2
魔力の固定化の時間が伸び、数分であれば固定し続けることができるようになってきた。
集中が途切れ、弾けるように魔力の球が散る。
休憩を入れようと、ヘルベルトが顔を上げる。
するとそこには、呼び出していたロデオの姿がある。
彼は興味深げな顔で、ヘルベルトのことを見つめていた。
「公爵家筆頭武官、ロデオです。遅参の段、どうかご容赦を」
ロデオの見た目は、謹厳実直な騎士団長といった感じだ。
刈り込んだ金髪に、ヘルベルトが見上げるほどの大きな体躯。
みっちりと詰まった筋肉が白銀の鎧に隠されており、腰にはミスリルの剣を提げている。
元は冒険者だったが、才能を見込まれて現当主であるマキシムにスカウトされ、現在の地位にまで上り詰めている。
「よく来てくれたな。もう少し待っていてくれると助かる」
「はぁ、まぁ構いませんが……それ、何の意味があるんです?」
「ふむ、そうだな……ロデオはこれが、何に見える?」
「魔法を使う前の準備、でしょうか。魔力だけが見えているのは違和感ですが、騎士団にいる下手くそな魔法使いは、たまーにこんな感じになりますし」
どうやらロデオからすると、これは魔力を放出して魔法に変えるプロセスに見えるらしい。
彼の言葉を聞き、ヘルベルトは顔色一つ変えず考え込むような態度を取った。
その様子を見て驚いたのは、ロデオの方である。
鎌をかけるような形で、ヘルベルトの魔法が下手だとも取れる言い方をしたのだが、彼に怒るような様子はない。
今までのヘルベルトなら、間違いなくブチ切れていただろう。
父である公爵に直談判し、ロデオを解雇するよう進言していたかもしれない。
目を見張るロデオには気付かず、ヘルベルトは思索に耽っている。
ヘルベルト自身は、球形の魔力を感じることができている。
自分と同程度に魔法を扱うことができる者なら、感じ取ることができてもおかしくはない。
だがロデオは魔法は使えない。
(いったい彼は、どうやってその存在に気付いたのだろうか?)
これがマーロンにも気付かれるとすれば、奇襲には使えないかもしれない。
なので思いついた疑問を、そのまま口に出した。
「勘、ですな。魔法使いが魔法を使うときの殺気のようなものがあります」
「俺は明日決闘をする。相手は同学年の騎士見習いなのだが、そいつにもわかると思うか?」
「まぁ無理でしょう。私も何度も魔法使いにやられ、痛い目を見て死ぬ気で感知能力を鍛え、ようやくできるようになりましたので」
だとすれば問題はなさそうだ。
しばらく待機してくれとだけ言い、ヘルベルトは再度魔力球の生成に勤しむことにした。
「おいケビン、若はいったいどうされたのだ?」
「だから言ったではないですか、あの頃のヘルベルト様が帰ってきたのだと」
「何をされているかはまったくわからないが……あんな真剣な若を見るのは、もう何年ぶりだろうか」
かつてロデオは、ヘルベルトに剣を教えていたことがある。
今はオークにも負けぬ体躯を持つヘルベルトも、昔はただの小柄な子供だった。
そして当時、ヘルベルトは騎士とまともにやりあえるほどの実力を持っていた。
何度気絶してもたたき起こす、ロデオの教育的指導の賜物だった。
風向きが変わったのは、ヘルベルトが武闘大会の年少の部で優勝してからのことである。
彼は魔法を使い、誰一人として寄せ付けることなく完勝した。
『なぁロデオ、俺には魔法の才能がある。だからもうあんな訓練をする必要はない』
そう言い捨て、ヘルベルトは努力することを止めてしまった。
ロデオはそんな彼に見切りを付け、今は本来の武官としての仕事に精を出している。
将来は自分の娘をヘルベルトの騎士に、そう思っていた時期もあった。
ロデオの娘のティナとヘルベルトは幼なじみであり、昔は仲も良かったのだ。
けれどあんな豚の下で働きたくないと、今の彼女は頑なだった。
年齢こそ一つティナの方が上だが、彼女たちは同じ魔法学院に通っている。
だが二人についての話題は、ロデオの耳にはまったく入ってこない。
(もう一度期待をしても、いいのだろうか)
何度も裏切られてきたが、ロデオとしてはそう思わずにはいられない。
彼から少し離れたところで、ヘルベルトは一人魔力の球を作っている。
身体の横幅ほどもある魔力の塊を見て、疑問がますます湧いてくる。
ヘルベルトは何やら頷き、首を傾げているロデオを呼び寄せた。
「どうしたのです、若」
「見ていてくれ、ディレイ……ファイアアロー」
