5-5 前略、この街で紡がれる恋へ

 仁輔じんすけとの仲直りを経ての週明け。

 まず、二人で待ち合わせて一緒に登下校するのは引き続きナシにした。あたしたちなりに線引きは必要だし、結華梨ゆかりのことを考えると必要以上に一緒にいるのも悪い。

 ……と言いつつ、あたしのミラステ活動日は帰り道で出くわしたりもしたので、そのときは一緒に帰った。どうせ後一年で離れる可能性が高い、変に避けることもないだろう。


 ちなみに仁輔は、来月にある柔道の地区大会で好成績を取れたら結華梨に告白するという。そうした動機付けに反感を抱く人もいそうだが、仁輔にも結華梨にも合っているだろうのであたしは応援している。なおその大会当日、結華梨は市内のイベントにダンス部で出演するという……あたしはどっちの応援に行こうか、けどこの辺で仁輔の観戦に区切りつけた方が良いような。


 結華梨にはあたしからも、仁輔との顛末について報告した。

 あたしは仁輔が相当に追い込まれていたことにも触れ、「仁には素直に愛情を伝えてあげてほしい」と伝えた。結華梨は承諾しつつも「ウチがいなかったらエグいことになってたんんじゃ?」と危惧していた。全くその通りである、結華梨の捨て身の殴り込みが天王山である。


 咲子さんとは毎日、メッセージのやりとりは欠かしていない。文面こそいつも通りだが、相変わらず沈みがちだとは仁輔から聞いていた……けど、今のままが一番安全だと思っちゃうんだよな、どうしても。咲子さんへの恋心を前進させる決心は、つきそうにない。


 その転機となったのは週末。



 土曜日。あたしはパパに連れられ、健信けんしん製薬信野のぶの工場の社員たちによるBBQ大会に来ていた。咲子さんはいるが仁輔は部活である。


「うわあ、義花よしかちゃん!?」

「はい、ご無沙汰です」

「久しぶり~、大人になったね~!」


 会社のイベントではなく、昔から仲の良い人たちによる集まりである。あたしが小さい頃に面倒を見てもらった人もいて、久しぶりに子供の気分を味わえている。他の親に連れられた子供は小学生くらいなので、そこと比べれば大人の方だが。


「ねえ義花ちゃん、あの子わかる?」

「……え、あの蓮人れんとくんですか?」

「当たり~! 何年ぶりくらい?」

「この前はベビーカーに乗ってましたよ、大きくなるの早いなあ」

「それはオバサンたちの台詞よ、私だって義花ちゃんのおむつ取り替えたことあるんだから」

「でしたよね、本当にお世話になりました……」


 ママが亡くなってから、咲子さんと一緒にあたしの面倒を見てくれた人たちでもある。本来ならママも、こんな賑やかな集まりの中で笑っていたのだろう――見たかったな、そんな景色。

