4-10 箕輪結華梨について・前編

 箕輪みのわ結華梨ゆかりは幼い頃から、自分が「可愛い側」であることを理解している側だった。

 結華梨が近くにいると男子はみんな嬉しそうで。女子からは憧れと嫉妬の両面を向けられて。


 それが原因で嫌われることもあると分かった後でも、結華梨にとっては誇らしい武器だった。周りの人の感情は自分を中心に動く、その実感は快かった。


 何より、可愛いは人を勇気づける。元気にする。

 他でもない結華梨が、それらに照らされてきたから。


 画面の向こうで歌い踊るアイドル、素敵な恋を描き出す女優。

 いつか自分もあんな風になりたいと思わせてくれた、綺麗で格好いいお姉さんたち。

 あらゆる女子がなれはしなくても、自分は「なれる側」だという直感が働いていた。


 けど、そうした感情を前面に出すと人を傷つけることも分かっていた。

 結華梨だって別の顔で生まれてくる可能性だってあったのだ、だから容姿でいじめられる人のことはひどく気の毒だった。好きの理由にはなっても嫌いの理由になってほしくはなかった。


 それでも、やっぱり、愛されるのは心地良かった。

 恋愛から離れ自立した女性が賞賛されるような空気を感じながらも、キラキラした恋こそが人生の宝だと信じていた。



 そうやって人との関わりを糧にしてきた結華梨にとって、小学校卒業のタイミングで襲ってきたコロナ禍は、生き方を根底から揺るがす事態だった。

 自分を輝かせてくれる人たちが周りにいない、それは想像していた以上に重大な欠落だった。好きなドラマを観られる時間だって、出歩かなくていい状況だって、体は楽だったけど全然楽しくなかった。


 登校が再開したところで結華梨はすぐに彼氏作りに動いた。どんな状況でも一番に自分を見てくれる存在が欲しかった。小学校の頃はどの男子とも仲良くしたかったから告白されても断っていたが、誰とも仲良くみたいな時期じゃなくなっていることも分かった。


 アプローチしたのは、小学校の頃から仲の良かったクラスメイトだ。スポーツに励む姿は格好いいし、愛嬌のある弟感は可愛い。いじられるところも含めて人気者で、昔から一緒にいるのが楽しかった。コロナで部活もままならず悩んでいるところに寄り添ってあげれば、すぐに結華梨は告白された。


 気にしなくちゃいけないことは多かったけど、彼といると満たされた。学校のイベントが潰れたって、彼のそばにいれば日々は特別だった。彼の世界の中心にいられる、他の誰より可愛く輝けている、その実感が生活の中心だった。

 

 それだけ彼に依存していたから、誘われて焦らすことはあっても断らないようにしていた。どうしても体調がついていかないときも、フォローにはすごく気を遣った。

 親がいないから家に来ないかと誘われたときも、そういうことだと覚悟して応じた。初体験こそグダグダになってしまったが、体の付き合いにも慣れてきた。避妊に失敗するのは不安だったけど、彼の心を繋ぎ止めたいという意識が勝った。それにやっぱり気持ち良かったし、鍛えた逞しい体に触れられるのは好きだった。


 秋頃。彼がコロナに感染してしまったときは、人生で初めてと言っていいくらいに心配でたまらなかった。一方で、彼と通話するたびに自分が頼られているのが分かって、誇らしかった。


 辛い日々を乗り越えた彼に、結華梨ができることは全部してあげたかった。だから、急に目隠しプレイをしてほしいと頼んできたときも断らなかった。見えないのは怖そうだったけど、そのぶん興味もそそられた。もし挿れるときは絶対にゴムを付けることだけは念押しして、仮眠用のアイマスクをつけた。


 最初はいつもと違うドキドキを味わえて楽しかった。しかし、彼が結華梨の両手をタオルで縛ったあたりから、不安の方が大きくなってきた。見えないなりに、彼の様子がいつもと違うのが分かった。

 けど、彼の意図も分かってきた。声や息づかいも可愛いといつも褒められてきたから、怖がっているリアクションを引き出したいのだろうと。今回で終わりにしたかったから、満足させるために甘ったるい演技に励んだ。演技で彼氏を煽る、それだって楽しかったから。

