第22話 「舟に乗ってみるかい?」

「お父様!」


 お気に入りの若草色のドレスを身にまとい、エントランスにいるお父様に駆け寄る。その手には、すでにお弁当が入ったバスケットが握られていた。


「私が持ちます」


 屋敷の主が、荷物持ちをしているなんて!


 バスケットを取ろうと、すぐさま手を伸ばす。けれど、私の動きに合わせてバスケットが遠ざかり、一向に掴めない。

 終いには、私の手が届かない高さまで上げた後、当然のようにバスケットをエリアスに渡した。


「これでいいかい?」

「……えっ、あ、はい」


 ちょっと違うんだけど、と思いつつも、そう答えるしかなかった。


 逆に、荷物を押し付ける形になってしまったエリアスの顔を、そっとうかがう。

 少しだけ不満そうな表情が目に入った。が、私と視線が合うと、誤魔化すように笑顔を向けられ、余計に私の罪悪感を募らせた。


 後で何かしらの埋め合わせをしないと。


 今はただ、それだけを頭の片隅に置いておくことにした。お父様が私に手を差し出したからだ。


「行こうか、マリアンヌ」

「はい」


 思わず先ほどのエリアスの仕草と比べた。いくらこの二年で、従者としての振る舞いが板についても、洗練されたお父様の仕草には敵わない。スマートで格好いい。


 ん? 一応言っておくけど、ファザコンじゃないからね、私!


 それでも意気揚々とお父様の手を取って、玄関の扉を通った。



 ***



 ラモー川は、首都を流れる川の一つ。主流ではなく支流であるため、川幅はあまり広くない。ギリギリ大型船が通れるくらいしかないのだ。


 それが、逆に良かった。商船や漁船の邪魔をしないで舟遊びができるからだ。流れも常に穏やかであることもまた、拍車をかける要因だった。


 そんなラモー川沿いには、いくつか公園が隣接していた。その一つが、このデデク公園である。


 私がここに目を付けたのには訳があった。最近デデク公園に、バルニエ侯爵が散歩に来ているという噂を聞いたからだ。


『アルメリアに囲まれて』にはなかった情報だが、バルニエ侯爵は随分、変わった人物だという。

 まぁ、いくら後継者がいないからといって、孤児であるエリアスを養子にするくらいだから、そうなんだろうけど。


 だって、継ぐ人間がいないのなら、普通身内から選ぶもの。侯爵家ともなれば、相続したい人間が沢山いるはず。貧乏貴族じゃないんだから。


 お陰でカルヴェ伯爵家にも、その噂が舞い込んだ。これもストーリー補正だと考えた私は、早速デデク公園に行こうと思い至った。


「マリアンヌ。舟に乗ってみるかい?」


 辺りをきょろきょろ見ていると、お父様から声をかけられた。


「いいのですか?」

「さすがに今から昼食にするのは早いからね」


 実は、バルニエ侯爵を探す傍ら、舟遊びをしている人たちに目を奪われていた。


 一応、舟に乗ったことは転生前にもあったけど。あれは、舟遊びじゃなくて、ライン下り。しかもライフジャケットが必須で、目の前に広がる、優雅な舟遊びとは縁遠い代物だった。


 う~ん。これは例えるなら、ボートに近いかも。といっても、そのボートですら、乗ったことはないんだけどね。だから、答えは決まっていた。


「乗りたいです!」


 元気よく言うと、お父様に頭を撫でられた。笑顔も向けられて、私も同じように返す。何だか本当の親子みたい。


 うん。今日はお父様もいるから、バルニエ侯爵を探すのはあとにしよう。デデク公園には、また来られるけど、お父様と外出するのは、いつになるか分からないから。


 念のためにもう一度、ファザコンじゃないことを言いたい!



 ***



 そんな言い訳をしながら乗り込んだ舟の上で、私は衝撃的な話を聞いた。


「え? 叔父様が来られるんですか?」


 この二年、何か仕掛けてくることも、音沙汰おとさたもなかったのに、どうして突然……!


「娘の、マリアンヌにとっては従姉妹いとこになるオレリアが十六歳になったから、首都を見せてやりたい、と言うのでね。憶えているかい?」

「……すみません。名前だけなら憶えているんですが」


 それはあくまで、マリアンヌの記憶であり、私自身はよく知っていた。アドリアンの娘、オレリア・カルヴェを。


『アルメリアに囲まれて』の当初、つまりお父様亡き後、カルヴェ伯爵家を継いだ叔父様と共にやってきたマリアンヌの従姉妹。


 性格は叔父様に似て横暴。降って湧いた贅沢な暮らしで、物欲に目覚めたのか、我儘な性格に拍車がかかり、仕えているメイドたちを困らせていた。


 特にマリアンヌに対する態度は酷かった。まるで自分の方が、“カルヴェ伯爵令嬢”なのだと、分からせるかのように当たり散らしていたのだ。


 そんなオレリアが十六歳……か。自分が十四歳だということも忘れて、しみじみ思った。仕方がないじゃない。中身は二十代なんだから。


「まぁ、ここ数年会っていなかったからね。憶えていないのも仕方がない」


 実際のところ、会わせないようにお父様がしていた可能性が高かったため、今は黙っておいた。


「でも、お父様。首都を見て回るだけなら、十六歳でなくてもいいと思うんですが」

「そうだね。一人で見て回るわけじゃないんだから、あまり年齢は関係ない」

「あの、仰りたいことが分からないんですが」


 いまいち要領を得ない会話に、私はしびれを切らせた。


「ふむ。これはまぁ、アドリアンが建前として言ってきたことだからね」

「つまり、目的は違うんですね」

「あぁ。アドリアンはどうやら、マリアンヌに息子のユーグを紹介したいらしいんだ」

「ユーグ?」


 どこかで聞いたような名前に、私は頭を傾げた。アドリアンの息子、ユーグ・カルヴェ。


 脳内で復唱した途端、ハッとなった。思わず、舟の上だということも忘れ、立ち上がるほどに。


「急に立っては危ないよ、マリアンヌ」

「すみません」


 舟は少しだけ揺れたが、お父様は全く動じず、手を差し出す余裕さえある。私は、というと立った瞬間、後ろからエリアスに支えられていたため、倒れることはなかった。


「エリアスもありがとう」


 お礼を言いながら、後ろを振り返る。エリアスの顔が近くにあり、まるで抱き締められているような格好だったのにも関わらず、私の顔は赤面せず、胸もドキドキしなかった。


 それは、ユーグ・カルヴェ。『アルメリアに囲まれて』の攻略対象者の一人、“従兄弟いとこ”の存在を思い出したからだ。

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