22:新しい星座
まず想像上の空に、数え切れないほどの星々を浮かべてみよう。
そんな身体を震わすほどの美しい光景が、よく磨かれた鏡に映したように、下方にもそっくり広がっている。
どこを向いても星々の瞬きからは逃れられない。つまり星空に囚われているのだ。
それから、両手両足をちぐはぐに曲げて、変な体勢のままでめざめてしまった朝を想像しよう。しかも筋肉痛で動くこともままならないような。
そのように彼らは、天の深いところに磔にされていた。
深い闇と眼を刺すほどの強烈な星々の光のなかで、新たに生まれた、いくつかの新しい星座。
それらはみな、プラネタリウムの観客たちだ。
沈黙が続く。が、星座になったフィズィがその辺に光っているこぶし大の星をつかんで、手元に寄せて眺めてから、警戒もなくひとかじり。
「うん」
しばし沈黙。
うん、ってなんだよ……みたいな空気が周りに漂う。
「星って、食感はサクサクしてるけど、噛んでるとねちゃねちゃしてくる。ほんのり金木犀の香りがする。味は完全にでんぷんのり。でも意外とイケるかも」
「だれにしゃべってんだよ、蛇のネーチャン」とやはり星座になったウィジャが訊いた。
「アンタに言ったことにする」
二人は離れた位置にいて、身体はそれぞれ別の方向を向いていたが、顔だけ曲げて向かい合っていた。
「つーかさ、でんぷんのり、食べたことあんのかよ。そういう悪食、いけ好かないぜ」
「そうかな。でんぷんのりって一度は食べるよね?」
「ねぇよ! 蛇だって喰わんだろ。きもちわる~っ!」
「キミってピュアだよね。女の子ってね、みんな、一度はでんぷんのりを食べてるもんだからね。一度どころか、ダース単位で経験あるんだから。明るく元気なあの子も、おしとやかで上品なあの子も、みんな隠れてでんぷんのりを舐めています。指でケースの内側からこそぎとって舐めしゃぶってます。残念だったね」
「そ、そんな……」
眼を見開いたまま硬直するウィジャ座だった。
「ところでさ、アタシたちって、星座になっちゃったの?」
フィズィが、陰鬱そうな少年に訊ねる。
「ああ、そうみたいだぜ。あの真野とかいうガキがビリヤード始めて、現れた星座の生物が襲撃してきて、気付いたら、な……」
「ふーん、こんなことになるなら、一度インナーとか染めたかったな。夕焼け色に」
「この期に及んで髪の話とかできるその胆力、嫌いじゃないぜ……」
*
いっぽう別の地点では。
「ここ、どこなんでしょう」
かぼそい声でジャコ座がつぶやいた。まねき猫みたいな形の星座になっている。
「どこでもいいよ。あー終わった終わった」
寝そべった形のクールル座が応えた。
「まだ諦めないでくださいよ、クールルさん。ここから脱出する方法は必ずあるはずです」
「んじゃ、なにか思いつくまで、星でも眺めよ?」
二人はほかの星座を眺めることにした。
「あ、見てくださいあの星座、不思議な微笑みをした女性に見えませんか。いったい何座でしょうか」
クールル座は自信ありげに答えた。
「やあやあ、ねこくん、あれは『モナリ座』というのだよ、チミ」
「ぼく、ねこくんじゃないんですけど」とジャコ座。「ジャコっていいます」
「ごめんごめん。ほかにも知りたい星座があったらお姉さんに聞いてね!」
[では、あっちに見える、怖い男に見える星座は何座でしょう?」
「ふーん、あれはカチコミ中の『チンピラヤク座』だねえ。テッポーダマという3等星がアルファ星なのさ。こわいねえ」
「えっ、そんな星座があるんですか。知らなかったなあ。あっ、あの星座は小さいけれど、トゲトゲしていて不気味だなあ」
「よく見つけたね、ねこくん! あれは『インフルエン座』だよ! 近くに寄ったら宇宙風邪にかかってしまうのさ!」
「それはおそろしい星座ですね! じゃあ、あの、たくさんのトルネードが集まった怪物のような星座は……!?」
「『台風銀座』、かな……」
「すごい! クールルさんって、物知りなんですね! カッコいいです!」
「ヲイヲイ惚れてんのかい少年……ボクの博覧強記ぶりに酔い痴れてくれ、べいべー……ボクに知らない星なんて無いのさ……なぜって、たとえ愛する者が宇宙の片隅で泣いていても、いつでも探しに行けるようにね……」
「き……『キ座』だ……」
クールル座は大きくあくびをした。眼元を隠す金色の前髪がさらに前に垂れ、眠そうにしている。ジャコ座も急に肩が重くなったようで倦怠感を隠せない。
