長い夜
◆長い夜
現世に戻るとすぐ、ボクはお隣さんちのインターホンを押した。
ゴートマの軍勢に対抗するには、もっと勇者が必要だ。
「瑠姫子ちゃん」「どうしたの」「そんなに慌てて」
「夜分にすいません。下田君に用があります」
「え? おれ?」
下田君は、下北沢の町のイベント会社でバイトをしてる。メルは仕事関係の連絡などをワタベさんに任せていると言っていた。ワタベさんと連絡がとりたかった。
「ほんとはダメなんだよ? ほんとはね?」
下田君は口では渋りながらも、すぐにワタベさんの連絡先を探してくれた。
お礼を言って部屋に戻ろうとして、「あの」と3人を振り返った。
「ボク、実は男なんです。名前はキルコです。ずっとだましてて、ごめんなさい」
鳩が豆鉄砲……っていう顔になるチーズカッターズ。あんなに異世界のご飯を食べたり、勇者と過ごしたのに誰かにも説明されていなかったみたいだ。
部屋に戻り、ワタベさんに早速メールを打っていると、インターホンが鳴った。
チーズカッターズだった。
「なんかさ……もし何か困ってたら、おれらにできること他にある?」
ありがたかった。ずっと嘘ついていたのに、心配してくれるなんて。
「じゃあ聖剣神話をプレイしてください。強い勇者を育ててください」
「そんなことでいいの?」「ゲームならいくらでもやるよ」「腕がなるね」
ゲーム機は3人から借りっぱなしだったので、「ウチは出入り自由で」と言っておいた。なんと3人はすぐにゲームをプレイしてくれた。
カセットはボクが使っているやつとは別のにしてもらった。ボクが借りているのが下田君ので、これからニューゲームのが中口君の。
「ありがとうございます」
ワタベさんにメールを送ると、返事はすぐに来た。
『僕も話したいことがあった。今から会えない?』
とんとん拍子に話が進んでいく。
ボクは3人を残して部屋を飛び出す。階段の陰に停めていた自転車が目に入った。鍵を外して、手で押しながら走る。勢いがついたところでサドルに飛び乗った。ゆらゆらと大きく揺れたけれど、なんとか倒れずにペダルをこぐことに成功。
なんだ、簡単じゃないか。
マイコへと猛スピードで直行。マイコからはお客さんが出てくるところで、それで店内はノーゲスト。井荻さんとバイトの子が、入ってきたボクを不思議そうに眺めた。
「ワタヌキさん、どうしたの?」
「急ですいません。ここ、辞めさせてください」
「え? 辞める? 何で急に」
ドアベルが鳴った。タイミングが良いのか悪いのか、ほろ酔いの社長が入ってきた。
「やっぱ暇だねぇこの島は。おろろ、どうしたの? 何話してたの?」
「いやぁ……」井荻さんが後ろ頭をかく。
社長はこわい。でもゴートマほどじゃない。
この人は指先から竜巻を出さない。
魔物の軍勢を率いていない。
たぶんボクが尻尾を出したら驚いて腰を抜かす。
「社長――――」
ボクは退職することを社長に伝えた。
社長は色をなした。
「は? なんで?」
「やらなきゃいけないことがあるんです」
「なんだよそれ。もうシフトも出てるのにさ、それはナイよね? 暇な店でもさ、いきなり何日もシフトに穴あけられちゃ迷惑だよ」
「すいません!」
謝るしかなかった。迷惑なのは百も承知だった。
決戦当日は休みだ。でもそれまでの毎日とずっとシフトが入っている。
毎日バイトに行けば、ここの居場所は守れるだろう。
でもゴートマに傷ひとつ付けることもできず、敵軍にやられてしまうに違いない。
精一杯ゴートマにぶつかり、メルの名前を奪還するには、1秒でも多く戦いへの備えをすることが必要なんだ。
「え、ホントに辞めんの?」
「辞めます」
辞めなきゃならない。
「でさ、なんなの? そのやらなきゃいけないことってなんなのよ?」
ボクは息を深く吸い込んだ。
「世界を救うんです」
「いやいや」社長は頬を引き攣らせて、「意味わかんねよ!」と怒鳴った。
来店しかけたお客さんが驚いて引き返した。