 そんな寂しい感情もあるが、晴れ空の河原で焼き物を食べるのは気分も上がるし、可愛がられるのも楽しい。家にこもらずパパの誘いに乗って良かった。


 そして、ここに来た理由は他にもあった。


「義花、こっち」

「はいはい」

 パパに呼ばれる、隣にいたのはアラサーくらいの女性だ。

「この人だよ、ミラステOGの」

 学生時代にミライステップで活動していた人が部署の後輩にいるから会ってみるといい、というのもパパがあたしを誘った理由だったのだ。


「はじめまして、九郷くごう義花です。父がお世話になってます」

「こんにちは、はじめまして、」


 ボブカットに黒縁の眼鏡、深緑のシャツに紺のデニム。なんだかあたしと似た人だなと思いつつ、どこかで見た覚えがある。

「九郷部長の部下で、元ミラステ学生講師の小林こばやし――いや、織崎おりさき紬実つむみです。義花ちゃん、と呼んでいいかな?」


「ええ、よろしくお願いします! ところで紬実さん」

 声と名前を聞いて思い出した。

「ミラステ動画講座に出ていた、つむ先生ですよね?」

「そうです! 観てくれてたんだ、嬉しい」

 ミラステがウェブで展開している解説動画シリーズ、そこに彼女は出演していたのだ。ステイホームとか言われ出した頃だから、5年くらい前。


「すごく良い企画ですし、つむ先生の回は特に好きだったんですよ。コメント送ったりもしてましたよ」

「え、ハンネとか聞いてもいい?」

「ギバンナです、カタカナで」

「ギバンナ……ああ、ああ~~!!」


 大声を上げる紬実さん。

「私も覚えてる! コメ欄に鋭すぎる自称中学生がいるってちょっとした有名人だったんだよ」

「自称ってなんですか、本当に中一だったんですよ当時」

「だって高校レベルの理科だったし感想の内容も濃いし……けどそうか、今が高校生ならそうなるよね」

「科学ネタは昔から父に教わってたので……ラップで覚えるシリーズとか大好きでしたよ」

「待ったその話は」

「講師自らノリノリ実演はもはや音楽チャンネルな気が」

「ストップストップ、ここで話されるのって恥ずかしいよ!」


 ……という数年越しのフラグ回収に始まり。食べるのもそこそこに、紬実さんと二人きりで話すのはとても楽しかった。あたしの今のミラステの話も喜んで聞いてくれたし、以前に紬実さんたちが活動していた東北での話も面白かった。

 そして会話のツボもすごく合う。あたしの好き勝手に話題を広げる癖、それにここまで追いついてくれる人は滅多にいないし、さらに別のネタをつなげてくれる人には初めて会った。


「はあ……どうしよう、今日ずっと紬実さんと喋っていたいですよ」

「私も帰りたくない~! けど旦那に赤ちゃん任せて来てるから、あんまり遅いのもね」

「最近ご出産されたんですか? おめでとうございます!」

「ありがとう、いま2ヶ月でね。こういうお出かけとか全然できてなかったから行っておいでって、旦那が送り出してくれたの」

 信頼しあっている夫婦のようで、なんだか嬉しくなった。


「ところで、義花ちゃん」

 紬実さんの声の調子が変わる。

「なんでしょう」

「実は九郷部長からね、義花ちゃんの悩みを聞いてあげてほしいと頼まれています」

「……なるほど?」

 パパが引き合わせたのにはそういう意図があったらしい。


「勿論、初対面の大人に気が進まなかったらパスでいいんだよ?」

「んん……紬実さんなら良いって気分なんですよね。あんまり利害関係ないですし」

「でしょ、私は義花ちゃんの心情だけに絡んでるから」

「そう返してくれるのが好きですよ……えっとですね」


 咲子さんとのことだとは知られず、しかし悩みの根が伝わるように。


「まず、あたしってレズビアンなんですよ」

「うんうん」

「で、旦那と子供がいる女性を好きになってしまいまして」

「……おう、」

「どうやら彼女もあたしを好きらしく、円満そうに見えて冷え込んでいる夫婦だと子供からは聞いています」

「入り組んでるなあ」

「入り組んでますよねえ」

「義花ちゃんはどうしたい?」

「最終目標は彼女とのお付き合い、そのために必要だけど出来てないのは旦那さんとの交渉。先方の家と縁が切れるのが大きな懸念ってところです」

「なるほどねえ……」


 紬実さんはしばらく考え込んでから。

「私はその件で迷惑かかったりしない立場だから、勝手なこと言いたいんだけど。いいかな」

「どうぞ、そういう立場からのを聞きたいです」

「うん。結論から言うと、義花ちゃんには恋を叶えるためにぶつかってほしいなと思います」

 温厚そうに見えて、大胆な方を勧めてくる人だ。とりあえず続きを聞こう。


「というのも……私の感覚だと、この世界ではね。

 お互いを幸せにできるような人と人がいたとしても、それが叶うようなタイミングや順番では出会えていないことが多いと思うの。神様はキャラ設定とキャスティングまではセンスがあるけど、構成が致命的にガバガバなことがあってね」


