母親のハマったもの。
母親は、何故かよくわからないものを崇拝していました。
母親は、ある宗教に洗脳されていました。
そちらは、水が有名です。
それに、借金までしてお金をつぎ込むようになります。
もちろん、言うまでもなく家は貧乏です。
住む場所は、あります。
ただ、ガスや電気は、よく止まっていました。
基本的には、カセットコンロと蝋燭で、生活してました。
昔は、水道は止まらなかったので、お風呂は水でした。
湯船にはいりたいなら、ガスコンロに小さな鍋で水をたいて、何度も湯船に持っていくというスタイルです。
母親が、そちらにハマったきっかけは、私の事故がきっかけでした。
私が、事故に遭わなければ、こんな事にはなっていなかったのだと後悔しかないです。
もしかしたら、私が事故に遭わなくても父親という存在がいなくなった事によって、それを支えに生きていたのかもしれません。
夜中までも、その宗教の人が母親を連れ回しました。
そのせいで、母親は睡眠時間がほとんどありませんでした。
その状態で、朝から夕方まで働き、夕方から九時まで別の仕事に行きます。
別の仕事は、食べ物を持って帰れる仕事をしていました。(当時は、廃棄する食品をタダでもらって帰ってこれたみたいです。)
そちらを食べさせて、私と姉は生かさず殺さずで生きさせられていました。
時々、祖母が野菜を送ってくれて、それを母が野菜炒めにしてくれました。
野菜炒めにお肉が入ってるのに、衝撃を受けたのを覚えています。
母は、当時、その宗教に私を連れて行きたいらしく、吉野家で朝定食を食べようやモスバーガーでライスバーガーを食べさせてあげるからと言って私を連れて行きます。
(吉野家が、牛丼の店であるのを母が亡くなってから知りました。)
私は、そんないいものを食べる事が出来ないので、喜んでついていきました。
ただ、ついてからは大嫌いでした。
お布施をして、祝詞のようなものや分厚い本をみんなで朗読。
正直、退屈でした。
母は、毎日、毎日、行っていました。
中学生になってから、私は行かなくなります。
ただ、私も母が倒れてからは、後悔からかなり通いつめました。
祖母が、姉に『○○に、宗教させたらダメだよ』と言っていたようです。多分、祖母は母と私が重なったのだと思います。
私の洗脳は、すぐにとけました。
母親が死んだ日です。
母親が宗教にいれた、親戚の叔父さんに『お祈りしたら生き返るって聞いてた』というと、『器がダメで、戻ってこれなかったんだよ』と言われます。
『はあ?』と心の中で思い、心の中で『馬鹿馬鹿しい』と笑ったのを覚えてます。
それで、私の洗脳は完全にとけました。
それから、その類いは、全く信じなくなりました。
大人になり、ネグレクトと言う言葉を知って、自分もそうだったのだと思いました。
ライフラインが止まり、姉は水でもお風呂に入っていましたが、私はさすがに冬場は冷たすぎて無理で…。
三日に一回とかしかお風呂に入らなかったです。
小鍋で湯を沸かし、持っていくスタイルが大変だったからです。
何往復しても、湯船に数センチしか水が溜まらなかったからです。
母親は、宗教以外興味がなかったと思います。
母親によく言われたのは、『寝てるあんたらの首を絞めようとしても、殺せないのよ』と言われていました。
今、思うと…。
借金地獄だったから、道連れに何度も死のうとしていたのだと思います。ただ、『殺せない』と思ってくれていてよかったです。
母親自身もあの生活が辛かったのかも知れないです。どういう意味で、私に言ったのかは知りません。本当の事は、死んでいるので聞きようがありません。
宗教についての、名前は書きません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます