その後の寵姫と国王




「おめでとう思春期夫婦」


 扉を開けた瞬間そう声を掛けられ、リサは思わずその場に膝から崩れ落ちそうになった。







 無事、というかなんというかでディーデリックと五年越しに本当の夫婦になってから五日後。リサは「暇になったら顔を見せに来い」という簡潔すぎる国王からの呼び出しを受け彼の私室を訪れた。その際に言われたのが今の言葉だ。それだけで察する事ができる。つまりは――筒抜けであると。

 本来の血筋が雑草とはいえ、貴族として育てられてきたのだから、その矜恃でどうにか膝から崩れ落ちるのだけは耐えたリサであるが、そこから先はどうにも無理だった。


「一番悪いのはディーデリックだ。あいつが初恋を拗らせまくって五年も無駄に過ごすはめになったんだからな。でもな……でも、だ」


 ステンが人払いをした為に室内には彼の他にはリサしかいない。すでに寵姫としての身分は終えており、今は新たな身分である「王妃ティーアの語学教師」としてステンの向かい側のソファに腰をおろし、目の前のティーカップに手を伸ばす。一口含むだけで芳醇な香りが広がるが、正直味を楽しむ余裕はリサには無い。


「ぶっちゃけるとお前以外の人間はほぼほぼ気付いていたからな?」


 ステンは子どもの頃市井で過ごしていた。よくある王家の権力抗争。それに巻き込まれないようにと、十歳になるまで自分が王家の血を引いている事など知らず、老いた騎士夫婦の孫として育てられていた。


 それ以上の詳しい話をリサは知らない。もとい、知りたくも無い。だって考えるまでもなくそこには血みどろの何かしらがあるわけで。余計な事を知ってしまったが最後、ロクな事にはならないだろう。だから世間一般に広まっている事情しか知らないので、ステンが時折、真に親しい者に対してだけこうやって口調が砕ける、のも特に驚く事なく受け止めている。

 そう、口調は今さら驚くものではない。むしろ畏まった口調はリサ自身も苦手であるので、こうやって気さくと言うかそれこそぶっちゃけガラが悪く話される方がどちらかというと有り難い。問題は、今口にしているその中身だ。


「周りの人間は嫌でも気付いたのに、当の本人が気付かないにも程がありすぎるだろう」


 ぐぬぬ、とリサはティーカップを両手で握り締めて耐える。唇を噛み締め、眉間に皺まで寄り、およそ貴族のご夫人にあるまじき顔付き。そんなリサにステンは「は」と軽く鼻で笑う。


「夫婦は似てくると言うが、まさにその顔はディーにそっくりだな」


 仲睦まじいことで、とさらに追い撃ちがかかった所でリサに限界がきた。そっとティーカップを下ろし、空いた両手で今度は顔を覆ってソファに深く背中を預ける。ぐったり、とした姿で背もたれに頭を乗せ、そして「あああああ」となんとも気の抜けた声を上げた。


「人の事を散々思春期とからかってくれたが、実際はディーとリサの方だろう、それは」

「……誠に遺憾であります」


 なんだそれ、とようやくステンは素の笑みを見せた。狼狽えるリサの姿にひとまず溜飲が下がったというところか。


「ほんっっとうに、何度だって言わせてもらうが」

「できれば先程ので終わらせていただきたく」

「初恋を拗らせ過ぎたディーもディーだが、普段は聡いくせにディーからの想いだけは頑なに気付かないようにしていたリサもリサだ!! そのくせに人の事を好き勝手思春期思春期とよくも言ってくれたものだな!」


 常に悠然とした態度を示している国王が珍しく声を荒げている。これはたいそうお冠だ。ひとまずその怒りが治まるまで、もしくはせめてどの程度の怒りなのか判断できるまで大人しく「はいはい」と頷いていればいいものの、ひたすら狼狽えまくっている状態のリサであるからして、よりにもよっての選択肢をとってしまう。


 つまりは、余計な一言をついポロリと。


「陛下が思春期なのは別の話では?」


 ほほう、とステンの笑みに凄みが増す。口元は笑っているのに目は、というヤツだ。


「ティーアと結婚してからの五年間、寝室での会話はずっとお前達夫婦の事だったんだが、それでも別の話と言うのか?」


 聞きたくない、これは聞いてしまったら最後、羞恥心で死んでしまうのが確実だとリサは顔を覆っていた手を動かし今度は両耳を塞ぐ。もちろんそれで黙ってくれるはずもなく、ステンは容赦なく話を続ける。


「初めの頃はまだ良かったさ。もっと二人は仲良くしたらいいのにとか、そんな可愛らしい話だったからな……それがどうだ、年月が経つにつれてディーの恋心に気付き、お前の鈍さにやきもきし、一進一退どころか零進二退じゃないかと突っ込みたくなる程の進まなさ! おかげでコッチは毎晩ベッドの上でお前とディーの仲をどうやって取り持つかとその話ばかりだ!!」


 間にテーブルがあれど、ただそれだけの距離だ。いくら耳を塞いだ所でステンの声はリサの鼓膜を揺らし、そして気力をゴリッゴリに削っていく。


「この一年はもうずっとあれだからな、『今日のお姉様とディー』と言ってお前ら二人の仲の進捗状況を報告され、それに満足したティーアが眠るのをひたすら見守っていた」


 ぐおおおおお、と地の底から沸き起こる様な低い声がリサの口の端から漏れている。ステンはそれを華麗に流し、手元にあるティーカップに口を付ける。王妃が特に好んで飲んでいる茶葉で、今ではすっかりステンもその味を楽しむ様になった。

 茶を飲み、気を落ち着かせたステンは改めてリサに言葉を向ける。


「……この状態でティーアに手を出せるわけがないだろう」


 ひあああああ、とか細い悲鳴が床に落ちるのに合わせてリサの身体も横に倒れた。国王どころか、人前でソファに倒れるなど礼を欠くにも程があるが、最早リサの精神力は零に等しい。とてもではないが体勢を保ってなどいられない。


「たしかに成長したティーアに対して、これまでのある意味保護者としての立場だとかその感情だとかをどうしたらいいのかで、ヘタレと罵られても仕方のない対応をしていたが……そこにトドメの毎晩の夫婦会議がきてみろ! なあ! こら! そんな俺に対して何か言う事は!?」

「――お詫びのしようも無く……」

「もう一声」

「……ごめんなさい」


 よし、とステンの満足気に頷いた。


「もういい。これでお前からの詫びは受け取った。起きろ思春期の奥方」

「いや良くないですよね!? ちっとも受け取ってなくないです!?」


 ガバリと跳ね起きると同時にリサは言い返すが、ステンは何処吹く風で一枚の書面をリサの前に差し出す。


「……なんですかこれ?」

「本来の用件がこれだ」


 見ても? と視線で問えばステンが頷く。ずっとテーブルの片隅に置かれていた物だ。調印式に使われる様な仰々しさがあるが、自分が見ても構わないのであれば機密事項、などいった恐ろしい中身ではないだろう。などと気軽に目を通せば、それは予想に反して、ある意味恐ろしい物だった。


 え、と短くリサは言葉を漏らし、ややあってステンを見る。その両目は驚愕で大きく開かれており、口は言葉を紡ごうと必死に動くが驚きが先走りすぎて何も出てこない。


 中身は目録だった。土地から屋敷に始まり、そこに付随する使用人、家具、調度品、そして金や銀、宝石の数々……そして現金。それらの総額はリサが寵姫として雇われた分で得た莫大な報酬と同額、いや、それよりもさらに多い。

 これだけでも目を剥くと言うのに、書面の最後に綴られた「本当の意味での結婚を祝福する」という言葉と――クスティ・ファン・デル・イーデン、という署名。それがリサの意識を一瞬、だが確実に奪った。

 イーデンの名を持つ一族など一つしか無く、それはもちろん隣国であるイーデンの王家であり、つまりはティーアの兄であり、現国王という事に他ならない。


「なんで!?」


 どうしてイーデン国王からこんなにも恐ろしい額の祝い金が贈られるのかが分からない。簡潔極まりないリサの問いに、これまた簡潔極まりないステンの答えが返る。


「書いてある通りだろう」


 書いてある通り、とはつまりは結婚のご祝儀という言う事か。しかしその前にある「本当の意味での」という言葉にリサの背中にドッと汗が流れる。


「これは……ですから……ええと……あの……?」

「ティーアが何枚にも渡って手紙を書いていたからなあ」

「王妃さまーっ!!」

「言っておくがティーアはめでたく片付いた、というのを知らせただけで、お前達が思春期を拗らせていたのは元から知られていたからな」


 まさかの隣国にまで筒抜けであった自分達の恥ずかしすぎる関係に、リサはもう一度ソファに倒れ込む。羞恥でどうにかなりそうだ。


「これはクスティと俺からのお前達夫婦への祝いだ。遠慮なく受け取れ」


 ステンの言葉は素っ気ないが、その顔にはようやく気持ちを通じあわせたリサとディーデリックに対する祝福に満ちている。

 しかし残念ながら、羞恥に身悶えしているリサはそれに気付く事ができなかった。

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