(2)
昼休みになった。俺は自分の新しい席で、今朝コンビニで買ってきたチョコチップスティックパンをかじって野菜ジュースをすすっていた。うちは両親が共働きなので、昼食の用意は自分でしなければならない。昼食代込みで毎月小遣いをもらっているのだが、漫画やゲームに使うために節約していて、普段は夕食の余り物を弁当箱に詰めて持ち込んでいる。ただ、今日は若干寝坊したのでそれができず、適当にコンビニで見繕った。
昼食の場所は特に決まっておらず、委員会活動で会議しながら食べているやつもいれば、別のクラスにいる友達と食べているやつもいる。だから昼休みの教室に人がどれほどいるかは日によってまちまちだ。今日は、席替えした直後で、いつも一緒に飯を食っていた人と離れた人が多かったからか、教室にいる人間は半分くらいに減っていた。
教室にいる人が少なくて普段話しかけない奴にも話しかけやすい状況になっていたというのもあったのだろう。俺は突然、右隣の席の女子に話しかけられた。
「キノコくん、女子みたいなもん食べてんね」
「……俺に言った?」
「キノコなんて呼ばれてる奴、他にいないでしょ、
隣の女子はそう言ってニヤリと笑った。片肘を机の上について顔を拳の上に乗せて、優雅にこちらを見ている。細身で健康的な小麦色の肌で、セミロングの髪をやや高い位置でポニーテールにしている。名前がパッと出てこないが、どこかのタイミングで確実に話したことのある奴だ。えーっと、なんて名前だっけこいつ。
ちなみに「キノコ」というのは、忌々しいことに、俺のあだ名である。「木下幸太郎」を縮めてキノコ。中学デビューのつもりで美容院に行ってバンドマンみたいなマッシュにしてみたところ、誰かが名前にひっかけてこのあだ名をつけてしまった。これをつけた奴は相当あだ名をつけるセンスがあると思うが、俺自身は全然気に入っていない。
俺が目の前の女子の名前を思い出そうとして黙っていると、そいつは無言で俺のスティックパンを一本奪った。
「おい、泥棒」
「スティックパンって誰かにあげるために買ってくるものじゃないの」
「なんだそりゃ。そういうのは仲良いやつ同士でやるもんだろ」
「じゃあ、これから仲良くしてあげるからさ。同じ美化委員なんだし」
そう言ってそいつは、俺から奪ったスティックパンを一瞬で飲み込んだ。美化委員という言葉を聞いて思い出した。俺と同じ美化委員の
「キノコって、女バスの
「美月から聞いたのか」
「うん。友達の友達なんだから、もう友達ってことでいいじゃない」
そういって泉はまたニヤッと笑った。大畑美月は俺の幼馴染で、泉と同じ女子バスケットボール部の部員だ。小学校のときはお互いの家に入り浸るほど仲が良かったのだが、中学に入ってからほぼ絡むことがなくなってしまったので、「友達」と呼べるかどうかは微妙だ。
「美月と俺の話なんかするのか」
「ああ、うん、まあね。キノコは面白いやつだから絡んであげなって言われた」
「俺のいないところでそんな話を進めるなよ」
俺はなんとか取り繕ったが、内心動揺していた。中学に入ってから、俺は卓球部に入ったために根暗キモキノコ扱いされるようになり、美月はバスケ部に入ってスクールカースト上位層になったため、接触がほとんど無くなった。だからあいつの中で俺はどうでもいい存在になっていると思っていた。
でも、美月は「あのキノコ、気持ち悪いから、いじめてやりなよ」的な意味合いで泉に紹介したのかもしれない。俺は騙されないぞ。
俺がしかめっ面で最後の一本となってしまったスティックパンを頬張っていると、泉は少し声を落として話し始めた。
「ところで、今回の席替え、どう思った?」
「どう思った、とは?」
