第51話 「市場を見に行きたいの」

 エリアスは咎めていたけど、ケヴィンとの出会いは偶然だった。向こうがそう思ったかは分からないけど。少なくとも、私はそうだった。


「お嬢様、今日もデデク公園に行かれるのですか?」


 鏡台の前で外出したいことを告げると、ニナが尋ねてきた。エリアスのように嫌な顔でも声音でもない。ただ予定を聞いているのが分かった。


「うん。でも先に、大広場に寄ってもらえる? 市場を見に行きたいの」

「かしこまりました」


 私の金色の髪をゆっくりととかしながら、少しだけ微笑むニナ。お父様やエリアスと同じように、私に甘いニナだけど、外出については違う。いつも賛成してくれるのだ。


 お母様がいたらこんな感じなのかなって時々思うけど、そこまで離れていないからお姉様かな。


 ニナは私の横の髪を後ろで一つに縛り、ネイビーのリボンを付けてくれた。服も同じ色の物をクローゼットから取り出す。


 市場に行くため、目立たない地味な色合いの服だが、そですそにフリルがついていたり、スカートには白いレースがあしらわれていたりして、少しだけオシャレだった。

 転生前は平民だったからか、ドレスよりもこういう服の方が好きなのだ。かしこまらないで済むから。


 鏡の前で入念にチェックをした後、頭にも同じ色の帽子をかぶって部屋を出た。


「今日もよろしく頼みますね、テス卿」


 扉の外にいるマリス・テス卿に声をかけた。彼はエリアスの代わりに来た私の護衛である。


 二年前、領主館で叔父様とオレリアを捕らえた治安隊の一人だった。私は覚えていなかったんだけど、オレリアの両脇にいたんだと、あとから教えてくれた。

 カルヴェ伯爵家の事情を知っているということもあって、選ばれたんだそうだ。


 先にニナが馬車を呼びに部屋から出て行ったので、外出することは知っていたのだろう。


「任せてください」


 詳細を話さなくても、爽やかに答えてくれた。



 ***



 ここ最近、大広場で開かれている市場に行くのが、私の密かな楽しみだった。

 様々な露店が並び、転生前でいうところの縁日のような雰囲気が懐かしさを感じさせるからだ。勿論、野菜や果物などを売っている所もある。


 その中でも私のお目当ては、生地を売っている露店だった。


 最近、エリアスが伯爵としての勉強をしているのと同じで、私も淑女しゅくじょ教育を受けている。その中でも興味を引いたのは刺繍だった。


 転生前は刺繍をしている暇もなく、教えてもらえる人もいなかった。だからといって独学でやるには……ちょっとね。図案は読めないし、道具を揃えるのだってお金が……。

 伯爵令嬢と比べると、雀の涙よ。はははは。


「まさかそれが習い事を通り越して、今や趣味になるなんてね~」


 何て素敵な転生ライフ!


「お嬢様?」

「ううん。何でもないわ。生地屋さんはどこかしら」

「あちらにそれらしいお店が見えます」


 ニナが指す方を見ると、赤や黄、緑など色鮮やかな布が下げられた露店があった。


 この世界の服は、基本オーダーメイドだ。洋服店に行ったり、仕立屋を呼んだりしている。しかしこれは、貴族や裕福な家庭のみの話である。

 平民やさらに貧しい者は、古着屋で買うか、自ら作ったりしていた。


 この露店は、そういった者たちから修行中の仕立屋、雑貨店で使う材料など、問屋を使わない、もしくは使えない者たちが利用する場だった。

 勿論、私のような者にとっても有り難い店なのだ。伯爵邸に呼んだら、良い物でもないのに、高い金額を吹っかけてくるに違いない。


 私はただ、練習用とハンカチに使えそうな布が欲しいだけなのに。


「この色、いいと思わない?」

「お嬢様は本当に緑系がお好きですね」


 私の手元にある淡い黄緑色の布を見て、ニナが言う。


「そ、そうかな」


 途端、エリアスの緑色の瞳を思い出し、顔が熱くなるのを感じた。


「そろそろハンカチでもプレゼントしては、どうですか?」

「む、無理よ。ニナだって知っているでしょう。私の刺繍の腕は、まだそこまでじゃないってことを」

「なら、カフスはいかがですか?」

「えっ?」


 突然、背後から声をかけられた。振り返るとそこには、緑色の髪と赤い瞳の男性が立っていた。


 何だろう、見たことがあるような気がする。


「ちょっとケヴィン! ウチの客を取るようなことを言うんじゃないよ!」


 ケヴィン? これも聞いたことがあるような……。でも、今はそんなことよりも。


「ケンカはしないでください。私はこちらを買うつもりがあるんですから」

「あら、本当かい? なら、安くしとくよ」

「ふふっ、ありがとう」


 私はニナに淡い黄緑色の布を渡した。そう、財布を持っているのはニナなのだ。

 さらに言わなくても、私がどれくらい、必要としているのか分かってくれているので、任せても問題はなかった。


「すまないね、お嬢さん。何だか急かせちまったみたいで」

「ううん、いいの。それよりもさっき、言っていた話を聞かせてもらってもいい?」

「構いませんよ。そんなにカフスにご興味があるんですか?」

「えぇ。プレゼントがマンネリ化してきたから、そろそろ新しい物をあげたくて」


 さすがにもう、押し花の栞は限界だった。エリアスの要求は絶えなかったけど。


「参考までにどんな相手なんですか? その幸運な相手は」

「ふふっ、言葉が上手いのね。私より少し年上の人よ」

「背は俺よりも高い」

「えぇ、そうだけど」


 にんまりと笑うケヴィンの姿は、それが誰だか分かっているような態度だった。

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