オフパコした男の部屋の本棚に自分が十年前と十一年前と十三年前に出した同人誌が全部刺さってました

きょうじゅ

180分の恋奴隷

 年下の割には上手だったな、と余韻に浸りながらふと壁の本棚を見たら、自分の単行本がいっぱい刺さってた。どうも、わたくし少女小説家やっております。年齢は29歳です。彼はまだわたしを23歳だと思っている筈ですがそれは些細な問題でしょう。


貫井潜夏ぬくいひそか、好きなの?」


 貫井潜夏というのはわたしが使っている商業ペンネームですが、まさか彼はそれを知っていてわたしを誘ったわけではないはず。どこにもそれに繋がる手掛かりは書いていない。ツイッターのアカウントはプライベート用と仕事用を厳密に分けているのだから。


「好き。大好き」


 やん、照れちゃう。三時間前に初めて会ったばっかりだけど、わたしもあなたのことがもう既にだいぶ好きよ。でもそういう問題じゃないな。


「昔からずっとファンで……シガレットさんも好きなの?」


 シガレットはツイッターのプライベートアカウント用ハンドルネーム。


「す、好きと言えば好きかな。そんな格別でもないけど」


 自分自身のことを好きとか好きじゃないとか、あまり考えたことがありません。


「そっか。シャワー浴びようかな。一緒に入る?」

「う、ううん。恥ずかしいから、一人で入ってきて」

「分かった」


 恥ずかしいからというのは嘘だが、彼の姿がバスルームに消えるのを確かに見届けてからわたしは本棚に駆け寄る。……わたしの商業単行本は全部あった。どれも初版だ。その上、デビュー前の同人誌まである。どうやって手に入れた? わたしは小説同人誌即売会で自分が捌いた客たちの顔を思い出す。……確実だとは言えないが、彼の顔に見覚えはなかったはずだ。と思う。だいたい、ここに刺さってる一番古い同人誌の刊行年次を考えると、その頃彼はまだ小学生くらいだったんじゃないかと思う。


 と、彼が出て来た。うわ、カラスの行水。わたしはまだ自分の同人誌を持ったままだ。


「あ、それ一番古い同人誌。手に入れるの大変だったんだよね」

「……即売会行ったの?」

「まさか。方々探し回って結局ヤフオクで競り落とした」

「そ、そう。あのさ」

「うん?」

「大ファンって言うことは、貫井潜夏本人に会ってみたいとか思う?」


 すると彼は顔をすごく複雑そうにしかめた。


「いや。絶対会いたくない」


 がーん。しかし、わたしは平静を装って話の続きを促す。


「そうなの?」

「ファンだからこそ、逆に知りたくないんだよね。作者のプライベートとか。素顔とか」


 あなたは既に素顔どころかもっとすごいことも知ってしまっているわけですが、しかしそれはともかく実は今夜これからこのあとこの街で貫井潜夏名義のサイン会があるんだけど、まかり間違って彼がそこに姿を現すなんて事態は起こらなそうだ。安心なような残念なような。


「それよりさ。もう一回、いい?」


 という言葉とともに、彼の手がわたしの背中に回る。


「いいよ。嬉しい。わたし君のこと、好きになっちゃったみたい」

「そうなの? 俺も、この先も付き合っていけたらいいなって思ってた」

「うん……」

「本当の名前で呼んでいい?」


 あ。


「……ひそか

「え? どういう字で?」

「前島密と同じ」

「へぇ。なんか奇遇だね」


 それは偶然でも何でもないのですが、本当にこれが本名なのでどうしようもない。


「俺は大学生だけど、密さんは?」

「フリーライター」


 わずかに横にずらしました。完全な嘘ではない。と思う。たまにはエッセイの仕事とかも受けてるし。うん。


「今度、いつ会えるかな」

「明日……また。仕事で来てるんだけど、今夜はこの街に泊まるから」

「うちに泊まっていったら?」


 気持ちは嬉しいけどそういうわけにもいかない。出版社にホテル手配してもらってあるので、チェックインしないわけにもいかんだろう。


「それじゃ、また明日ね」


 と言って彼のアパートを出て、わたしはとりあえず街の繁華街に向かう。今夜のホテルとサイン会をやる書店があるのはこの駅前である。そして、そろそろサイン会の時間が始まるからスタンバイしなければ、というタイミングで、わたしは今日できたばかりの自分の彼氏にばったりと出くわした。


「あれ? 密さん」

「え?」

「びっくり。偶然だね。いや、今日貫井潜夏の新刊の発売日だからさ、買いに来たところだったんだけど」


 知ってるしそれも偶然でもなんでもない。なぜなら、新刊の発売日であるが故に、その貫井潜夏がこれからここでサイン会などやるのであるからして。この街に他に本屋はないのか? ないんだろうな。こんなご時世だもんな。わたしの本もだいぶ前から電書の売り上げの方が多いよ。んーなこたーどうでもいいけど。


「先生、そちらの方は?」


 担当の悟霊沼ごれいぬまさん(女性・わたしより年下・だけど既婚)が不思議そうな顔でわたしを見た。

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