私たちはただ、事実を述べたまでです。それだけなのに、ここにいる令嬢を侮辱だなんて、あんまりではありませんか」

「ならば、別の証言者を呼ぶまでだ」


 二人の言葉など聞きたくもないような顔をしていても、そこは王太子。公平に扱おうとする姿は見事だった。


 フィルマンは近くにいる近衛騎士に合図を送る。すると、私とエリアスが入ってきた扉とは別の扉が開かれた。


 そこにいたのは、


「お待たせしました、フィルマン様」


 レリアとケヴィンだった。

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