「どっから来たかも分からねーお前みたいなオンナが、他に行く場所なんかあるのかよ」
「その居場所を守るためなんです」
メルがいる場所がボクの居場所の一つなんだ。
たしかにボクには居場所がほとんどない。
選択肢なんてないにも等しかった。だからこの町に、この店にしがみついた。必死で城を守った。
でもそれが、メルという友達のおかげで変わった。気付かされた。
居場所とか、生き方とか、そういうのはボクでも選べる。
いや、選ぼうとすることができる。
ボクは追放されたことによって、転生の手違いだとか、ガチャの失敗だとか、そんな感じに嘆いていたんだけど、やってみるって大事だ。
何もせずに嘆いているのは、自分自身の可能性を、自分自身でつぶしちゃうことなんだ。
きっと掴めるものも掴めなくなる。
綺麗なものも見逃してしまう。
こわいけど、ボクが必要としてる居場所はここじゃない。
「もうこっちに戻ってこられねぇからな」
社長はボクの返事を聞かずにお店を出て行った。
分かっている。
「お騒がせしてすいませんでした」
「いや」井荻さんは冷蔵庫から瓶のコーラを出してボクに渡した。「なんとかするから。頑張ってね。ワタヌキさん」
「ありがとうございます」
井荻さんたちに頭を下げてボクもお店を出た。
自転車にまたがり、吉祥寺へ急ぐ。
「わざわざ来てくれてありがとうね」
メルの部屋でワタベさんと会った。
「本物のワタベさんですか?」という問いに、彼は首をひねった。
「たぶん、いや恐らく僕は本物だね。ドッペルゲンガーのような影じゃない。暗いけどさ、性格は」
彼は勝手知ったる……自然な流れでキッチンで紅茶を淹れてくれた。
「実はね、やべこと連絡が取れなくて。部屋ももぬけの殻だし。何か知らない?」
ボクはなんと話すべきかと悩んだ。
「あの、ワタベさんは幽霊を見たことがあるんでしたよね?」
紅茶に息を吹きかけていた彼は、口をすぼめたままボクをじろりと見た。それから深いため息を紅茶にかけると、「どんな話でも信じるよ」と言った。
ボクは聖神のこと、自分のこと、メルが巻き込まれていること全てをそのまま話した。ありのまま、包み隠さず。
「そんなことに」
彼は唐突に立ち上がると、散らかった部屋を片付け始めた。
「あの?」
「誘拐も疑ってたからね、物的証拠を消しちゃったらまずいと思ってそのままにしといたんだけどさ、そういうことなら片付けしてもいいなって」
荒唐無稽なお話を聞いた後にすることがお片付けとは。
ボクも一緒に片付けをする。
「それで、君はどうして僕に連絡をしたんだい?」
「はい。お願いしたいことがありまして」
家主がいない部屋を、他人が片付けをしながら会話している。奇妙な光景だ。
「僕にできることならなんでもやるよ。なんだい?」
「ゴートマと戦うために、もっと勇者がいるんです」
「そうだよね。兵士は多い方がいい。僕も帰ったら聖神をプレイするよ。だけど、非効率だよね。知り合いにゲームをやってと頼むだけだと」
「はい。だからボク、コスプレをしようと思いまして」
「…………ん?」
「ワタベさんは、メルの写真を撮ってるんですよね。ならボクも撮ってください」
「ちょっと待ってよ」片付けの手を止めずに、片付けの手を止めないボクに言う。「繋がらない。ゲームをさせたいのになんでコスプレなの?」
「飯テロってやつと同じです。深夜にこってりとしたラーメンの画像を見るとラーメンが食べたくなりますよね? カッコいい聖剣神話のコスプレを見たら、みんな聖剣神話がやりたくなるはずなんです!」
うん。我ながら完璧な理論だった。
「な、なるほどね……」ワタベさんは苦笑いした。「よく解ったよ」
部屋はだいたい片付いた。お掃除ロボットのスイッチをオンにして、2人でしばし眺める。ドッグランで飼い犬が走り回っているあいだ、多分飼い主たちはこういう感じになるんだろう。
「撮影機材はここにあるけど、スタジオの手配とかに時間がかかるから、撮るのは明日かな。衣装に関しては心配ないし」
