魔王じゃなくても
◆魔王じゃなくても
翌日、風邪は治ったみたいだった。
静かで広い、誰もいない部屋で目が覚めるとボクは、1人で過ごしていた時間に対して懐かしさを覚えた。懐かしい心細さを。
もうあの頃には戻りたくない。こんなひっそりとした空間に人がいるなんて誰が思うんだろうか。誰も知らない人みたいだ。ボクは。
聖神世界に向かい、みんなに置き去りにしたことを謝った。
「心配しました! キルコ様、もう大丈夫なのですか?」
「そうだよ。一人でいっちまうから」
「ごめんね。もう大丈夫だから」
食事をして、軽めの訓練をして、やべこたちを連れて現世に。
徒歩でアルバイトに行く。
もしできることなら、小さなお店にこもりっきりのお仕事じゃなくて、もっといろんな景色が見られるものがしたいな。
体調は戻ったけれど、ボクはずっとうわの空だった。
メル、ちゃんとご飯食べてるかな。
王冠と、交換か。
やべこがそのことの意味を教えてくれた。
王冠は王である証。王冠を他の者の手に渡せば、王位が移る。魔王の力が失われるかもしれない……ということを。
力が失われる。魔王でなくなる。すなわち、魔王として勇者たちと結んでいた契約が切れる。隷属魔法が解ける。
「別に眷属だから一緒にいるわけじゃねえからな、キルコ」
「そうです。私たちは私たちの意志でキルコ様に仕えているのですから」
そうは言ってくれたけれど、どうなるのかは、分からない。
信じたい。でも不安な気持ちは拭えない。
ゴートマの隷属魔法を打ち消した時、みんな一様にゴートマの支配が辛かったなどと言っていたし。ボクとは楽しそうに笑って過ごしているけれど、もしかしたら…………。
夜の10時過ぎ、アルバイトを終えて、夜の下北沢の町を歩いていく。
目抜き通りを下り、庚申堂の三叉路にさしかかる。龍田さんとミワさんが歌っていた。ボクは遠巻きに2人を眺めている人たちの中に混じった。動画を撮っている人もいる。
「次も新曲を披露いたしますわぁ」
も。
ミワさん、龍田さんちに泊まっているみたいだけど、ずっと曲作りしてるのかな。ギター弾きはたくさんいる町だけど、こんなに人の足を止めさせる声はなかなかない。いい出会いをしたんだな、2人は。
ひととおり歌い終えると、ミワさんが聴衆に裏返した帽子を差し出す。こないだは逃げていく人がほとんどだったのに、今夜は何人かがそこにお金を落としていた。
「タッちゃん! 今日は千円札を入れるセレブが混じっておりましたわぁ!」
「マジ?」
「せっかく書いた歌詞もほとんど忘れちゃったのが悔しいですが」
「まぁいいっしょ。ミワの即興の歌詞笑えるし。じゃあ今日は発泡酒じゃなくてビールを買おう、本物の。あれ? ワタヌキさん」
「おつかれさま」ボクはミワさんの帽子に17円を入れた。お財布にそれしかなかった。
ちょっと行った先にあるコンビニで2人は缶ビールを買い、ボクにもジュースをくれた。
コンビニから少し離れて、路上で話す。
「ミワさん、毎日どうやって暮らしてるの?」
「タッちゃんが申し込んでくれた日雇いのバイトなどですわね」
「今ミワと作った曲をCDにまとめようとしててさ。けっこう楽しいよね」
「いいですね」
「ミワの発想はぶっ飛んでて刺激になる。聞いてよワタヌキさん。ミワ、自分の故郷のこと思い出したって言ってさ、それがゲームだって言うのよ。頭ん中すげーわ」
「あははは」
そのまま冗談と思っていてもらわないと。
ボクが見たことのない楽しそうな顔の龍田さんと、自分がゲーム由来の人間など微塵も気にかけていないようなミワさん。
「ちょっとトイレ」
龍田さんがコンビニへ再び入店。ボクはミワさんに言った。
「ボク、王冠をゴートマに渡そうと思います」
正直なところ、まだ自分で納得してはいなかった。王様でなくなることに少なからず抵抗がある。みんながいなくなるかもしれないこと。特別でなくなってしまうこと。飲み込めないものがいくつもあった。
ミワさんは興味なさそうに答えた。
「王冠を? そうですか」
「ボクの眷属でなくなったら、心変わりが起こるかもしれないんですよ?」
「ああ、そういうことですのね」ミワさんは微笑んだ。「心配ないですわ。キルコ君の力と、わたくしがタッちゃんと過ごしているのは、なんの関係もありませんもの。わたくしは、わたくしの意志で歌っているんですから」
「そう…………ですか」
「ええ。そうですわ。他の方たちもそうではなくって?」
「そうですかね」
「だって、わたくしたちを命令で縛ったことが一度もありませんよね? 眷属だって、指示しなきゃどこかへいってしまうものですわ。けれどみんな、あなたのもとにいる」
不思議と、ミワさんが言うと説得力があった。
「キルコ君こそ、魔王じゃなくなっていいんですか?」
「うん。この世界で生きるのに、魔王である必要はないからね」
そうだよ。履歴書の資格の欄に魔王と書いたって就職が有利になるわけじゃない。内申点が上がるわけじゃない。自転車が乗れるわけじゃない。モテるわけじゃない……あぁ、メルには別だけど。
「魔王じゃなくたっていいもんね」
口にしたら、そういう気持ちになってきた。
王冠なんかより、メルの方がよっぽど大事だ。
「なんの話してたの?」龍田さんが戻ってきた。
「人間っていいなぁ、って話ですわ」
龍田さんは笑った。「は? なにそれー」
ボクらはそこで別れた。
今日はもう遅いけど、はやく自転車に乗る練習をしたいと思った。
明日、王冠を渡しに行こう。
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