第33話「幾億の夜、幾億の時」

 急いで自宅に戻り、光一はまず〈ウォッチ〉を起動した。


 いくつかの小さなパネルが液晶画面から浮かび上がる。その中にツバメのマークがあり、光一は迷わずそれをタップした。


 ヨルワタリのAIは、光一に背中を向けていた。横にあるジャンクデータの山にも口をつけず、ただその場でうつむいている。


「ヨルワタリ」


 そう呼びかけると、ゆっくりと振り返った。AIのはずだが、今のヨルワタリは彼女の死を心からいたんでいる。光一にはそうと確信できた。


『……これは光一様。みっともないところをお見せして、ごめんなさい』

「いいんだ、ヨルワタリ。君に訊きたいことがある」

『何かしら? 私で答えられることなら』


 もう一度、選択ができる——


 あの老人は、自分にそう言った。しかし、自分はあの時選択しなかった。できなかった。選べられるはずがなかった。


 だが、もう一度だけチャンスがあるとしたら――


「俺が時を越えることは可能か?」


 ヨルワタリからの返答には、若干じゃっかんの間があった。


『……可能よ。ただし、非常に危険だわ』

「可能なんだな。それを聞いて安心した」


 おもむろに立ち上がったところで、『待って』


『時を越えることは、時を狂わせる可能性があることと同義よ。〈リライト〉がそれを見逃すはずがないわ』

「だろうな」

『夢月は身をていして、光一様と幼い夢月を守ったのよ。おそらくだけれど……このまま何もしなければ、これ以上〈リライト〉が攻めてくることはないと思うわ』

「何もしなければ、か……」


 首を振り、「無理な相談だ」


「俺は未来で君を、タイムマシンを造ることになっている。どうやったらそんなことができるのかはわからないが——その可能性がある限り、連中は俺を放ってはおかないはずだ」

『それは……』

「姉さんと悟郎ごろうさんのことにしてもそうだ。確かにあの日、二人が死ぬことは避けられた。だが、この先も絶対に死なないと保証できるのか?」

『…………』

「連中のさじ加減ひとつで、俺たちの命……未来はどっちにでも傾く。だったら、こちらも好きにさせてもらうだけだ」


 ヨルワタリは答えなかった。


 光一は力なく、口の端をゆっくりと持ち上げた。


「馬鹿なことを、と思うか?」

『……いえ。私はあくまでAIよ。あなた様が望むなら、どこにでも飛んでみせる。幾億の夜だろうと、幾億の時だろうと、この名にかけて渡ってみせるわ』

「いい返事だ。じゃ、早速——」


 がく、と光一の体が傾いた。手足が震えている。内臓がのたうっているようで、たまらず膝をついた。


『光一様、無理をしないで。スーツもないのに戦闘をするから……』

「くそッ……!」

『今は焦らず、休むしかないわ。私も万全の状態じゃないの。無理に時を越えようとしても、間違いなくあのオウマに邪魔される』

「……オウマ、か」


 光一にとっては最悪の選択を突きつけた、巨人のパイロット。


 だが、なぜだろう。光一はその人物が誰なのかを知っている気がした。それはほぼ確信に近く、だからこそ——引っかかるものを覚えていた。


 オウマのパイロットは仲間であるはずのベゼルを始末した。リューズとアサヅミが無残に破壊されるのを、ただ見ていた可能性もある。


 それは〈リライト〉の総意なのだろうか?


「……試してみるか」

『光一様?』

「ヨルワタリ、君は〈トリカゴ〉で修理を急いでくれ。どれぐらいかかる?」

『一日もあれば。……光一様はどうするつもり?』

「決まっているじゃないか、仕事だよ」


 光一は適当に放っておいた仕事用の鞄に目をくれた。


「これでも養護教諭だ。仕事を放り出すわけにはいかない。何より、俺のことを待っている生徒がいるはずだからな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る