第37話 「それで、一体誰なんだい?」

 今日は朝から忙しかった。


 まず、七時に起床した途端、ノックする音が聞こえた。ニナかな、と思ったが、それにしても早い。


 けれど、オレリアが帰る日だから、いつもより早く来てもおかしくはなかった。私はあまり深く考えずに返事をして、訪問者を受け入れた。


「朝早くから、すみません」


 そう言って入ってきたのは、予想もしていなかったリュカだった。


「あっ、そっか。リュカもオレリアと一緒に領地に行くから」

「ご存知でしたか」

「うん。言ってくれれば良かったのに」


 すみません、とリュカがもう一度謝る。


「実はこれをお渡ししたくて」

「手紙?」


 あぁ。確か一回だけエリアスを通さずに渡したいって言っていたっけ。


 私があっさり手紙を受け取ると、リュカはホッとした表情になった。


「確かに約束はしたけど、まさかこんなに早くとは思わなかったわ」

「……間を空けると、お嬢様は忘れてしまうので」

「そ、そんなことないわよ」


 この二年、リュカのことをおろそかにしていたことを言っているのか、はたまたマリアンヌから私に変わった直後の対応のことを蒸し返されているのか。私は焦ってしまった。


 相変わらず油断ならないなぁ……。


「返事は遅くなっちゃうけど、リュカが帰ってくる時にはすぐに渡せるようにしておくね」

「……ありがとうございます。楽しみに待っています」


 リュカはその後、準備に忙しいのか、挨拶もそこそこに出て行ってしまった。取り残された私はというと、早速その手紙を読み始めるのだった。



 ***



 九時。エリアスに言われた通り、私はお父様の執務室に来ていた。


 正確には朝食の席で、呼び出しを受けたのだ。お陰でオレリアの見送りに行く必要がなくなり、ホッとした。


 てっきり、見送りの後にお父様の所へ行くものだと思っていたから。エリアスの根回しに感謝しなきゃね。


「お父様、用とは何でしょうか」

「用があるのは、マリアンヌの方だと聞いたよ」


 誰が? とは聞かなかった。


 うぅ。そこまで根回ししなくていいよ、エリアス。これじゃ、公開処刑のようなものじゃない。観客はいないけど。


 そう、お父様の執務室にはニナも執事のポールも出払っていていない。だからといっても恥ずかしいものは恥ずかしい!


「その、前にお父様が……好きな相手ができたら……言いなさい、と言ったのを、覚えていますか?」


 歯切れが悪くなるにつれて、私の頭も下がっていく。すると、椅子から立ち上がる音が聞こえた。


 視界にお父様の手が見えて、私は顔を上げられるのだと思った。が、次の瞬間、私の体が宙に浮き、視界が高くなった。お父様よりも高い位置に。


「わっ!」

「随分大きくなったね。もうこんな風に、抱き上げられなくなるのかな」


 急に抱き上げて、そんな寂しそうなことを言うお父様。

 まぁ、転生前の世界でも、娘から「今まで育ててくれてありがとうございました」と挨拶をして嫁ぐシーンは、お涙頂戴としてはよくある話だ。


 う~ん。これはつまり、続きを聞きたくないっていう意思表示?


 というか、エリアスもそうだけど、この世界の人間は抱き上げるのが好きなのかな。


「お父様。私は結婚したら、家を出なければならないんですか?」

「いや、逆だよ。私が出ていかなければ」

「そうであっても、私はお父様の娘なのですから、邸宅内であれば、好きになさって良いんですよ。どんな相手でも後押ししてくれるって仰られたんですから、私もお父様の力になりたいです」