「あー……キノコって、うちのクラスの人間関係に興味ない?」
「興味がないわけじゃないけど、敢えて調べてみようと思ったことはないな」
そう答えると泉は苦笑いを浮かべ、「ちょっとこっちに」と言って教室の外に出るように促した。何だ。教室の中で大声で話せない話題だろうか。
教室の外に出ると、泉は目線を教室の中に向けた。
「隣の席になったよしみで、うちのクラスの秘密を教えてあげよう」
「ほう」
「私の席の斜め右前の席に座ってる
「何も勘付いてなかったんだけど」
俺がそう言うと、泉は「マジかよこいつ」と言わんばかりの表情でこちらを見たので、少したじろいでしまった。
確かに言われてみれば、よく一緒にいるのを見かける気がする。今も2人で楽しそうに話しているのが見える。梶谷は、野球部で丸刈りだが顔はそこそこ整っていて、松村は色白で丸顔の女子だ。
「それで、キノコの席の2つ後ろ、
「へえ、俺は知らんかったけど……藤田も滝川もモテそうだしな」
俺は席に座っていた藤田を眺めながらつぶやいた。藤田は細面の男子で、よく知らないけど韓国のアイドルグループとかにいそうな見た目の奴だ。滝川はこの教室にいないが、席替え前に席が近かったので覚えている。身長が高く、妙に大人びた、きれいな女子だ。俺とは住む世界が違いすぎるカップルだなぁ。
「そうなのよ。藤田のこと好きだって子が私の知ってるだけでも4人くらい、滝川ちゃんのこと好きな奴も2人くらいいて、それぞれ誰とくっつくのかなと思ってたんだけど、そこがくっついたかーって話題になったんだよ」
「ってかお前、めちゃめちゃ詳しいな」
「うん、うちの学年だったら、誰が誰と付き合ってるとか、誰が誰のこと好きとか、誰と誰が喧嘩してるとか、だいたいわかるよ。他の学年でも、私が関係してる範囲内なら」
「なんでそんな……」
「ま、単純に噂話が好きっていうのもあるんだけど、こういう情報をたくさん持ってると、色々と便利だったりするのさ」
泉はそう言って胸を張った。そういや小学校の時も、クラスに1人くらい異常に噂話に詳しい女子がいたな。スパイ映画とかに出てくる情報屋みたいに、誰が誰のこと好きだとか、誰が誰に告白したとかを調べて、周囲に共有してた奴。敵に回すと面倒なタイプだ。俺が内心恐れおののきながら黙っていると、泉は話を続けた。
「それでね、一番びっくりだったのは、私の2つ後ろの
「逆になんでお前は知ってるんだよ」
「前島に直接聞いたの。前島、男子バスケ部だから、練習後に駄弁ることが多くて。あいつがあの見た目で惚気けるのはめっちゃ面白いよ」
泉はそう言ってニヤッと笑った。前島は筋骨隆々で背が高くがっしりしている男子だ。確かにこのルックスで、好きな女子について語る姿は想像できない。村上は、確か吹奏楽部で、小柄で小動物みたいな雰囲気の女子だ。なんだかデコボコな見た目のカップルだな。何がきっかけで好きになったんだろうか……まぁ、どうでもいいけど。
「いや、しかし、俺が気づいてなかっただけで、うちのクラスはカップルだらけなんだな」
「そうね。私が感知してるのはこの3組だけだけど、多い方だと思う。他の組の人と付き合ってる人はあと何人かいるけどね」
俺が卓球部の根暗キノコと罵られ灰色の青春を送っている傍らで、よろしくやってる奴らがたくさんいるのか。虫唾が走るな。大きめの石をひっくり返したら虫がウジャウジャ出てきた時みたいだ。あれ、いや、ちょっと待て。
「うちのクラスに3組カップルがいて、それが席替えで全部隣同士に?」
「そう、なんか変じゃない? こんなことってあるのかな」
そう言って泉は首をかしげた。
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