1-6 別れへ向かう恋路の始まり

 前回までのあらすじ。

 幼馴染に告白された。


「えっと……恋人、ですか」

「そう」

 あたしを見つめたり目を伏せたり、仁輔じんすけは視線が迷子である。


「それは、その……あたしもね。いつか仁と、結婚するのではみたいな、そういう認識はあったんですよ」

 結婚というワードに反応してか、仁輔の頬が紅くなる――ウブすぎないかあんた。


「だから仁と付き合う、恋人として、も嫌とかではないんだけどさ」

「何か不満か、今の俺だと」

「そうじゃなくてさ。兄弟みたいなものだから、今さら異性として意識しにくいと言いますか」

「やっぱりそんな感じだよな、義花よしか

「あんたもそうじゃなかったの」

「……結構意識してたつもりだぞ。あんまり体くっつかないようにとか」

「ああ……それはあたしとパパもそんなだし、いやパパと並べるのも違うか」


 意識を整理していく……いやでも、ここで話すべきは仁輔の気持ちじゃないのか。


「仁は、なんで今あたしに?」

「恋人になって結婚したいってのはずっと前から思ってて……真剣に考えたのは高校入ったあたりからさ。進路とか将来のこと考えなきゃとは思ってたし、そうなると義花とのことも決めなきゃって」

「それはあたしもそう」

「だろ。後はさっき、義花と飯の話してて……やっぱり、義花と一緒に生きてる時間がずっと続いてほしいと思ったし。義花が他の男とこんな距離になるの嫌だし。何か手遅れになる前に、ちゃんと言わなきゃって」


「手遅れって、あたしが他の男と付き合うみたいな?」

「ありうるだろ」

「無いと思うけどなあ、このブスに」


 なんとなく反射で言ってしまったら、仁輔はハッキリ傷ついた顔をしていた。

「自分のことブスって言うのやめてくれ、俺が嫌だ」

「ああ、ごめん」

「それに……義花は、可愛い、んだから」


 吹き出してしまった。こいつに可愛いとか言われるの、保育園ぶりとかだぞ。

「げっほ……待った、あんたあたしのこと可愛いって思ってたの」

「……思ってた」

「いやあ、うん、なるほど、まあ最近は多少は垢抜けてきたし」

「お前が可愛くなかった時期とかないぞ、俺にとっては」

「さらっとパンチラインを打ってくるんじゃない……ああもう!」


 戸惑っているのに、困っているのに、口角が上がるのを止められない。

 じっとしていられなくて立ち上がって、部屋をぐるぐるする。


「……ちなみに仁、あたしが返事待ってほしいって言ったら」

「それは待つよ、義花だって考える時間いるだろうし」


 やっぱり恋愛が下手だな仁輔……考える時間を与えない「ここで決めて」の方が成功しやすいって、恋愛指南とかマーケティングの話でよく聞くはずなんだが。そもそもシチュエーション考えろよ、ニンニクたっぷり唐揚げを食べた後にする話か……いや作ったのあたしだけど!


 改めて、自分が何を気にしているか考えてみる。

 

 将来の選択が狭まるかもしれない――それは想定してきたし、納得している。

 他の男性との可能性――は、元から期待していない。

 自由な独身生活――まあ多少は憧れるけど、寂しさの方が勝るのは分かる。

 

