5-7 To Take Her Over,

 それからパパは毎晩、部屋に籠もっては通話を繰り返していた。その相手は岳志さんと咲子さん、たまに敬語が聞こえたから他の人もいただろう。

 津嶋夫婦の将来について、まずは大人の間で話をつけ、そこで三人が納得できれば、あたしと仁輔も交えての話し合いになるという。つまり、現実的に厳しいとなれば、あたしと咲子さんの交際は中止ないし大幅延期される。


 歯がゆくはあるが、仕方ないだろう。あたしが稼げる社会人だったら「夫の気持ちなんて知るか」とスパダリ百合ムーブができるだろうが、まだ高校生である。

 勿論、咲子さんに離婚の意思が強ければ一方的に進めることもできるだろうが、それでは禍根が残るし仁輔に悪い。


 会社でも家でもパパが気を揉み続けること4日間。


 その間あたしも仁輔と通話を重ねていた。岳志さんが何を正しいとし、何をみっともないとしてきたか、それを直接教わってきたのは仁輔だからだ。信条こそ説得にあたって重要な要素である。


「やっぱり岳志さんはさ、自分に厳しくして努力できるのが人の理想だって考えてるのよね?」

「そうだけどさ、みんながみんなそう生きろって考えてる訳じゃないんだよ。立場に応じた責任があるってだけで」

「ああ……だから、自衛官なら他を危険に曝さないための努力を怠るな、自由より優先する指揮系統があって当然だ、みたいなことか」

「そうなる。それに、辞めるのは悪いことじゃないって……ついてけないなら辞めた方がいいってよく言ってる」

「だからこそ、やるなら甘えるなって話か」

「だな。災害現場での医療活動とかも見てるから、医師って仕事は相当リスペクトしてるし、自分たちと同じ覚悟と誇りは見いだしているだろうな」


 敬意と覚悟。やっぱりこれが鍵だろう。


「なるほどねえ……じゃあさ、仁が岳志さんのどの辺を尊敬してるか、もっと具体的に教えてくれ」

「……義花に?」

「あたしに。それを踏まえて説得のビジョンを練る」

「そういう……いいけどさ。お前の罪悪感インフレしないかそれ」

「罪悪感と無縁でいたいなんて甘えたこと言ってられないでしょ」

「分かった分かった。じゃあ、震災のときの話なんだけど……」


 聞くうちに改めて分かる、岳志さんは危機に立ち向かう仕事に誇りを持っている。誰かがやらなくちゃいけない過酷な役目を引き受ける矜持を強く抱いている。

 その岳志さんのことを、仁輔は本当に大好きだ。人生で最も多く叱られてきた相手だからこそ、その厳しさの意味をよく分かっているし、裏にある愛情と期待を余さずに受け取っている。

 あたしが思う仁輔の美点、その多くは岳志さん譲りだろう。つまりあたしが仁輔を見習うということは、岳志さんを見習うということでもある。そんな師匠のような人間に、あたしは刃向かおうとしているのだ。


「仁の話聞いて思ったんだけどね」

「ああ」

「あたしは岳志さんから咲子さんを奪おうとしている、それは確かだと思う」

「そうなるわな、義花がいなかったら離婚なんて……このタイミングでは考えなかっただろうし」

「でしょ。けど……だから、せめてさ。奪うんじゃなくて、受け継ぐんだって思ってほしいなって」

「母さんを……幸せにする役目を?」

「そう。咲子さんの隣で誰かのために頑張る、その権利と責任を」

「……まあ、言い換えとしては素敵な雰囲気あるけどさ」

「そう思ってもらうのは難しいよね」

「ああ、俺の父さんはそういう修辞には流されないだろうし。それに」


 呆れと心配と誇りを混ぜて、仁輔は言う。

「父さんを受け継ぐってな、俺が一生かけて追ってることなんだぞ。そう簡単にお前に乗っかられてたまるか」

「だよね……だからさ、一緒に追いかけさせてくれないかな。仁とあたしで」

「今更プロポーズみたいなフレーズ入れてくんじゃねえよ」

「いやこれはラブじゃなくて友情だろどう見ても」

「どう見てもラブにならない関係性にラブ入れてきてる奴に説得力ねえよ」

「そうなんだけどそういう話じゃなくて! はいバックバック、岳志さんに響く姿勢ってのはさ、」


 ……という、親子それぞれの作戦会議を経て。



 3連休を前にした夜、あたしはパパに呼ばれる。

「義花、明日の午後は空いてたよな?」

「ミラステが昼まで、2時前には帰れるよ」

「そうか……岳志もそれくらいにこっちに着くらしいんだが、できるだけ早く義花と話したいそうだ。あと明後日は全部フリーだったよな、そこも空けといてくれ」

 

