43話 最後の『おーはよー』
それから、そこでどれほどの時間待ち続けただろう。
僕はカフェテラスの椅子に腰かけ、スマートフォンも見ずにステージの上を眺めていた。
何時間も何時間も。
そして、日も傾き、夜も更けた頃。
「おーはよー」
場違いな挨拶とともに、後ろ頭にコツンと優しい硬さを感じた。
振り向くと、やっぱり今日も多喜さんが立っていた。
ふわふわのくせ毛、ふわふわのワンピース、猫を思わせる大きな目、宇宙を切り取ったような真っ黒な瞳。
残像じゃなく現実に立つ多喜さんは、どんな思い出よりも美しく見えた。
「来てくれると思ってましたよ」
「………うん、来たよ」
「今夜もまた鐘突き堂に上るんですか?」
「うん、上るよ」
「まだ予言を受け取るんですか?」
「………ごめんね、わたししつこい女なんだよ」
そう言って多喜さんは笑った。
こんな時ですら多喜さんが笑ってくれるのが堪らなく嬉しくて、涙が出そうになった。このまま笑い合っていたかった。
このまま二人でずっと。
でも、僕は言わなければならない。
「多喜さん、予言を見せてくれませんか?」
「え?」
残像を終わらせなければならない。
「いや、でも、これは……」
左手に持ったノートにチラリと目を落とす多喜さん。
「いえ、それじゃなくて。その前のやつです」
「その前のやつ……は、燃えちゃったけど」
「それでもなく。そのもう一つ前のやつです」
「……え?」
瞬間、多喜さんの目が見開かれた。
ただでさえ大きな瞳が零れ落ちそうなほど大きく。
「な、何言ってるの、
いいえ、あるはずです。
多喜さん、自分で言ってたじゃないですか。だから、あるはずです。初めて降りてきた予言を書き留めた、芝居の台本が。
「む、無理だよ! それはだめ! 見せられないよ。もうないもん。捨てちゃったもん。だから、無理だよ!」
いいえ、あるはずです。
これも自分で言ってたましたよね。台本は全部綺麗に取っておくって。
「とにかくないの! やらしいよ、海堂くん。そもそも乙女の私物を見たがるなんて変態極まりないよ! もう行くから。怒ったから、わたし!」
唐突に怒り出した多喜さんが、髪の毛を振り乱して踵を返す。
「多喜さん………」
その背中に静かに呼びかけると、
「もう行くから!」
今度は本当に怒ったように多喜さんは駆け出した。
と、同時にまた地面が震えた。
また余震だ。
何度経験しても全く慣れない。
大地という安定の象徴が脅かされるこの感覚。生き物としての根源的な恐怖。
堪えきれずしゃがみこんで固く目を閉じた。
そのままどれくらい蹲っていたのだろう。
気が付くと、揺れは別種の物に切り変わっていた。肩を掴まれて直接揺さぶられている。
「海堂? え、海堂だよね。どうしたの、海堂。大丈夫?」
目を開けると眼鏡をかけた小柄な女の人が心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「
「あんたこそだよ。どうしたの、うずくまって。怪我? さっきの余震?」
「いや、怪我とかじゃないです。ただびっくりして……」
「そう。まあ、無事ならいいや。ねえ、多喜見なかった?」
「え、多喜さん……ですか?」
見回すと多喜さんの姿は消えていた。閑散とするカフェテラスには僕と伊鶴先輩がいるだけだ。
「もしかして、ここにいたの? 実は夕方頃なんだけどさ、各部長宛に大学からこんなメールが来たんよ。んで、多喜に見せたら血相を変えて飛び出して行っちゃって。電話もラインも全然応答ないし。まさか鐘突き堂に行ってはいないだろうけど、念のためと思って探しに来たんだけど」
スマートフォンの画面をサッサと擦り、伊鶴先輩は大学から送られたというメールを表示させた。
「……こんなメールが来てたんです」
「多喜のヤツ、出ていく前に定期入れを引っ手繰っていったんだよね。だから大学かなって思ったんだけど、海堂見てない?」
眼鏡の奥から心配そうな視線を送ってくる伊鶴先輩、やっぱりこの人は面倒見がいい。
こんな人だからこそ曲者揃いの演劇部が纏まっているのだろう。
「……はい、見てないです。でも一応、鐘突き堂の方は僕が見てきます」
「そっか、助かるわ。わたしは他当たってみる」
そんな先輩に嘘をつくのは心苦しかったけれど、今はしょうがない。
ごめんなさい、伊鶴先輩。
「手前までいいからね。絶対鐘突き堂まで上っちゃだめだよ。危ないから」
別れる前、伊鶴先輩は強めの言葉で念を押すと、
「海堂……今日、なんか薄いね」
最後によくわからない言葉を残して去って行った。
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