第15話 「旦那様との取引の方が、俺にとっては重要ですから」(エリアス視点)

「エリアス。報告はまだあるだろう」

「は、はい。えっと、使用人の調査報告ですが、前回と変わりません」


 前回、とは俺が伯爵邸にやってきたばかりの時に、調査したものだった。

 すでに中にいたニナさんと、新参者しんざんものの俺。全く異なる二人の目線から調査することで、見えなかったものが見えるかもしれない、という旦那様の提案で、始まった調査。


 俺としては、誰がアドリアン様の密偵だかは分からない。だから、知り得た情報をそのまま旦那様とニナさんに渡すしかなかった。


 一カ月経った今回は、俺への評価も加わって、さらに情報を引き出すことに成功したものの、有益なものは得られなかった。


 逆に、リュカが俺の悪評を広めていることが分かったが。あまり相手にしないことにした。


 誰もが、マリアンヌのことで、俺に嫉妬しているのだと言っていたからだ。だから俺は、リュカよりもマリアンヌの方が気になった。あいつのこと、どう思っているんだろう。


「ニナも同じか?」

「はい。不審な動きをしている者はいませんでした」

「そうか。リュカがエリアスのことを随分と言っている話が、私の元にまでくるのだが、それでも何もないのかい?」


 ニナさんが俺の方を見たため、一歩前に出た。


「勿論です。それに、リュカだけでなく、俺を嫌っている人間が他にもいます。けれど、旦那様との取引の方が、俺にとっては重要ですから」

「アドリアンからマリアンヌを守り、さらに失脚させる、何かしらの成果を果たせたら、マリアンヌと結婚させてほしい、だったかな」

「はい」


 調査を依頼した旦那様に、俺は取引を持ち掛けていた。正確には、誓約書のようなものだ。


 旦那様からしたら、俺が失敗したとしても、痛くもかゆくもない。マリアンヌとの結婚だって、後でいくらでも反故ほごにできる。そうアドリアン様さえ、どうにかできればいいのだから。


 さらに、忠誠心の証でもあった。マリアンヌがいる限りは裏切らない、という。


「それならもう一つ、重要なことがあるだろう」

「なんでしょうか」

「マリアンヌの気持ちだよ。いくら私がエリアスを認めても、マリアンヌが拒否すれば意味がない」


 今はまだ答えを言わなくていい、とマリアンヌには言っていたが、実際はどう思っているのかは分からなかった。


 反応を見ると、悪くはない、と思う。拒否しないし、顔だって赤くなる姿を何度も見ている。それを好意だと捉えるのは、思い上がりかもしれないけど。


「それを前提に取引していますので、心配はご無用です」

「ならば私も、一応言っておこうか。マリアンヌが君と結婚したいと言いに来なければ、許可はしないからね」

「……分かりました」


 強敵を懐柔かいじゅうしたかと思ったら、そう容易くはなかったらしい。むしろ、難易度を上げたような気がした。



 ***



 そう思うと、マリアンヌもやっぱり旦那様の子供なんだと感じる。


 手が伸びそうになるサラサラした金色の髪や、クリっとしたオレンジ色の瞳で、マリアンヌが笑顔を見せれば、温かい気持ちになる。


 こんなにも旦那様に似ていないのに、厄介なところはソックリだった。


 あれだけ近づかせないようにしていたのに、いとも簡単にあいつに会ってしまうんだから。いや、あいつがこの僅かな隙を見逃さなかったことに、警戒するべきか。


「エリアス」


 マリアンヌを部屋に送り届け、出ようとした時だった。振り替えると、なぜか心配そうな顔を向けられる。


 やっぱり、リュカに何かされたのか?


 急いでマリアンヌに近づく。すると、それを待っていたのか、俺が尋ねる前に、マリアンヌが口を開いた。


「お父様に何か言われたの?」


 予想外の言葉に驚いて、すぐに返事ができなかった。


「その、お父様に時々呼び出されているでしょう。さっきみたいに。だから、何か良くないことを言われたのかなって」


 あぁ、さっき『俺のことを考えてくれるだけで、いいんだけど』って言ったから、気にかけてくれたのかな。すぐに喜んでしまう自分を、必死に抑えた。


「大丈夫。いつもの定期報告だから」

「あっ、叔父様の。……あまり良くなかったの?」

「いや、そういうわけじゃないんだ」


 正直、どこまでマリアンヌに話していいのか、分からなかった。旦那様からは、俺の判断でいいと委ねられているけど。


 不安にさせたくない。


「何も成果を出せないから――……」

「怒られたの?」

「違うよ。俺が勝手に焦っただけ」


 不安なのは俺の方かと、内心ため息をついた。安心したくて、今すぐにでもマリアンヌを抱き締めたい。手を伸ばせば、簡単にできるのに。俺はその手を強く握りしめた。


 すると、その手をマリアンヌに握られてしまう。


「エリアス。私にできることがあったら、何でも言ってね。協力するから」


 廊下での出来事を、もう忘れたのかな。このまま引っ張ることだってできるのに。


「例えば?」

「え?」

「何ができるのか分からないのに、マリアンヌに頼めないよ。マリアンヌはお嬢様なんだから」


 思わず意地悪な言い方をした。『何でも』なんて、俺に向かって軽々しく言うから。


「えっと、できることは少ないけど、話し相手くらいなら」

「話し相手?」

「うん。悩み事とか、頭の中がごちゃごちゃしている時に、誰かに話すことで、整理できるっていうでしょう。どうかな。それくらいしか、浮かばなかったんだけど」


 旦那様に似て、一筋縄ではいかないな。しかも、話の内容を聞きたいがために、提案したようにも見える。


「分かった。でも、今は別のことをお願いしたいんだけど、いい?」

「……変なことじゃなければ」


 やっぱり警戒されている。他のお願い、と言われれば、そうなるよな。


「無体なことはしないし、もう言わないから、一回だけ。一回だけでいいから、抱き締めさせてほしいんだ」

「……一分。ちゃんと守ってくれるなら、別に一回だけじゃなくても……いいよ」


 思わず、返事を言わずに、マリアンヌの体を引き寄せた。心の準備が出来ていなかったのか、驚いた声が聞こえたが、気にしなかった。


 一分、ってどれくらいだろう。さっきと同じように、力を入れたら怒るかな。


「エ、エリアス。一分、経ったよ」


 そう考えている内に、マリアンヌから声がかかった。


 仕方がない。でもちゃんと守れば、またできるから、と名残惜しそうに体を離した。


 一分は短いよ、マリアンヌ。


 そう言いたくなったが、すぐに言葉を飲み込んだ。マリアンヌの顔が赤かったからだ。


 これは思い上がりじゃないよな。きっと。今はそれだけで満足した。

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