第3話・うなぎのおそうめん(後編)

 塩でぬめりを止めたうなぎの腹を手早く開く。開いた身の厚い部分に手早く金串を打ち込む。炭の内側に仄めく赤い熱を育てるように風を送る。火がとろくても蒸されてしまってパリパリに焼けないし、強すぎると今度はうなぎのほうが炭になってしまう。

 うなぎから滴り始めた脂が香ばしい匂いを放つ。炭火がぱちぱちと音を立てる。小さな火花を散らして爆ぜている。そうなったら表裏を返してしっかりと皮を焼きしめるのだ。ひっくり返すほどに香りは濃密になる。喉の奥に甘みを呼び起こす幸せの匂いだ。

 とはいえ真夏の屋外で炭をおこすのは楽なことじゃない。

「あっつい! あっつい!」

 言いながら家に入っていくと、髪をひとつに束ねてさじでたれを調合していた犬君いぬきが顔を上げた。犬君はすでに面を外していて、嬉しそうに笑う。

「腹の減るいい匂いがしてる」

「だろ?」

 そう言われたら苦労もまんざらではないって思ってしまう。我ながらちょろいもんだ。

「麺は?」

 のぞきこむと、犬君はざるを指さした。真っ白な細麺が水に濡れてつやつやと輝いている。

「こちらもいい頃合いだ」

 流水でよく冷やしたそうめんにたれと細切りにしたきゅうりをからめ、その上から焼きたてのうなぎを盛りつける。あとは庭からちぎってきたネギを刻んでぱらぱらと振りかければ完成だ。

「わあ」

 それは斬新な食感だった。細い細い麺はつるりとして喉元を溶けるように滑り落ちていく。繊細な麺に混ざるのはシャキシャキきゅうりの歯応え。たれの主原料は昆布としいたけで取ったまろやかなだしと甘酢で、ふわりと香り立つ風味の後からほのかな酸味が口に広がる。

「つめたーい! おいしーい!」

 炭火で焼くには表に出るしかないから仕方がないんだけど、うなぎを焼いていたせいであたしの頬はひどくほてっていて、そこに冷たいおそうめんときゅうりは本当に心地好かった。

 あたしがおそうめんに目を輝かせる一方、犬君が一口食べるごとにしげしげと眺めて感心していたのはうなぎの白焼きだ。

「こんなやわらかい白身があるのか……このふっくらとした味わいは他にないな……そこに来てこの皮の歯応えだ」

 あたしは胸を張った。そうだろうそうだろう。この猛暑の中、頑張って外に出て炭で焼いた甲斐があった。ふっくら肉厚のうなぎの身は炭火でパリッパリに焼いたうなぎの皮で引き締まる。しかしこれも焼き方次第だ。あたしは炭火の串焼きには自信がある。

 それにしてもあたしのおそうめん同様あまりにも新食感だと感心しているので

「海の出身なんじゃなかったの?」

 尋ねると、

「海では普通うなぎは獲らない」

 犬君は真顔でうなぎを咀嚼してから言う。

「そうなの?」

 あたしが驚いて聞くと、犬君は自信がなさそうに「……たぶん」とつぶやいた。

「実のところ、漁村にいたのはごく幼い頃のことで、あまり記憶がないんだ」

「そうなの? お引越し?」

 あたし達はあまり移住する職業ではないから物珍しくて尋ねる。犬君はしばらく自分の手元のうなぎを見つめてから抑揚なく答えた。

「売り飛ばされた。お前くらいの年の頃だ。それからはおかしな力があると言っては捨てられたりおかしな力があると言っては拾われたり散々だ。もうかれこれ、京の周辺で暮らす人生のほうが長くなってきた」

 返事がないことに気づいた犬君が「どうした?」とあたしの顔を見る。あぜんと口を開いたままのあたしを見てようやく合点がいったように「ん? ……ああ、そうか」と苦笑した。今、食事のために面を外している犬君の表情は筒抜けで、何とも言えないその顔に胸が締めつけられる。あっけらかんとしているようでいて、空虚で寂しい。海の見えない都に放り出された十歳足らずのこどもはたぶんこんな顔をしていたんじゃないか。

「こんなこと、会って日も浅いわっぱに言う重さの話じゃないな。忘れてくれ」

 あたしはなんと答えたらいいかわからずに、ただただ軽く浮かべたくないはずの笑顔だけが浮かんでくる。

「……で、でもさ、その力のおかげで犬君も立派なおぼーさんでしょ! 一度おそうめん持って実家に帰ってみたら? みんなびっくりして喜ぶと思うな!」

 犬君の返事は簡潔で無表情だった。

「帰り方がわからない」

「…………」

 いよいよかける言葉もなくなったあたしに、犬君のほうはあっさりと話題を変えた。

「ともあれ川魚の味は上品なのだな。僧の身なりで言うことじゃないがかなり好みだ」

 うなぎを代表に川魚を語られたらさすがにあゆやアマゴが怒るんじゃないか。うなぎと比べれば海にも上品な魚はいるだろうし。はもとか。

 とは思ったけど、これ以上変な指摘をして犬君を傷つけたくなかったから、そうめんをすすりながら言い返す。

「海のおだしだって上品だよ!」

 そうめんがつるつると喉をすべるごとに、ふわりと品のある香りが口の中に立ちのぼる。昆布としいたけのおだしだと言っていた。どうせうなぎを食べるのにおだしだけ精進にしても意味ないだろと思ってたけど、これはちょっと反省。煮物はなんでもお肉と一緒に煮れば味が出ると思っていたあたしには未知すぎる味だ。そもそもアクがある動物の肉には、あっさりした植物性のだしが引き立つ。お肉をお肉で煮たら二倍うまいというものではなかったらしい。秋になったらきのことお肉で料理してみよう。