ヘルベルトは球の中に、初級火魔法であるファイアアローを打ち込んだ。
魔力の中に魔法を入れ、そこに新たな魔法を唱える。
結果としてロデオが見ることになったのは、初めて見る不可思議な現象であった。
彼の目の前で、ファイアアローが止まっている。
(……いや、違う)
よく見ればゆっくりとではあるが、動いている。
ただその動きが、あまりにもゆっくりなのだ。
ファイアアローは魔力の球の中で、毎秒数㎝ずつゆっくりと進んでいる。
射出せずに魔法を滞空させる魔法使いは何人も見てきた。
だが打ち出した魔法がスローになるなど、見たことも聞いたこともない。
攻撃魔法の速度を変えることはできない。
ヘルベルトが放ったファイアアローは、そんな魔法使いの常識に真っ向から喧嘩を売っていた。
「わ、若、これは一体……?」
「初級時空魔法のディレイ、対象の動きを遅くする魔法だ。もっとも、今の俺では自分で用意した場の中で、自分が出した魔法にかけるのが限界だが」
「――じ、時空魔法ですと!?」
ロデオが普段の彼からするとあり得ないくらいに取り乱しているのも無理はない。
この王国、ひいてはこの大陸の人間において時空魔法というのは特別な意味を持つ。
時空魔法がいったいどのような魔法なのかは、逸失してしまっている。
なので人々が知るのは、かつて唯一時空魔法を使っていた偉人の名とその業績だけだ。
時空魔法の使い手であった賢者マリリンを、知らぬ者はいない。
彼が時空魔法を用いて魔王を封印するまでの物語を、世界各国の子供たちは母親から読み聞かせられて育つからだ。
「ちなみにこんなこともできるぞ。アクセラレート」
ゆるゆると進んでいたファイアアローが、突然めまぐるしい速度に変わる。
そして一瞬のうちに魔力球を出て、地面に着弾した。
「同じく初級時空魔法、アクセラレート。さっきとは逆で、場の中にあるものの速度を上げる魔法だ。どっちも正確に言えば、対象の時間経過に干渉しているらしいが……今の俺にはまだそこまで詳しいことはわかっていない」
魔法の射出速度は、どれほど強い人間であっても変わることはない。
だからこそ魔法使いはより高威力なだけでなく、より速度が出るような魔法を覚えようとするのだ。
そんな当たり前を目の前で二回も打ち破られれば、ロデオは認めざるを得なかった。
ヘルベルトが特別な力を持っていることを。
自分やウンルー公爵の目は、節穴だったのだということを。
「ロデオ、お前には改めて謝ろうと思う――すまなかった」
「若、顔をお上げください! 謝らなければならないのは私の方です!」
ロデオは頭を下げ、そのまま土下座をしようとするヘルベルトを必死になって止める。
(若は本当に変わられたのだ)
ケビンが言っていた言葉の意味が、ロデオにも本当の意味でわかった気がした。
「いや、俺がずっと自堕落な生活を送っていたのは本当だ。斜に構え、努力を止め、才能にあぐらをかいていた。もう取り返しはつかないのかもしれないが……それでも俺は、もう一度頑張ってみることにしたんだ。だからロデオ、できれば前みたいに……俺のことを鍛えてくれないか?」
ヘルベルトがパチンと指を鳴らすと、魔力球が弾けた。
身体の肉がぶるんと大きく揺れるが、ロデオにそれを馬鹿にするような気持ちは、微塵も起きてはこなかった。
時空魔法を――この世界で賢者マリリンしか使えなかった伝説の魔法を、使いこなすことができたのなら。
ヘルベルトは必ず、歴史に名を残すような傑物になる。
そしてロデオから見ても、ヘルベルトという人間は大きく変わっていた。
以前鍛えていた頃の真っ直ぐな彼が、帰ってきたのだ。
「俺が戦うことになるのはマーロンという男だ。王女からの覚えがめでたいような天才で、将来は一廉の人物になるであろう強敵だ。だが勝ってみせる……いや、絶対に勝つ。俺はここから変わるんだ。だから手伝ってくれ、ロデオ」
「う……うおおっ!」
「ちょっ、ロデオ!? なんで泣くんだよ!」
「ほらほら、大の大人が情けないですよ」
ケビンからもらったハンカチで鼻をかみながら、ロデオは決意を固めた。
もう一度だけ、ヘルベルトのことを信じてみようと。
ロデオはかつてしていたように、猛烈な勢いでヘルベルトのことをシゴき始める。
そして朝がやってくる。
決闘の時間は刻一刻と、近付いてゆく――。
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