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 未来の自分からの手紙を手に入れてから、早いもので一ヶ月もの時間が経っていた。


 ヘルベルトの生活は、以前と比べると大きく変わった。


 まず第一に、しっかりと学校に通うようになった。


 そんな、何を当たり前のことを……と思うかもしれないが、今までの彼はそんな当たり前のことすら守れていなかった。


 今まではウンルー公爵の嫡子であることを盾にして、定期的にサボっては遊びに耽っていたのだ。


 観劇を特等席から見学したり、酒場を貸し切って踊り子達を呼び寄せたりと……それはもうやりたい放題だった。




 まずは日々の生活態度から変えようと、ヘルベルトは一切の遅刻をすることなく、学校に通うようになった。


 そして授業にも積極的に参加するようになった。


 ただ、一ヶ月生活態度を変えただけで、周囲の目は変わらない。


 ヘルベルトの学校での生活や周囲からの視線は、以前とそれほど変わりはしなかった。


 少し変わったことがあるとすれば……定期的にやり直し係であるマーロンと話をするようになったところだろうか。


 かつては平民とバカにしていたマーロンは、意外と話のわかる奴だった。


 平民だからという理由だけで全てを拒絶していた、過去の自分を叱りつけてやりたいほどだ。


 当たり前だが、マーロンはヘルベルトの以前の悪行を耳にしている。


 現在も一応ヘルベルトの婚約者のままであるネルや、王女イザベラから、貴族社会でのヘルベルトの話を聞かされているはずだ。


 ……だというのに、マーロンはしっかりと、ヘルベルトの相談に乗ってくれる。


 彼は過去のヘルベルトの話を聞いても、現在のヘルベルトを否定しなかった。


 それはヘルベルトにとって、非常に新鮮な反応だったと言っていい。

 

「変わろうとしてるんだろ? それなら手伝うさ、だって俺は……お前のやり直し係だからな」


 王女殿下はマーロンのこういうところを気に入ったのかもしれない。


 ヘルベルトは色んな人間がマーロンと深い関わりを持ちたがる理由を、接することで理解した。


 ヘルベルトとマーロンが割と仲よさげに喫茶店に居るところを見た者達は、最初は通り過ぎ、次に二度見し、最後にギョッとする。


 あのヘルベルトが平民と仲良くしているという噂はまことしやかに囁かれ、喫茶店でそれを目にした者達が自分が見たものを人へ話すことで拡がっていった。


 噂が拡がることでヘルベルトとマーロンというカップリングが生まれてしまい、後にそれを知ったヘルベルトがさすがに呆れるという一幕があるのだが……それはまた別の話だ。



 さて、当たり前だがヘルベルトのやり直しは学校以外にも及んでいる。


 彼が今最もやらなければならないのは、父からの信頼を取り戻すことと、来たるべき時に備えて可能な限り自らを鍛えることだ。


 そのどちらをも達成するため、ヘルベルトは毎日ロデオと朝と放課後の鍛錬を欠かすことなく続けている。


 食事制限を始めた甲斐もあって、以前はオークのように太かったお腹周りが、少しずつ変わり始めている。


 頬についている肉も気持ち落ち、かつては神に愛されたとまで言われた頃のイケメンの面影が少しだけ現れるようになっていた。


 けれどやはり、以前と比べれば身体は重く、魔法発動までのラグも長い。


 だがヘルベルトはかつての、神童と呼ばれた頃の感覚を、取り戻し始めていた――。



「はああっ!」


 剣を上段に構え、吶喊する。

 あまり機敏に動くことのできないヘルベルトではあるが、その自らの重量は武器として利用することができた。


 彼の体重を乗せた振り下ろしは、身軽な者が放つそれよりもはるかに高い威力を持つ。


「狙いが見え見えですな。どうしたいのかを相手に悟らせてはいけません」


 ヘルベルトが適切なタイミングで攻撃を仕掛けられるような姿勢を維持していると、顔の前で構えていた木剣の柄に衝撃が走る。


 それを掴んでいたヘルベルトの手を、ロデオが木剣の先で叩いたのだ。


「悟られては相手に最善手を打たれてしまいます。戦いの基本は虚実、いかに自分の狙いを隠し通せるかが、駆け引きでは重要なわけです」


 ヘルベルトの握力が少し緩んだ隙を見逃さず、ロデオはくるりと自らの剣を一回転させた。


 すると剣はまるで生きた蛇のような軌道を描き――ヘルベルトの手から剣を抜き取ってしまう。


 ヘルベルトは即座に腕をクロスさせながら、自分の得物がどこへ飛んでいってしまったのかを視認しようと首を回す。


 剣をすっぽりと抜き取られ、徒手になったヘルベルトの頭に、腕越しに強い衝撃が走った。


 ロデオの一撃をもろに食らい、ヘルベルトは後方に吹っ飛んでいく。


 グルグルと回る視界の中、ようやく宙に浮かんでいる剣を見つけることに成功した。


 転がりながらも受け身を取り、立ち上がる。


 すぐ隣に、自分の手からすっぽ抜けた剣がドサリと地面に落ちてきた。

 拾い上げ、今度は下段に構える。


「よろしいまた今日も一つ、学びを得ましたな」


 にっこりと笑うロデオを見て、頬をヒクつかせながらも、ヘルベルトは再度果敢に突撃し……そして見事に玉砕した。


 毎日模擬戦を行い実力自体は上がっているが、腕は未だ年少の頃よりもさびついたまま。


 ヘルベルトは今日もまた、ロデオから一本を取ることができずに剣の訓練を終えた。



 ロデオは訓練の最中、決して手を抜いてはくれない。


 というか常に全力なロデオは、手を抜いて戦うということ自体ができない、不器用な男なのだ。


 そのためヘルベルトは、そもそもまともな攻撃練習の一つもできぬまま、一方的にやられてばかりで、まともに一撃を入れることもできていない。


 おかげで回避のための身体の動かし方や、いかに上手く相手の攻撃を受け流すかという守りの姿勢に関するものばかりが、めきめきと上達していた。


 まあ今後時空魔法を使いこなすことを考えれば、攻めより守りを重点的に学ぶのは間違っていない。


 そうプラスに捉え、鍛錬は主に相手にやられぬ方法を身につける時間になり。


 そして純粋な剣の鍛錬が終われば、次は魔法を解禁した総合的な戦闘訓練へと移る。



「よし、次は一撃入れてみせるぞ」

「『まずは一撃入れてから』、一月前の私の言葉ですが……どうやら若は、まだ諦めてはいないようだ」

「当たり前だぞ、ロデオ。今日という今日は……一泡吹かせてやるっ!」

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