メルが作りまくった、ボク用の衣装がたくさんある。
「撮影場所は本物を使いましょう」
「いや、加工とかもしたいし、室内のスタジオがいいかな」
「加工する必要が無いんです。テレビ画面の向こうに本物が広がっていますから」
「それもそうか。ということは僕も行くわけか……」
「大丈夫です。体がドットになったりとか、しませんから」
「ゲーム脳になっちゃったりしてね」
「すいません。それは分からないんですが……」
「冗談だよ。冗談と思いたいよ」
「来てくれますか……?」
「行くしかない。やべこが魔王に心を奪われたままなんて困るからね」
「ありがとうございます! でも魔王はボクです」
「はは、そうだったね」
ワタベさんの車に衣装や機材、自転車を積み込み、ボクの部屋へ向かった。
「窓開けていいですか?」
「いいよ。酔った?」
車には数えるほどしか乗ったことがなかったので、内心かなり興奮していた。
「いいえ。夜の匂いが嗅ぎたくて」
「そういうことあいつも言うんだよね」ワタベさんも窓を少し開けた。「いい匂いだ」
長い夜になりそうだ。
ワタベさんは目を覚さないメルを見ると、
「普段もちょっとは静かだと助かるんだけどね、やべこよう」と皮肉っぽく言った。
「現世に戻したいんですけど、なぜかできないんです」
「名前が無いからか、それともやべこが大好きな聖神にしがみついているかかな。困ったやつだよ本当に」
迷惑そうにしながらも、彼は目に強い光を宿していた。ありえないことの連続のはずなのに、彼はとても落ち着いた態度で撮影の準備を始める。
ダートムアの勇者たちもとてもイキイキと動いた。
「変化がありました」
ワタベさんを横目にやべこが言った。
「変化?」
「はい。私たち勇者に信じられないほどの力が湧いてきているんです」
「レベルもぶっちぎりで上がってる。俺ややべこなんかはもう200近い」
「どういうこと? ボクが強くなったってこと? でも特訓はあれからしてないよ」
「恐らくですが、メルさんを助けるために強い魔王になりたいという気持ちがこのようなことを招いたのだと思います。失礼を承知で申し上げますが、キルコ様は心のどこかで、自分は魔王にふさわしくないと思っていたのではないですか?」
「うん。そうだね。お父さんみたいにはなれないって、思ってた」
「しかし、今は違います」
「うん、違う。ゴートマを魔王になんかさせない。ボクが魔王になるんだって強く思ってる」
「その意気だキルコ!」レヴナがボクの肩をたたいた。「そのセリフのそばからまた魔力が上がった。戦いがもっと先なら、俺らのレベルは千までいっちまうぜ」
「でもゴートマも強くなったから、魔物たちもその分強くなってるんだよね」
「だから数がいるんだろ? 準備できたよキルコ君」ワタベさんが言った。「あれ、まだ着替えてなかったか。たくさん撮るから急がないとダメだよ」
「はい。着替えます」
「やべこにはテーマがあったみたいでね」
「テーマですか?」
「そう。えっ……ちょっとちょっと!」ワタベさんはボクから目を逸らすように慌てて背を向けた。「こんなところで着替えるの?」
「あ、ボクさっきお話しした通り男でして……」
「そ、そうだ、そうだった。ついね、驚いちゃって」
ワタベさんは向き直っても、どこか居心地が悪そうだった。
そんなに女性的なのかな。前までなら嬉しく思えたな、身バレが怖かったから。
「それで、テーマっていうのは」
ボクは信じられないくらいジャストサイズの衣装に袖を通しながら聞いた。
「ああ。聖神1で、魔族の中では唯一生き残ったキルコは、勇者に父のレームドフを殺された憎しみを胸に生きていくんだ。そして新たな女の魔王となって、2のストーリーを広げていく。やべこの魔王のコスプレを見たろ? あれは2のキルコ」
「見ました。あれは憎しみで生きたボク?」
「うん。でもこれらのやべこの衣装はね、『平和な世界で過ごしたキルコ』ってテーマなんだ」
「平和な世界で」