 終わった後は妙に優しくて、たまにSっぽいことをしたかっただけなのだろうと納得した。


 その間、彼が結華梨の裸体を撮影していたことなど、思いもしなかった。



 数日後から、学校での自分に対する視線がおかしいと気づきだす。そのうち、友人の女子に「結華梨の裸の動画が男子の間で出回っているらしい」と言われた。彼を問い詰めると白状した。

 以前、彼がコロナに感染した際、同じ部の生徒も複数人が感染していた。このことから、彼は部にコロナを持ち込んだ犯人としていじめられていたらしい。そのいじめから解放される条件として、結華梨の裸を撮影してこいと先輩に命じられたらしい。


 だから自分だって被害者なんだ、部員にしか出回らないはずなのに広まってしまったんだ――という彼の言い訳は、嘘ではなかったのかもしれない。けど結華梨が許せるはずなかった。


 こんなに悔しいのも、憎いのも、生まれて初めてだった。

 しまいに彼が「結華梨がそんなに可愛いから狙われるんだよ」などと言い出したときは、本気で殺してやろうと思った。近くに刃物があったら、結華梨は少年院に入っていたかもしれない。


 大して効いてなさそうなビンタ一発と、思いつく限りの罵詈雑言、それで初めての彼氏との縁は切れた。家族や教師に知られるのがあまりにも恥ずかしくて、誰にも言えなかった。

 ただ、学校での自分を取り巻く空気は明確に変わった。口には出さないまでも、動画の件を大勢が知っているのは肌で分かった。


 せめて、抵抗している結華梨が強引にという様子だったら、もっと同情されただろう。ただ、動画を見ていないなりに、自分がノリノリに見えただろうことは推測できた。彼氏に半裸をいじられて喜んでいる変態なら、他人に見られても仕方ない――そう思う人間もいるだろう。


 程なくして学年が上がり、クラス替えになったことがせめてもの救いだった。

 九郷くごう義花よしかと出会ったのも、その頃だった。


 授業のグループワークで一緒になったのが最初のきっかけだった。クラスの違う去年から義花のことは知っていた、頭の良すぎる変人として有名で、サイコパス女と呼ばれているのが耳に入っていたのだ。話し込むと論破してくるから近づかない方がいいとか言われていたし、小学校のときに自由研究に突っ込まれて泣かされたという子も近くにいたのだ。


 同じクラスにいた津嶋くんと付き合っているらしい、とも結華梨は聞いていた。感じが悪くてブサイクなのに彼氏がいる――という理由で、女子の間では相当に嫌われていたのを結華梨は感じていた。かなり酷い陰口も聞いたが、義花がそれを気にした様子もない。


 実際に結華梨が話してみて。確かに変わった子だけど、そんな悪い子でもないよな――という印象と同時に。

 彼女は例の動画の件を全く知らないだろう、という直感が働いた。しばらく話すうちに、それは確信に変わっていく。


 義花の人間関係は極めて狭く、女子のネットワークからも外れていたのだ。動画の件だけじゃなく、去年は結華梨のことすら認知していなかったらしい。ただ結華梨のことは気に入ってくれたようで、話しかけると楽しげに応えてくれた。


 理屈重視で、ノリやムードを合わせるのが苦手。口先の嘘が嫌いだから、共感を求められすぎるとイライラする。興味や関心の有無が極端で、その外側にいる人物にどう見られようと全く気にしない。

 そうした癖に慣れれば、義花は付き合いやすい相手だった。言葉の裏を読まなくていいぶん、気楽なこともある。勉強の教え方も上手いので、頼りにもなる。


 何より。何の牽制も下心もなく、結華梨のことを素直に「可愛い」と言ってくれるのが嬉しかった。自分より結華梨が誰かの目を引いたところで、義花は何も気にしない。仁輔という彼氏がいるから、他の男子からの評価なんてどうでもいいのだろう――という結華梨の推測は色々間違っていたけれど。


 男と付き合ったところであんな理不尽に遭うなら、当面は彼氏なんて要らない。

 素直に可愛いと褒めてくれる友人がいて、一緒にダンスに励める仲間がいて、それだけでいい――周りを同性で固めながら。


 義花と仁輔の仲を眺めて。いつか自分も、あんなに自然体で付き合える恋人が出来ますようにと、こっそり願う日々だった。


 それなのに、結華梨は仁輔を好きになってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る