「本当にイレーヌに似てくるね。仕方がないとはいえ、結婚させたくなくなるな」


 あぁ、やっぱり嫌だったんだ。後押ししてくれるから、てっきり賛成なのかと思ったら。


 執務室内にある応接セットの長椅子に私を座らせると、お父様は隣に腰を下ろす。抱っこだけでは満足できなかったのか、今度は頭を撫でられ、なかなか切り出せなかった。


「お父様」

「分かっているよ。勿論、私が言ったことも。それで、一体誰なんだい? マリアンヌが好きになった相手は」


 意外にも、お父様から話を持ち出された。が、誰も何も知っていて聞くのだから、たちが悪い。


「エ、エリアス、です」

「ふむ。好みもイレーヌに似たのかな。エリアスは私と同じで頭の回転も速くて優秀で……」


 ど、どうしたんだろう。凄くお父様らしくない。次々と出てくる言葉に私は戸惑った。エリアスの賛辞さんじなのか、お父様の自慢話なのか分からない話題が続いていく。


 一頻ひとしきり聞き終えると、私は素朴な疑問を投げかけた。


「その、お父様は私がエリアスを選んでも、良かったんですか?」

「どう言うことだい」

「とても、らしくなかったので。やはりお父様もエリアスが平民だから、不快に思われたんですか?」

「まさか私が平民という理由で、エリアスを拒絶すると思ったのかい?」


 クククッと一人で笑うお父様に不信感を抱いた。


「違うのですか?」

「仮にそうだとしたら、マリアンヌにどんな相手でも、なんて言う訳がない。違うかい?」

「そうですね」


 攻略対象者の身分が、皆、バラバラだったから、お父様の考えまで至らなかった。後押ししてくれる、というのはそういうことだ。


「実は二年前に、エリアスからマリアンヌが欲しいと言われてね。あの時、尋ねたのは、マリアンヌがどう思っているのか知りたかったからなんだよ。あとは、アドリアンを警戒して、かな」

「なっ!」


 な、な、な、なんですとー!!


 すでに「娘さんをください」的なことを言っていたってことですか!?


「大丈夫。ただでそういうことを言ったわけではないから」

「……条件みたいなものを出した、ということですか?」

「エリアスが先に、取引を持ち掛けてきたんだよ。あの当時、マリアンヌの誘拐があっただろう。その調査協力をしてもらっていたんだ。もしアドリアンを失脚または追放などの証拠が掴めたら、考えてほしいと」


 エリアスが私の意図していた行動を取ってくれていたのは嬉しいんだけど、まさか二年前からそんな考えをしていたなんて!


 それなのに、ずっとエリアスの気持ちに答えなかった私って、ヒロインじゃなくて実は悪女の方だったの? 折角ここまで動いてくれていたのに、なんて酷い女なんだろう、私は。


「まぁ、その点に関してはエリアスも頑張ってくれていたからね。報われて良かったと思うところはあるよ」

「ということは、叔父様に関して、何か進展があったということですか?」

「ふむ。これは話すつもりはなかったんだが、多少はね。ただこれと言った決め手がないんだ。マリアンヌをさらった者たちを捕まえて問いただしたが、アドリアンは間に他の者を入れていたようでね。マリアンヌをあの小屋に閉じ込めておけとしか依頼されていない、と言い張るばかりで。得られたのは、仲介人の特徴のみだった」


 あの時のことが脳裏に浮かんだが、歯を食い縛るお父様を見ていたら、自然と手が伸びた。お父様の手に自分の手を重ねる。


「エリアスはね、孤児院の子供たちに協力を求めて、その仲介人を探してくれたんだよ」

「え! で、でも、それは危ないですよ。いくらなんでも」

「大丈夫。私も注意したから。それに、もう目処は立っているから心配することはない」


 私は安堵した。いくらなんでも、孤児院の子供たちを巻き込むようなことはしたくなかったからだ。


「つまり、エリアスを認めた理由は、取引が成立したからですか?」

「言葉は悪いが、その通りだ。私からの条件も満たしたことだしね」

「条件? どんな内容か聞いてもいいですか?」

「マリアンヌがエリアスと結婚したいと言いに来なければ、許可はしない、と言ったんだ」


 はうっ! エリアスもだけど、お父様までなんていう条件を! つまり私は、知らない間に二人の罠に引っかかったってこと!?


 私がショックを受けていると、お父様はポケットから懐中時計を取り出して、時間を確認しているようだった。


「もういいかな。マリアンヌは自室に戻りなさい」

「はい。エリアスが来ていませんが、いいんですか?」


 邸宅内でも、一人で行動しないように、と言ったのはお父様だ。叔父様の手の者がいるかもしれないからと。


「今日くらいは大丈夫だろう」

「そうなんですか? では、これで失礼します」


 私は立ち上がり、カーテシーをして執務室を出た。


 お父様の心境としては、私とエリアスが並んだ姿を見たくなかったのかもしれない。まだ結婚するような年齢じゃなくても。

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