▼4「作戦会議」
「おまえは、エーミールのところに行かねばなりません。と母はきっぱりと言った。そして、」
国語の授業中。僕の前の席の女子が教科書の内容を読み上げている。それに合わせて僕も文字を追いかけた。
国語担当の岩浅先生は席順で音読させる。段落ごとに後ろの席へと移動するため、次は間違いなく僕だろう。しかもあろうことか僕の担当箇所は他に比べて長い。はぁ憂鬱だ……。
そもそも、音読を行わせる意味を問いたいところである。
『黙読だとちゃんと読んでいるか分からないからじゃないの? 声に出せば嫌でも耳には入ってくるわけだし。まあそれでも聞いていない人はいるだろうけど』
僕の嘆きを拾った安立さんが最もな回答をくれる。ふと思ったことに来る返事にも若干慣れて来たものである。
けれど僕は反論したい。それならば先生が読み上げればいいじゃないかと!
『一人でも多くに頭に入れて欲しいんでしょ。やっぱり読み上げた方が内容は理解しやすいし』
これまた的確に返された。安立さんは冷静だな。もしかして音読が好きなのだろうか。
『いやいや、あたしも苦手よ? 今日は当たらなさそうでホッとしているもの』
なるほど、安全圏故の余裕か。僕もそういう時は落書きするぐらいに心が大きくなる。
『落書きね。あたしもよくしちゃうわ。やっぱりパラパラ漫画?』
いや僕はこの挿絵の蝶をメカバタフライに改造してて……ってそんなことより今は音読を避ける方法を考えたいんだよっ!
『三戸くんって、思っていたより不真面目よね』
苦笑が聞こえて心臓がぎくりと跳ねる。
いや、その、誰だって人前で声を出すのは苦手じゃない? ……き、嫌われたかな?
『ふふっ、大丈夫。その程度で嫌わないわよ。あたしだって似たようなこと考えるもの。うん、人前で声出すのはやっぱり緊張しちゃうわよね』
だよねっ。安立さんだって不真面目だもんねっ!
『不真面目って言うのはちょっと納得いかないけど、まあそういうことにしといてあげる』
なんだか安立さんの方が大人風を吹かせている。ちょっと悔しい。
なんて歯噛みしていると、前の席の女子が座った。音読が終わったのだ。もう僕の出番かと身構えたが、一旦先生の解説が入るようでまだ猶予は存在した。
ならば打開策を考える時間はある。どうすればいいだろうか。
『思いついたら本当に実践するの?』
そりゃあ、楽が出来るならやらないに越したことはないじゃないか。
と言ってみせるけど、いつもの僕なら間違いなく実行はしない。でも秘密を共有する相手がいるからか、少しばかりの蛮勇が生まれている。
で、何か案は思いつかない?
『えー……まあ、授業が中断されたら音読どころじゃないわよね』
中断か……。まずは場を乱すってことだね。でもどうすればあの岩浅先生が授業を中断させるんだろうか……そうだ! 鳥だ! 鳥が教室に入ってくれば、授業どころじゃなくなるぞ!
いつか、野鳥が忍び込んでクラス中が騒然となった記憶がある。あの状態が続けば、授業は続けられないだろう。
『あー、あったわねー。けどタイミングよく来るのかしら? 鳥よ?』
……えぇっと、なんか、鳴き声を真似たりしたら寄ってこないかな?
『急に三戸くんが立ち上がってピーピー鳴き始めるのね。面白そう』
うっ、明らかに音読よりもそっちの方が恥だ。本末転倒過ぎる。この案は却下だな。
だとしたらもう思いつかない。万策尽きたか……!
『まだ一個しか策出てないけどね』
呆れたツッコミ。逆に万の策が思いつくってすごいよね。
と、逸れかけた思考をえいやっと戻して、状況把握のため黒板の方を向く。先生は板書をしている最中だが、もういつ回って来てもおかしくない。
これじゃあ僕が音読をする羽目になってしまう! 安立さんっ、他に逃げ出す方法はない!?
『えっ。じゃあ、トイレに行くとか?』
天才だ! それしかないよ!
急かしてみれば案外策というのはポンと出てくれるらしい。強力な参謀のおかげで僕はすっかり浮かれて、席を立った。
『ほ、本当にするのね』
意気込む僕の声を聞いて安立さんが驚いている。僕自身でも自分の行動を振り返って自分らしくないと思った。
頭の中に安立さんがいるものだから、ついつい格好つけたくなったのだろうか。そう冷静に自己分析をすると後悔しかないが、もう立ち上がってしまって周囲からの視線も集まっている。後には引けない。
躊躇いを振り払って、席を外す許可を得ようと口を開いたその時、先生が振り返った。
「じゃー次、三戸なー。ってもう立ち上がって、やる気すごいな」
ピキリと僕は固まる。音読の指示は出されてしまった。果たしてここからトイレへ逃げる宣言をしても間に合うのだろうか。
『間に合わないんじゃないかしら?』
失笑する安立さんの声。それを聞くと逆に意地になる。
僕は小さく挙手をした。
「いえっ、読みたくないのでっ、トイレに行ったらダメですかっ?」
と告げた途端、周囲で笑いが起こる。余計な部分まで口を出たことに気づき、強烈な羞恥が僕を襲った。
果たして岩浅先生は、表情を変えないまま教科書へと視線を移す。
「素直だな。よーし、読んだらトイレ行っていいぞー」
それじゃぁ意味ないじゃないですかぁ。
がくり、と僕は項垂れながら、教科書を目で追う。結果的により一層の辱めを受けることになったのだった。
『残念でした。授業はちゃんと受けましょうね』
僕の結末を頭の中で聞き届けて、安立さんが窘めをくれる。……はいちゃんと受けます。
はあ、と不満と浮かれ気分を吐き出して、僕は教科書を持ち上げた。
「あの模範少年ではなくて、ほかの友達だったら、」
存外その発声は、いつもより明瞭に出来ていたように思った。
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