 紬実さんの語りには、相当な実感がこもっている気がした。

 出会う順番を巡り、小さくない悲しみを抱いてきたのだろうか。


「だからね。もうできあがっている人間関係がひっくり返された方が、関わった人たちが幸せになれる……みたいなケースもあると思うよ」

「それはあたしも思ったんですけど。未婚のカップルならともかく、夫婦とか家族って結構重いじゃないですか」

「うん。例えば私の旦那が、急に本気で好きな人ができたとか言い出したら怒るよ。この子たちどうするのって、相談も約束も散々したのにって」


 本当に納得いくまで話し合って夫婦になった人たち、なのだろう。


「けど、その女性のお子さんも賛成してくれているんでしょ。その子はもう大きい?」

「ですね、そろそろ家を出るくらいには」

「そっか……勿論、夫婦の役割ってそれだけじゃないし、よそから判断できることでもないよ。ただね、」


 空を見上げながら、紬実さんは言う。

「私はね。嫌われてもいいからひっくり返しにいこう、奪いにいこうって、できなかった。覚悟を決めて大好きな人を幸せにしようって決めるのが……間に合わなかったんだよね」


 幸せそうに見えた紬実さんが、今も抱えている傷。浅くないそれを、初対面のあたしに見せてくれた意味。


「……紬実さんは、もしそのときに戻れたら、」

「戻れないから無意味な仮定、じゃないかな」

「そうですね、ごめんなさい」

「いいの、私こそごめんね。無意味だと分かるまで何年も自分に問い続けた、が正しい答えかな」

「はい……じゃあ、まだチャンスがあるあたしは」

「奪いにいってほしいよ。その責任は取れない立場だから、どこまでいっても私の身勝手だけど。こんなに仲良くなれた人に、諦めてほしくない。それにね」


 紬実さんは川の向こう側、広がる街並みを見つめる。

「この街で大きくなっていく人にはね。幸せな恋をしてほしいんだ、私は」


「……紬実さん、信野市がご出身でした?」

「いや、全然違うとこ。住み始めたのは就職以来だけど、色んな縁があって……この辺の話はまたね」

 重たそうな話だと予感しつつ。また会えることを前提としてくれているのは嬉しかった。


「あたしも地元には愛着あるんですよ。だからこそ、そう思わせてくれた人を裏切りたくはないですし、先方の家族もそういう人たちなんです。だから、事を構えるのは怖くて」

「そうかあ……その旦那さん、義花ちゃんにとっても大事な人なんだ?」

「大事……というか、尊敬してる人です」

「なら、その尊敬も一緒に伝えてみようよ。義花ちゃんならちゃんと言葉にできるんじゃないかな」


 岳志たけしさんに、誠心誠意。

 あたしが仁輔に抱く感情も含めて、丁寧に。


「ちゃんと伝えれば、もし旦那さんを激怒させてしまったとしても、関係修復できますかね」

「保証はできないけど、私はできるって思うな。私も昔、大事な友達と思いっきり対立して、二度と会うもんかってくらい怒ったけど、また友達に戻れたから」


 少しだけ間を置いて、紬実さんは付け足す。

「お互いに生きてさえいれば、仲直りのチャンスは消えないから。本気で仲直りしたくて、言葉と心を尽くせたら、きっと大丈夫だって私は信じてる」


 多分、紬実さんは両方を知っているのだろう。

 生きて仲直りできたこと、すれ違ったまま二度と会えなくなってしまったこと。

 そして、あたしのママは。パパは、咲子さんは。


「……大事な人に対しては優しい人でいたい、嫌な思いをさせたくないって願うの、甘いですかね?」

「それは立派な姿勢だよ、そういう人を私は好きだよ。けど、それで全員が幸せになれるとは限らない……というのが、30年くらい生きてきた私なりの答え」

「自分の幸せのためには優しさを捨てるのも必要、ですか?」

「自分と誰かを幸せにするためには、かな。そういう場面も人生にはあるし、それが大人になるってことじゃないかな……それに、厳しさを背負った先でしか届けられない優しさもあると思う」


 紬実さんもパパと同じく、叶えたいなら嫌われる覚悟を決めろと言っているのだろう。

 渋い顔をしたあたしの背を、紬実さんがさする。


「一番に大切って思える人への優しさを最優先にしちゃって良いんじゃないかな。誰からも嫌われないために愛し合うのも諦めるのは、寂しいじゃん」

「……紬実さんに、そういう時期があったんですか」


「私の大好きな人がね、優しさで自分を押しつぶしちゃうような人だったの。そんな不器用な優しさが好きでたまらなくて、けどそれが彼自身を苦しめていることも分かってた。

 だから他の人にはもっと自由になってほしい、あんなに苦しい思いをしてほしくない」


 紬実さんなりの、切実な結論なのだろう。


「君は――君たちは。正しさとか優しさよりも、自分の幸せを目指したっていいんだよ。それで一緒に幸せになれる人がいるなら、それは優しい未来だって胸を張っていいんだよ」