 津嶋つしま家が本当の意味で家族になる、これは大歓迎。

 仁輔の恋人として周囲に認知される……認知されるのは嫌じゃないが、あんまり恋人っぽいムードは出したくないな。


 仁輔との精神的な距離、これは元から近い。

 仁輔との肉体的な距離……うん、これだな。


「あのね、仁」

「なに」

「あんたとキスしたりエッチするのがさ、どうもイメージできないんですよ」

「……うん」

「けど、仁のカラダが嫌とかじゃないはずだから……そこはあたしのペースに合わせてほしい」

「待つよ……彼女に合わせるのは当たり前だろ」

「よかった。ねえ、立って」


 立ち上がった仁輔に近づく。いつもの自然な距離よりもう一歩、そして。


「……仁、」

 彼に体をくっつけて、背中に腕を回す。ハグなんて本当に久しぶりだから、体の感覚がずいぶん違った。ここまで分厚い、堅い体になってたんだ。

 胸元に預けられたあたしの頭に、仁輔の手が載る。思い直すように離れかけた手を、「いいよ」と引き留める。


 頭や背中を撫でられても嫌じゃない、どこか安心する。やっぱり、あたしにとって仁輔は男性の中での例外だ。

 エアコンの効いた部屋なのに、仁輔の首筋には汗が伝っている。左胸の奥が暴れているのが、あたしの右耳に聞こえる。


「仁、今どんな気持ち?」

「……振られたら怖い。けどそれ以上に、義花を抱きしめられてるのが嬉しい。だから、すごく幸せ」

「これからも。あたしがそばにいること、幸せだって思ってくれるかな」

「思うよ、一生。だから……義花にもそう思ってくれるように頑張る。一緒にいられて幸せだって、思ってくれる俺になる」


 仁輔のこの言い方は本気だろう。彼なりに決意を固めてきたことは、よく分かった。


「俺、柔道の試合のときさ。義花が見てるから、義花が応援してくれてるから、そう思ったときが一番頑張れるんだよ」

「あたし? 咲子さんじゃなくて?」

「お前……ほんとにウチの母さんのこと好きだよな」

「うん、大好き」

「母さんも嬉しいし、部活仲間のも大事だけど……やっぱり義花が特別なんだよ」

 不器用な口調で、言い慣れてない言葉を、仁輔は真剣に届けてくれる。    

「だから、これからも。義花にそばにいてほしい。それだけで、俺が頑張る理由になるから」


 きっと、仁輔は。

 他の誰より強固に、あたしが生きる理由になってくれる。

 あたしが何に挫折して、どれだけ正義に迷っても、あたしが生きる意味を与えてくれる。


 それに。

 あたしたちが付き合ったら、パパも咲子さんも――きっと天国のママも、喜んでくれるだろう。二つの家族にとって、一番いい形だ。


 あたしを抱きしめる温度の優しさを味わいながら、あたしは結論を出す。


「仁、」                                     「ああ」

「付き合おっか、あたしたち」


 答えながら顔を上げて、仁輔と見つめ合う。


「……いいのか?」

「うん。よろしく、お願いします」


 あたしの返事に、仁輔は目を閉じて、それから。


「――え?」


 仁輔の両目から涙があふれ出していた。


「ちょっと仁さん!?」

「ごめん……ずっと怖かったから、安心して」


 仁輔を座らせて、彼の頭を抱き寄せる。

「ほら、安心しなって。他の男に靡いたりなんかしないから」


 仁輔が泣くのを見るなんて本当に久しぶりだけど、昔の彼は結構泣いていた。だからこうやって慰めるのも、なんだか懐かしい。


「もう……そんなあたしのこと好きだったの?」

「言っただろ、大好きだって」


 腕の中で響く言葉は、どこまでも素直だった。

 愛されている実感は、思っていたよりずっと心地良い。



 仁輔と相談して、親たちにはすぐに知らせることにした。


 まず、帰ってきた咲子さんに。


「ねえ咲子さん、」

「うん?」

「あたしと仁、お付き合いすることになりました」

「……マジ!?」

「マジです」

「わあ~~!!」


 咲子さんは歓声を上げながら、あたしと仁輔を一緒に抱きしめる。この構図も久しぶりである、仁輔がデカすぎてやりにくそうではあったが。


「そうか、やっとかあ……おめでとう二人とも~! 私もほっとしたよ~!」

「って咲子さん泣かないでって!」

「だって嬉しいんだもん~やっと言えたのね仁」

「余計なこと言うなって母さん!」


 多分、咲子さんが一番はしゃいでいた。あたしだって、咲子さんが喜んでくれたのが一番嬉しい気がした。


「えへへ……これからもずっとよろしくね、咲子さん」

「うん、うん! ずっと、ずっとね」


 幸せいっぱいな咲子さんの笑顔が、これが正解だと教えてくれていた。


 そして二人で、パパに報告した。

「おお……やっとか。ほら、仁」

 パパは仁輔の背をバシンと叩く。


「頼んだぞ」

「はい、任せてください……ずっと話聞いてくれてありがとう、康さん」


 どうやら仁輔はかなり前から、あたしへの気持ちをパパに相談していたらしい。普通は親子で逆な気がするが、男同士だからこそ話せるモノもあるのだろう。


 遠方の駐屯地にいる岳志さんにはメッセージを送っておいた。

「ありがとう、仁を頼んだ」というシンプルな文面が返ってきた、また直接会ったときにゆっくり話そう。



 ともかく。親との仲もいいまま、あたしと仁輔は順調に恋人の道を歩み、やがて夫婦として結ばれ……


 とは、ならなかった。

 そんなハッピーエンドにはならなかった。


 だから話はここからで、本題はここから始まる。


 このうえなく心が安らぐ男性に背を向ける、その決断へと向かっていく。

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