「自由に、笑って過ごした君だよ」
衣装にはナースや警官といった仕事系のものが多かった。
いろんなお仕事をするボクを想像していたのか。
ボクが抱くことを恐れた「なりたい自分」はこんなにあるって。
教えようとしてくれたのかな。
「そうだね。じゃあ撮るよ。今夜は笑い続けてね」
それから怒涛の撮影が始まった。
あちこち移動し場所を変え、何回も着替えて。
「キルコ君、そんな辛そうにしてたら平和な世界じゃないよ」
「はい……!」
「まだ辛そうだよ」
「はい!」
簡単なメイクもした。
メイク係はレヴナが任された。
「化粧は慣れてる」と豪語したからだ。
「レヴナ、お化粧してるんだね」
「あぁ、死化粧をな」
ご遺体に施すやつですね……。
「自分には」
「しねえよ」
「じゃあレヴナはそのままで綺麗なんだね」
口が滑って、思っていることをそのまま口にしてしまった。
レヴナは無言のままに赤面した。
撮影は続く。
「はい笑ってー」
「にこっ!」
同じ姿勢続きで辛くてもにこっ。
夜風が冷たくても薄着でにこっ。
「ちょっと休憩しようか」
そうワタベさんが言った途端、その場にへたれこんだ。
「撮影って想像以上にハードなんだね」
「そうだね。今日は量も多いし。じゃあちょっと待ってる間に、やべこさん撮りましょう」
「ひぇっ?」
予想だにしない言葉にやべこは素っ頓狂な声を上げた。
「わわ、私ですか?」
「平和な世界だけど、せっかくいらっしゃるしね。主人公勇者も聖神では人気高いから」
「私が人気……?!」
「もっとも可愛いビキニアーマーのキャラだって」
「そんな……」
やべこは珍しく頬を染めた。
「もしかして俺もか?」
やべことは反対にレヴナはウキウキしながら聞いた。
「いやぁ……イタコは結構マイナー職だから。ネットにアップしても聖神のイタコだって気付かれないかもだし……」
「へぇ、そうかい……」
ずーん……と沈鬱な表情になるレヴナ。ワタベさんは慌てて、
「と、思ったけどそんなこともないかな。ない。うん、撮りましょう」
「そうかい?」えへへ~っとふにゃけるレヴナ。
結局、撮影は日付が変わるまで続いた。
「ちなみに明日の昼間も撮るから。やっぱり全部夜のシーンだと良くない。RPGのフィールドはほとんどが昼間だ。起きられる?」
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
ワタベさんを現世まで送り届ける。
「うちに泊まってくれてもいいんですよ」
「自宅で作業したいし、一旦帰るよ。ゆっくり休んでね」
これから帰って作業してくれるなんて。
「ありがとうございます。本当に」
「いいさ。でも事が済んだら、やべこに僕がどれだけ時間や労力を費やしたか、それとなく君から言っておいてよ。ものすごく恩を感じるようにね」
「分かりました」
「あいつ、全然僕に感謝しないんだ。全く困ったものだよ」
心配ばかりかけさせてさ……、最後にそう呟いて、彼は車に乗り込んだ。車が角を曲がるのを見送って、ボクは部屋に戻る。
「キルコ様、私としたことが忘れておりました」
やべこが恭しい態度で茶封筒を僕に渡してきた。
「これは?」
「ダートムアでの本日の売り上げから、キルコ様にお渡しできるお金です」
「そっか。ルートが開いたんだもんね」
「ええ。町が動き出したのです」
なんの期待もなく中身をあらためると、双子の福沢諭吉さんがひょっこり。
「ええっ?」
「お納めください」
「1日でこれ?」
「はい。町の維持費や人件費もあるので、今はそれだけですが」
2万円。ということは、200万ジェニーをもらったということだ。
2枚の、日本銀行券、1日で、2万円、福沢ツインズ。
「みなさんありがとう……おつかれさまです、お勤めご苦労様です……」
涙がほろほろと流れた。
双子の福沢諭吉はしばらくテーブルに飾った。
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