 そうめんときゅうりをもぐもぐ頬張るあたしを犬君は微笑んでしばらく眺め、それからにこにこと嬉しそうに尋ねた。

「トニは胡瓜きゅうりが好きか?」

「しゅき!!!」

 飲み込む余裕もなくもぐもぐしながら即答すると、いきなり犬君の箸が伸びてきた。あたしの器にばらばらときゅうりが落ちてくる。

「ではしっかり食べてくれ」

 いや待て!

「大人が好き嫌いするんじゃない!」

 確かにあたしはきゅうりが好きだけどきゅうりをくれとは言っていない。

 シャキシャキのきゅうりにつるつるのおそうめんが混じり合って、ともすれば頼りない喉越しをぐっと引き留めるのがきゅうりじゃないか。一緒に食べてニコニコひとつの旨さだろ。

 きゅうりを摘んで箸を伸ばすと、犬君は椀を手のひらで塞いでツンと澄ます。

「宗教上の理由だ」

 そんなわけがあるか!

「嘘をつけ! お肉は食べたくせに!」

 あたしはまたシャーッと威嚇し、犬君はそうめんを食べながら無視する。あんたさては大人気ないな? そしてそういうことはせめて器によそう前に言え。

 もう二度とお世辞にも立派なおぼーさんなんて言わない。前言撤回だ撤回。




 さて、うまいものを食ったらしばらくぼうっとしていたいところだが、いくら夏の時間が長いとはいえ、日が落ちるまでには帰りたい。

 少し日が傾きかけた頃を見計らい、あたしは袴をはいて裾をくくる。

 犬君も再び面で顔を覆って家を出る。山歩きなんだから息苦しそうな布なんか外せばいいのに。

「大丈夫だ、山は涼しいから」

 四方を囲む山の底に家がひしめくような京の市中は煮えるように熱がこもる。それと比べれば草木の爽やかな蔭に覆われた森は驚くほどすっとするだろう。とはいえ、歩いているのだからやっぱり暑いものは暑いのだ。暑い中の山歩きは些細な不自由がじわじわと体力を奪っていく。あまりお勧めはしないな。表情も解らないし。

 表情が解らなければ体調も把握できないので、適当に軽い話を振りながら歩く。夏の山にはたまに熊も出るから、熊避けにもちょうどいい。よほど豪胆な奴以外は、人の話し声を聞けば向こうから避けていく。

 あたしならこのあたりで飲める沢水をいくつか把握しているから、こまめに立ちよって犬君に少しづつ水を飲ませながら進む。

 一見きれえな川が必ずしも飲み水に向いているわけではない。飲む水を間違えれば、たちまち山の神に祟られる。だからといって水分を補給せずに一気に突き進む人もいるが、飲める沢が傍にないときに限って魔に魅入られたように喉の渇きに襲われる。判断能力も落ちる。ぷつんと糸が切れたように動けなくなったときには最悪だ。ただ犬君のほうも少しは山歩きに慣れているらしく、慣れない人を案内するときにありがちなわがままを聞かなくて済むのはよかった。


 そうして夕暮れ前には無事目的地にたどりついたあたしたちは、今、一本の大きな木を前に立ちすくんでいた。

 木の枝には死体が吊るされている。


 なんだ、いつものことか――鳥辺野に住む人間ならそう思うかもしれない。

 しかしを見慣れているあたしでさえ、今は息を呑んで後退あとずさっていた。


「一応聞いておくが、このあたりの山辺にこんな手の込んだ葬り方はあるか?」

 風葬の野辺には、遺体が集まってくる。中でも心ある者に葬られた遺体は、少しでも盗賊や獣の害を避けるために木の上に掛けられる――ことは、ある。

 しかし今、あたしの目の前にあるのはそんな合理的な現象ではない。

 一本の大木を飾るようにたくさんの着物が吊るされている――いや、美しい着物を着たたくさんの女童たちが吊るされている。少女たちの顔は焼かれて判別がつかず、首からは梶の葉が掛けられている。その葉には血で漢字が書きつけられていた。あたしは漢字の読み方が解らない……解らないだけにそれは、とても禍々しい呪文に見えていた。

 あたしは蒼褪めながら、やっと声を絞り出す。

「……ない」




◆続「第三話・弘徽殿の悪役令嬢」10月開始予定です◆

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