悠長に構えてはいられない。星座でいると、精気が損なわれていく。だんだん力が無くなってくるらしいのだ。
「……うう……意識朦朧としてきました……クールルさん、もう少し喋っていてもらえませんか……」
「……や、そうはいってもね、ねこくん……おしゃべりにもMPが必要なんだねえ……あーあ、ヴェアムートが復活したら、ボクらの港町は……いや世界は、どうなっちゃうんだろう?」
「あ……そのなんとかムートってのはなんなんです。クールルさんは知っているみたい……ですけど……」
「ふわわ……すべてを終わらせる、災厄の塊みたいなもの……鳥の姿をしてるって聞いたけど……でもそんなこと考えなくていいのさ……どうせそんなもの見ずにこの星空で終わっていくんだから……」
「終わりたくありません! 何度も終わりをくぐり抜けて、ここまで来たんです。もう終わりはこりごりです!」
「じゃあ気まぐれにおしゃべりをしようねえ。アルファベット順で一番終わりに来る生き物はなんだと思う? ジャコくん」
「えっと、ZEBRA(ゼブラ)。シマウマですか?」
ノン、ノン、とクールルは指を振った。
「むっふっふ……答えはZOO(動物園)。つまり、生き物ぜんぶなんだよねえ!!」
「なぞなぞだった!?」
「……みんな終わりだあ!! ヒ~ンヒ~ンヒ~ン、泣!!」
「嫌だぁ……」
「うそうそ。実は答えは、ZYZZYVA(ジジヴァ)といって、ゾウムシの一種で、熱帯地域の農作物を荒らす害虫がいるんだ。シマウマで終わりだと思ったら、別の終わりがあるんだねえ」
「つまり……どういうことですか?」
「どういうことでもないよ。ただ、おしゃべりしてるだけだよ……ふわわ……ZYZZYVAって文字面は中学生が考えたみたいなのに、響きはジジイとババアだよね」
「いや知りませんけど……」
*
このしんどさはなんだろう。動けない。なぜだろう。
倦怠感に加え、屈辱の気持ちがむらむらと沸き起こる。脳の働きも鈍い。
「完全に頭が働かん……まるで弁護士たちによる深夜の麻雀大会に点数計算のためだけに誘われたときみたいだ……」
アグロ座は浮遊していた。横になった状態で、まるでベッドに大の字になっているように。暗い星だけで構成された星座だ。地上からも見つけにくい影の星座。
真野の言葉をたどる。養分、という単語を思い出す。おれたちが養分にされるとか言っていた気がする。なんで星になったら養分になるんだろう。説明できんのかよ、みたいな。
突然、謎の男に話しかけられたことに気付いた。
その男は星座ではない。二足歩行で空間を自由に行き来している。両手を振って宙の上をゆっくり歩んでいる。
「また不運な者どもがやって来ましたな……娘がとんだご迷惑をおかけしました」
しゃがれた声だった。
「誰だ」
「いやはや、お声が遠いようなので、お顔をこちらへ傾けてもらえませんかな?」
「無理なんだよジジイ。おれは星座になっちまったんだ。ネジで止めたようにこの体勢で固定されちまったんだ。顔を曲げようと思っても、寝違えたみたいに動かない。誰だか知らないが、お前のほうから俺の正面に来てくれ」
「あきらめるな。こっちを向くのじゃ。向こうと思えばそのうち向ける。無理だと弱音を吐けば本当に無理になる。『無理』、それは嘘つきの言葉なんじゃ」
「うるせえ」
でも時間をかけて振り向く。
そこには腰の曲がった男がいた。あごに白髪交じりのひげを伸ばしたお爺さんだ。
「こんにちは。イーロン・マスクです。ち~がうかな? ハハハ」
「は?」
老爺はあごひげを指でつまんでいた。
「そこで何をしている。どうして自由に動けるんだ」
「わしはすでに星になっておるが、きみらのような星座ではないのでな」
「わからない。もったいぶらずはっきり言ってもらえないか」
老爺は声だけで笑ってから、低い声で話し始めた。
「もうずっと昔から、この空で、私はあの娘を見守ってきた。しかしあの娘は、いつからか悪い怪鳥にだまされるようになった。私はどうすることもできずここでやきもきしながら見ているわけじゃ。おわかりかな」
「わかった気がするとは言えないな」
「あの娘に悪い鳥がとりついておるのです。あの鳥はあの娘に接近し、甘い言葉で誘惑し、なにか良からぬ契約を結んだにちがいない。あの娘をあの害悪から守ってほしいのです。わしの代わりに、助けてやってほしいのです。わしはここから二度と地上に戻ることはない星ですから」