 

 咲子さんと一緒に、幸せになりたい。

 あたしにかけがえのない幸せをくれた人に、返したい。

 あの優しい笑顔を、これからも守りたい。


 その願いは、他の誰かの怒りを背負うリスクに――釣り合う、値する。


「紬実さん。もしあたしが物凄く怒られたら、慰めてもらえます?」

「いくらでも聞くよ……ちょっと時間は取りにくいけど」

「じゃあ、約束です」


 指切りを交わす、応えてくれた笑顔に思う。多分あたしは、これから何度もこの人に救われる。


「決意が固まってきました。お話できて、本当に良かったです」

「私も嬉しかったよ、気持ちは整理できたかな」

「ええ、良い形に整った気分です……今日の紬実さんは差し詰め、分子シャペロンですね」

 細胞内で他のタンパク質を正しい構造に誘導するタンパク質――が通じて吹き出す紬実さん。重くなっていた空気が、一気に軽くなる。


「……九郷部長の理系ジョーク、義花ちゃんにも受け継がれてたのね」

「分かる紬実さんも同類じゃないですか」

「まあね。いいじゃんシャペロン、語源的にも合ってるし」

「語源……え、知らないです!」

「昔のヨーロッパのどこだったかな……若い女性が社交界デビューするとき、そばでアドバイスしてくれる年上の女性、みたいな」

「へえオシャレ、てっきりゴルジ体みたいな発見者パターンだと思ってました」


 ひとしきり笑ったところで、紬実さんのお子さんの写真を見せてもらう。

「双子でね。こっちがお姉ちゃんの優希ゆうき、こっちが弟の響希ひびき。優しい希望と響く希望です」

「素敵なお名前……ほんとに可愛いですね」

「でしょ? 私もね、自分の中にこんな愛情があるんだって知らなかったよ」


 名前を呼ぶ紬実さんの声も、写真の中で双子を抱いている紬実さんの笑顔も、幸せでいっぱいなようで。

 けど、恐らく紬実さんは、本当に大好きだった人を喪ってしまった人だ。

 バッドエンドの先を生きて、別の幸せを手にした人だ。


「……紬実さん、」

「うん?」

「お子さんがいる日々は、楽しいですか?」

「楽しいよ、覚悟してた以上に大変で目が回りっぱなしだけど。助けてくれる人も周りにたくさん居るから、心配してたほど心細くもないし……昔の夢からは何もかも違っちゃったけど、私は今を幸せだって呼びたい」


 あたしが聞きたかったことまで汲み取って答えてくれた、ならそれを信じよう。


 子供といる幸せは眩しい、憧れる――という感情も、今はまだ消えないけれど。

 あたしが選ぶ道は、もう、そっちじゃない。


「実はあたし、産科のドクターを目指しているんですよ」

「へえ、格好いいじゃん」

「意識しはじめたばかりで大学受験もこれから、現場に立てるのは十年とかそれくらい先なんですけど」


 心に刻め、自分が目指す道を。

 自分を育ててくれた街に、そうやって返していくんだ。


「紬実さんと双子ちゃんが、ちゃんと出会えたみたいに。この街でお母さんになろうって決めた人が、元気な子供と無事に出会う、その支えになれたらと思います……親になろうって望んで大丈夫なんだって、言える大人になりたいです」

「……そっか、すごく嬉しいな、義花ちゃんがそう思ってくれるの」

「まだ大学に受かってない身で言うのもなんですが」

「うちの子だって、まだハイハイもこれからだから」

「先は長そうですね、お互い」

「ね、一緒に頑張ろうね」


 紬実さんと連絡先を交換して、また家にお邪魔させてもらう約束もして。


 帰宅してから、あたしにとっての咲子さんについて考え抜く。

 それからパパと遅くまで話しこみ、決意を固める。


 まずは咲子さんの気持ちを、ちゃんと確かめにいこう。

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