 岳志さんが帰ってくるとは聞いていったが、そんなにすぐとは。

「分かった。明日の場所は津嶋家?」

「いや、外がいいらしい。あいつなら公園とかだろうな」

「了解……面子は?」

「僕も含めて三人、まずは咲ちゃん抜きで話したいんだと」

「良かった、パパも居るんだ」

「いないと泥沼になりかねないだろ」


 岳志さんと真正面からやり合うのは緊張するが、パパがいるならそこまで悲惨な状況にはならないだろう。

「分かった、よろしくね」

「ああ……まあ、あれだ、普段通りの義花で行けばいいさ」

「うん」


 落ち着かなかったので早く寝ようと思ったが、なかなか寝付けない。しばらくベッドの上で悶々としてから、パパの部屋へ声をかける。

「起きてる?」

「ああ……どうした、寝れないか?」

「うん。でね、」


 こんなこと言うの、何年ぶりだろう。

「今夜さ、一緒に寝てくれないかな」

 パパは数秒ほどフリーズしてから吹き出す。

「いいよ……ベッドじゃ入らないだろ、リビングに布団持ってこうか」


 リビングに二人分の布団を並べ、消灯。

「パパさ、」

「うん?」

「本当にごめんね。岳志さんを――大事な友達を裏切らせることになっちゃって」

 人付き合いが得意じゃないパパにとって、こんなに長い付き合いの友人はとても大事なはずなのだ。


「仕方ないさ、僕は義花の父親なんだから」

「けど嫌でしょ? 夫婦の分裂に加担するなんて」

「嫌っちゃ嫌だが……個人的な本音を言えばね。妻の望みを叶えてあげるのは、夫の大事な務めだとは思うんだよ」

「だとしても、夫の望みはどうなるのよ」

「分からないんだよ、僕には。僕と実穂は本気でケンカすることもなかったから……基本的に意見は合っていたから、望みがすれ違ったときにどう思うかが分からない。だから、実穂の望みを叶えたかったことしか覚えてない」


 パパとママは、あまりにもお互いに優しすぎたのだろう。だから、すれ違いの解決法すら必要なかった。必要になる前に、別れてしまった。


「とにかく僕は、実穂の願いを叶えることだけ考えてた。その実穂は、お腹に宿った子の幸せをずっと考えてた」

「だから、あたしの願いを叶えるのがパパの本望ってこと?」

「それもあるし……僕はもっと、実穂のわがままを聞きたかったんだよ。僕の願いばっかり叶った気がしちゃうんだよ。お互いに困って、揉めて、仲直りしながら一緒に叶えていくのが夫婦だと思っていたから……大事な過程を、踏めていないんだよ」


 咲子さんとは違う形で、パパはずっとママに囚われているのだろう。

 きっと今でもパパは、自分の中にいるママに縋って生きている。冷静なようで、胸の奥で静かに愛に焦がれている。


「じゃあパパは、あたしに振り回されることで」

「実穂のぶんも叶えている気になっているんだろうな」

「咲子さんも似たようなこと考えてそうだよね」

「嫌か?」

「そんな嫌じゃないんだよね。誰かの代わりでもいいから愛されたいし必要とされたい……そもそも、何かの代わりとか役割じゃなくて純粋に人を好きになるって、割と証明が難しくないかな」


 パパは苦笑い。

「そうかもな。実穂が僕に求めていたのも、早くに亡くなった父親の代わりでもあるだろうし」

「パパはほら、彼氏としてはパッとしないけど父親としては輝く旦那だから」

「合ってるんだが娘に言われるのもな」

「ごめんって……けどさ」


 パパを見つめる。あたしと話していないときに時々見える、疲れや不安が濃く滲む顔つきや、ママの写真に引き寄せられるような視線。あたしに見せる、穏やかな笑みと真摯な眼差し。

「いい父親やってくれたと思うよ、パパは。だって本当は、今みたいな会社勤めなんて趣味じゃないんでしょ?」

「まあね……大学のラボで実験して論文書いている、あの生活が続いた方が楽しみは多かっただろうさ。独身だったら、ストレスだらけの管理職なんてすぐ辞めるよ。けどね、」


 パパの手があたしの頭を撫でる。咲子さんに撫でられる気持ち良さとは全然違うけど、やっぱり安心する温度。

「義花が元気なまま、僕から――僕と実穂から色んなものを受け継いで大きくなっていくことが、僕の一番大事なことだから。そのためなら、いくら苦手な仕事だって逃げないよ」


 きっと岳志さんも、そうやって親の覚悟を決めて遠方で働いている。誇れる仕事、望んだ仕事、けど好きばかりではやっていけない仕事を続けてきた。その積み重ねに、あたしは泥を塗ろうとしているのだろう。ならば。


「パパ……あたしさ。岳志さんみたいな人を説得するの、すっごい苦手なことなんだよ」

「知ってる」

「苦手だからマジで頑張るよ、あたしなりの本気を見せるよ……心は負けないって分かってもらう」

「それでいい。大丈夫、僕が知ってる義花はここで折れたりしないから」 

「うん、信じる。あたしのことも、パパのことも」


 パパと話すことで気分は落ち着いてきた。無事に眠れそうだ。


「明日、岳志さんにどんなこと言われてもさ」

「うん?」

「あたしら、ずっと仲良い親子でいようね」

「……普段からそれくらい素直だと僕は嬉しい」

「うい、善処善処」


 一番仲良いのも、ずっと一緒にいたいと思えるのもパパじゃないけど。

 あたしのピンチに一番頼りになるのは、やっぱりパパだった。

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