3-7 Birthdayの真実

 夏休みも終わった8月末の土曜日、あたしとパパは車で隣の市の老人ホームに向かっていた。


「また今年も、この歳じゃおめでたくなんかないんだけどって言われるのかねえ」

 あたしのぼやきに、パパはきっちり釘を刺してくる。

「もう分かってるだろうけど、頼むから豊子とよこさんに皮肉で返すんじゃないぞ」

「うん、気をつける」


 森戸もりと豊子さん、ママのお母さん。あたしの祖父母のうちで存命しているのは彼女だけなのだが、あまり親しみは感じていない。パパからしたら相当に気まずい相手だろう。

 ママが早くに亡くなってしまったことから、母方の親族との交流は父方のそれに比べて非常に少ないのだ。あたしが「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶのは決まって父方の二人、そういう間合いだ。


 とはいえ、定期的に会う義理はあると大人たちは考えているらしく、その機会の一つがあちらの誕生日だった。今回も豊子さんの誕生日祝いの名目で、プレゼントを持ってパパと馳せ参じている。コロナの頃はこういう儀式も封印されて楽だったな、とか言うとパパは真面目に叱ってくるので自制。

 

 パパと話しておきたいことは別にあった。


「ねえパパ」

「うん?」

「ママはさ、結婚決めるときに迷ったりしなかったの?」

「……仁とのことで悩んでるのか?」

「それもあるけど、今はママの話を聞かせて」


 相手が隠した意図を読んで言ってしまう、そういうあたしの癖はパパ譲りかもしれない。


「そうだな……実穂みほは実家がお金で苦労したこともあって、僕と付き合ってからは早めに結婚したいって言ってた。若いうちに子育てしたい、ともね」

 ママの父親は林業従事者で、ママが中学に上がる頃に仕事中の事故で亡くなっている。

「へえ……ママは理系男子が好きだったからパパに惹かれたんだっけ?」

「それも間違っちゃないだろうけど、直接のきっかけは……職場のトラブルへの対応、みたいなのだ」


 随分と婉曲な言い方。

「それ、どっちが困ってたの?」

「会社じゅう迷惑してたけど、実穂が一番辛かっただろうな……悪いけど、この話はあんまりしたくない」

「了解。ともかく、その解決にパパが頑張ってるのを見て惹かれたってことよね」

「ざっくり言えばな。けど、その頃の僕は……いやそれまでもずっとモテとは無縁だったから、告白されたときは騙されてるかと思ったよ」


 それは咲子さんからも聞いたことがある。優秀で穏やかだが野暮ったすぎるし雰囲気が変、いい先輩であっても結婚相手ではない――というのが当時の女子社員からの評判だったらしい。ママからのアプローチは相当に衝撃だったという。


「で、そのときはパパもママのこと好きだったのよね」

「そりゃあの頃の実穂は可愛かったさ。けど好みの子である以上に悩みを抱えた後輩だったから、先輩が弱みにつけ込んで恋愛に発展させたらマズいって自制ばかりしてたよ。プライベートでも支えてやるのが甲斐性だって周りに言われたりもしたけどさ」

「けど、ママの純情を前に陥落」

「だね……あんなに僕を必要としてくれる人は初めてだったんだよ」

「そっか。大変だったみたいだしね、昔のパパ」


 そろそろパパが辛そうだったので、この話題は切り上げることにする。

 パパは子供の頃は人間関係で苦労していたらしい……ということは、なんとなく岳志さんから聞いている。勉強だけはできるが口下手で小柄、いじめの格好の的である。そして多分、そういう男子に対する風当たりは昔の方がきつい。


 ただ、今のパパからは弱気さはほとんど感じない。

 穏やかだが間違いはきっちり正すし、子供が危険なことをしていたら怒鳴りもする。誰が相手でも食い下がる粘り強さなら工場イチ、なんて咲子さんも褒めていたりもした。

 ……けどやっぱり、思春期以降のあたしにはどこかで遠慮してるよなあ。


 なんて考えているうちに、あたしはしばらく助手席で居眠りしていた。



 老人ホームに到着。お互いに念入りに身だしなみをチェックしてから、職員に案内されて豊子さんの部屋へ。

 ノックの返事を聞いてから、あたしは笑顔を意識して入室する。


「こんにちはおばあちゃん、久しぶりです」

「よく来たねえ義花ちゃん……ああ、また大人の女らしくなって」


 豊子さんの前では父方の祖父母の気配を出さない、歳相応に素直そうに。あたしなりに学んだ対応法だ。


「お久しぶりです、お義母さん。お元気そうで良かった」

康信やすのぶくんもお元気? なら良かった……そうそう、部長さんになられたんだって?」


 パパの昇進は三年前だけどなあ……という内心の突っ込みはおくびにも出さない。少しずつだが認知症は進んでいるらしい、何を忘れられていても驚かない心構えを作っておく。父方の祖母相手で学んだ向き合い方だ。


 豊子さんにプレゼントの花束を見せると、しきりに遠慮を口にしつつも喜んだようだった。豊子さんと向き合いたくなかったので、花瓶に生ける役目はあたしが引き受ける。植物を眺めるのは昔から好きだし生物を勉強していると解像度が上がって良い。


 8月の誕生花、紫色のトルコキキョウがあしらわれているのが良いセンスだ。トルコも関係ないしキキョウ科でもないトルコキキョウ……なんでこの名前になったか、どっかで読んだのだが忘れた。昔はこういうの絶対忘れなかったんだけどな。

 ちなみにママも植物は好きだったと咲子さんから聞いている、一方のパパは植物より動物派である。「花は見分けつかない」「花言葉は一つの花に対して多すぎて覚えにくい」などと、趣を解さない発言ばかりだ。


 それからあたしが学校やミラステの話をして、そろそろお暇の頃合いではというタイミングだった。


「康信くん、悪いんだけど、少し義花ちゃんと二人でお喋りさせてくれない? 女と女の大事な話」

 豊子さんに訊かれ、あたしとパパは顔を見合わせる。ぶっちゃけ、パパがいてくれた方が気は楽だが。

「……ええ、構いませんよ。義花、終わったら呼んでくれ」

 断る理由を思いつかなかったのか、パパは同意する。まあ、するしかないだろう。


 パパが別れの挨拶をしてから部屋を出て行き、あたしは豊子さんの正面で向き合う。女と女の話、結婚やら出産やらの話だろうか……という予想は、少しだけしか当たっていなかった。


「義花ちゃん。実穂がどうして亡くなったか、康信くんからどう聞いてるかしら?」


 知ってるか、ではなく。どう聞いてるか、という問い。

 ……パパたちが何か誤魔化していたのだろう、背筋が寒くなる。あたしの認識が揺らぐ覚悟を固めつつ、答える。


「雨に濡れた道路での自転車事故……と聞いています」

「そう。やっぱり、まだ教えていなかったのね」


 豊子さんの目の奥、静かな怒りが覗いた気がした。


「……ママが亡くなった理由、本当は違うんですか?」

「ええ。そろそろあなたも知らなきゃいけない歳だと思って」


 その表情から、最悪の可能性が浮かぶ。

 はたして豊子さんが告げた事実は、その最悪を射貫いていた。


「あなたのお母さんはね。あなたを産んだそのとき、血を流しすぎて亡くなったのよ」

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