「悪い鳥とやらがいる、ってのはわかったが」
アグロ座はまた老爺から顔を背けつつ、捨て台詞みたいにぼやいた。
「おれたちにとっては真野が害悪なんだが」
「あの娘は悪い子ではありません!」
老爺はきっぱりと言った。
「たしかにあの娘は、不登校などを繰り返し、《生意気クソガキカレンダー》の8月のモデルに無理やり採用されたことがあります。しかし私が付いていなくとも、自ら海岸で電気クラゲの群れを駆除したこともあるのです! 他者のために貢献できる心優しき娘なのです」
クソガキカレンダーってどこかで聞いたな、と思いつつ。
「そんなに言うのなら助けてやるのは考えてもいいが、いずれにせよ、地上に戻れたらの話だな」
「戻れる方法は、ある」
本当か、と周りの空で瞬いていた星座たちが老爺のほうを向いた。
「流れ星になれば、よいのです。流星になって地上へ帰るのです。とはいえ、ほぼすべての流星が地上へ届く前に燃え尽きてしまう。だが絶対に帰るという覚悟があるのなら、うまくいくかもしれません。やってみる価値はあります。決め手は自分を強く持つことです。また、だいじな人のことを一心に思いなさい。つまりは思う力の強さで帰れるのです」
「じゃあなんでオッサンは、帰らないんだよ」
そうだ、そうだ、と疑念の声が巻き起こる。
「わしにはもう力が残されていないからです。だが、わしとちがって、あなたがたは、まだかろうじて生きている」
「おまえはだれだ」
「わかりませんかね。あの娘の父です」
「父にしては年配すぎじゃないかね」
「いろんな家族の形があるのです。血はつながっておりません」
「それは悪いことを聞いたよ。悪いこと聞いたついでにもうひとつ悪いことを聞くんだが、あの娘を助けてやるとして、報酬はいくら出すんだ?」
場が凍りつく。今さら金かよ、と。見損なったぞ、みたいな。
「こんな無用の長物、持っていきなされ」
老爺はポケットから二つ折りの財布を取り出しアグロ座に手渡した。文字通りのポケットマネーだ。
アグロ座は財布を見物する。大金が入っていたらしい。さすがイーロン・マスクだと呟いている。お札には一瞥しただけで手に取らなかった。財布の内側から一枚の写真を取り出し、それだけを自分のポケットにしまった。
「いやはや、その写真はどうか持っていかないでほしい。大事な思い出ですから」
「いいや、これをもらっていく。大事な思い出なら頭の中に入れておけ」
「そ、そうか……」
「ところでジジイ」
「……なんじゃ?」
「おれたちって、なんか似てないか? いや顔というか、面影かな……自分で言うことじゃないが……」
二人の視線が交じり合う。
「ほっほ、確かに自分で言うことじゃありませんな」
「そうだな。おれは初対面の相手にイーロン・マスクですみたいな小ボケかまさないしな。おれらは全然似ていない」
「ほっほっほ。それでよい」
そのようにして老爺とは別れたのだった。永遠に。
生還をめざす時が来た。
「……と、いうことだ。みんなで流星になるぞ。どうやって流星になるのかは、それぞれのノリで頼む」
決心の声があちこちから上がる。
「おうよ!」「わかった!」「はいよー」「できるさ!」「やってみます!」
「……え、マジで言ってる? 本当に流星になるのか? あの老人に何か担がれていないか?」
そのとき青い惑星が視界を横切っていく。
思わず息を呑む。自分たちの棲む惑星だった。きれいだな。
いや、きたないな。こんな星に棲んでいたのか。死んだそばからチアノーゼを起こして蒼くなったボンクラの顔みたいだ。眼を凝らせばわれらが港町が見えてくる。そこに屹立する万貨店、ナンデモニウムでさえも。
もはや信じるしかない。
地上を見据え、おのおのが大切なものを思い描く。
身体が震え出す。前方へ飛び出す。身体の芯が熱くなり、耐えられなくなる。いまにも暴れそう、叫び出したい、爆発しそうだ。
こんなに熱い思いをするのなら、いっそ消し炭になりたい。ひどい熱さだ。本当に流星になっている。視界も歪んで何も見えない。
でも、帰れるのだろうか。
疑ってはいけない。信じる。ただそれだけだ。
信じる。燃え尽きない。おれたちは絶対に帰るのだ。一人残らず。
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